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“知られていない神様”がご祭神の神社 神話は今も生きている ことの葉綴り。二四八

開化天皇の子 日子坐王の系譜

おはようございます。曇り空の朝、「ことの葉綴り。」に向かいます。


『欠史八代』“知られていない”神様、第二代~最後の第九代の開化天皇(かいかてんのう)。
その開化天皇の四人の妻と五柱の御子のお話……。
前回は、その系譜に、『竹取物語』の、竹取の翁のモデルといわれる讃岐垂根王(さぬきたりねの)。そしてお孫さんの比賣に、かぐや姫のモデル、迦具夜比賣命のことをご紹介しました。

今回は、開化天皇の三番目の妃、意邪都比賣命(おけつひめのみこと)との間に誕生した、日子坐王(ひこいますのみと)。
こちらの系譜が、長い~!!
ちょっとメモ書きして、整理しないとわかりませんでした(苦笑)

では、さっそく、十一王(でも数えると十二だったのだけど…苦笑)の父と成られた系譜を見てみましょう。

って、漢字だらけで、すいません!!

こちらにも“子孫が有名人シリーズ”がありますし、
また、後の世の物語に登場し、活躍するみこ(王)や比賣(ひめ)もいます。
ぜひぜひ、根気強く神話の物語を読み進めていただいて
つながりを発見してみてくださいね。
さて、日子坐王(ひこいますのみこ)は開化天皇の四番目の御子です。
王も四人の妃を娶ります。

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一人目の妃の子と孫

いちばん目の妃であった、山代の荏名津比賣(えばつみめ)又の名刈幡戸辯(かりはたとべ)との間には、
一、 大俣王(おほまたのみこ)
 この大俣王の長男、(開化天皇の孫)曙立王(あけたつのみこ)は、伊勢の品遅部君(ほむぢべのきみ)、伊勢の佐那造(さなのみやすこ)の祖になります。
 三重県の多紀郡にご鎮座する「佐那神社」さんには、天の岩戸の物語で活躍した、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)と共に、曙立王(あけたつのみこ)がお祀りされています。


二、次男の菟上王(うなかみのみこ)は、比賣陀君(ひめだのきみ)の祖となります。

 この開化天皇の孫にあたる、兄弟も、後の、垂仁天皇(すいにん)の御代に登場します。

二、 小俣王(をまたのみこ)。次男のこの王(みこ)は、当麻勾君(たぎまのまがりのきみ)の祖。

三、 志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ)。三男の王(みこ)は、佐佐君(ささのきみ)の祖先。三重県の津市に、「志夫美神社」にお祀りされているようです。

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二人目の妃と子と孫たち

二人目の妃となったのは、春日の建國勝戸賣(たけくにかつとめ)の娘で、沙本の大闇見戸賣(さほのおほくらみとめ)でした。

ここから四人の子が誕生します。
一、 沙本毘古王(さほびこのみこ)
 この王(みこ)は、日下部連(くさかべのむらじ)、甲斐の國造の祖となります。

二、 袁邪本王(をざほのみこ)
 この王(みこ)は、山代(京都)の葛野氏、近江(滋賀)の蚊野氏の祖となります。
 滋賀県の「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」さんにお祀りされています。この滋賀県の愛知郡の郷に下られて、この地に住まわれて、身罷られたあと、御殿の跡に祠を建てて産土神様としてお祀りしたそうですよ。

また「軽野神社」にもご祭神としてお祀りされています。

毎年、4月に例祭がおこなわれて、お神輿や山車もでるそうです。
天皇の王みこ)として、遣わされた地域で使命をはたされて、
そして薨去後、ご祭神として大切にお祀りされて
……
今も、大切にお祀りされて崇敬されているのですね。

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“知られていない神様”と、こうやって出会うだけで、心がじわ~っと温かくなれます

神話は今も生きている。それも有名な神様だけじゃなく、こうして、普段、私たちが知らない神様にも、古の人々が、「お祀りしたい」という、熱い想いが伝わってくるようです。
感激しちゃいます。

と、ここまでで、ようやく二人のお妃とその二人目の子までです。
また、明日、日子坐王(ひこくにおけつのみこ)の
二人目の妃の系譜の続きからご紹介します。

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―次回へ

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