野花咲く皇女ケ森と悲劇の斎王(番外編)倭姫命さまご巡幸地巡り ことの葉綴り九六二
今週後半、お参り日和!
こんにちは。朝から一仕事を終えて、「ことの葉綴り」に向かいます。
十月十八日(火)の暦は、六曜は「先勝」午前が吉。先んじることで幸を勝ちとる日。十二直は「破」は、物事を突破する日。人を説得したりにいい日。二十八宿は「翼」で、植木の植え替え、耕作はじめ、種まき、旅行に吉。そして今夜は「下弦の月」です。今夜はお月さま見えるでしょうか。
そして、今週、明日から、巳の日、一粒万倍日、天赦日、大安と、お参り日和が続きます。暦のお知らせ、お楽しみに。
番外編 皇女ケ森の跡へ
伊勢の神宮に天照大御神さまをお祀りされた倭姫命さまの、ご巡幸地を巡る旅、今回は、伊勢市編と二見編をご紹介してきました。
そこで、今回は、「番外編」ご紹介するのは「皇女ケ森」跡です。
伊勢市楠部町の神宮神田から、五十鈴川の川向こう。
皇女ケ森跡を探します。
Google MAPの地図とはちょっと位置が違うのかなかなか見つかりません。
さらに進んでいくと、田園の中に、ぽつんと小さな小さな森のように木が茂っているところを発見!!
周りは、あたり一面は、田んぼとその先には住宅街です。
そこに、本当にぽつんと「皇女ケ森」跡がありました。
では、皇女ケ森とはどういうところなのでしょう?
倭姫命さまが、天照大御神さまを五十鈴川の川上にお祀りされて、伊勢の神宮ご創建後のことです。
倭姫命さまから、姪っ子の皇女へと、天照大御神さまにお仕えする斎王は、受け継がれていきました。
そして、第二十一代、雄略天皇の皇女、稚足姫が、斎王となられたときです。
𣑥幡斎王とも呼ばれました。
悲劇の斎王稚足姫
詳しくは、以前、雄略天皇の物語を綴ったときにご紹介しています。よかったらご覧くださいね。
稚足姫は、「卜定」で、選ばれて伊勢の神宮の斎王となられますが、「皇祖神に仕える斎王が、武彦により身籠らせられた」と、家臣の流した嘘により、噂が広まってしまいます。
そして、稚足姫はご自身の身の潔白を証明されるために、御神鏡を埋めて、自ら命を絶たれたのです。
父である雄略天皇は、みなに行方不明になった皇女を探させます。
そして、この御神鏡を埋めたところが光輝いたところから、稚足姫のご遺体が無事に発見された……それが、この「皇女ケ森」跡とされるのです。
小さな石柱もあり、「宇治乃奴鬼神社々域」とあります。
こちらは内宮末社。同じ楠部町の五十鈴川向うの「大土御祖神社」(内宮摂社)さんに同坐されてお祀りされています。
そして、悲劇の斎王稚足姫さまの森が、これほど小さくなりながらも、今も、田園の中に、残っていること、残そうという人々の想いを感じました。農作業をされている人の姿が見えます。地元の方は、田んぼのなかの小さな森を、大切にされてきたのでしょうね。
森の前までいき、稚足姫さまに手を合わせてきました。
足元に、可愛らしい野の花が可憐に咲いています。きっと、稚足姫さまも、こんな風に可憐な方だったのだろうな~と想いを馳せます。
またそこには、彼岸花もあり、ちょっと稚足姫さまを偲ぶ気持ちになりましたよ。番外編でした。
―次回へ
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