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倭姫命様の霊夢 元伊勢十九 神話は今も生きている ことの葉綴り三四五

今宵は、北斗七星のお祭り

こんばんは。今日は朝からお仕事で、一段落した夕刻から、「ことの葉綴り」のひとときです。
二月八日は、大阪府交野市の「星田妙見宮」さんの「星祭(厄除け大祭)」。こちらは、弘法大師・空海さんが、この交野の獅子窟で修行された折り、天上より北斗七星(七曜の星)が降ってこられ、三ヵ所に分かれて地上に落ちたそうです。
そして「星の霊場」と定められました。
妙見さまとは、北極星、北斗七星を神格化された神様で、古より運命の星の巡りをただすといわれています。
毎年二月八日は、星のご降臨の春の初縁日で、その一年の厄除けとご加護をお祈りするお祭りの星祭がおこなわれます。
今年が、ご祈祷は参列できませんが、お祭りはおこなわるようです。

今宵、北斗七星、夜空に輝くといいですね。

と、二月八日は水柱・冨岡義勇さんの生誕日でもあるのですね(^^)

さて、今日も、神話の物語へと入ります。
※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってくださいね。

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大和の国「宇多秋宮(うたのあきのみや)」へ

天照大御神さまが伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語
天照大御神さまのご神慮をうかがう御杖代となり、祈りをささげる斎王は豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから、
倭姫命(やまとひめのみこと)さまへと受け継がれました。

そして、「五大夫(ごたいふ)」と呼ばれる、重臣の五人が、ご巡幸の旅に付き添われます。

崇神天皇六十年癸未、大和の国の宇多秋宮(うたのあきのみや)に遷りたまひ、四箇年の間を積(へ)て、斎(いつ)き奉りたまふ。
時に、倭の国造(くにのみやつこ)、采女(うねめ)香刀比売(かとひめ)と地口の御田を進(たてまつ)る。

崇神天皇の御代60年、癸未(みずのとみ)の年に、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、大和の国の「宇多秋宮(うたのあきのみや)」に、お遷りになられました。
そして、こちらで、四年間、天照大御神さまをお祀りされました。
このとき、倭の国造(くにのみやつこ)は、お食事のお世話係として、香刀比売(かとひめ)とおつけになり、また近くの神聖な田を奉りました。

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天照大御神さまが倭姫命の夢に

ある夜のことです。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまがお眠りになられているとき
その夢枕に、天照大御神さまがお立ちになられます

「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐え奉れ」

そして、こうおっしゃったのです。

「倭姫命(やまとひめのみこと)よ。
高天原にいたときに、私が見た国へと、私を連れてゆきなさい」

倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、この夢のお告げのとおりに
東へと向かいます。
そして、心の中でこう祈り続けられるのです。

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倭姫命(やまとひめのみこと)の祈り

「我が思刺(こころざ)して往く処、吉からむなば、未だ夫に嫁(あ)はざる童女(をとめ)相へ」

私の目指し進むところが、天照大御神さまの御こころに召すところであるならば、まだ結婚していない幼き少女よ。
この私と出会うのです!!!!

一歩一歩歩みながら、祈ります。

すると、佐佐波多(ささはた)というところの入り口で、
ある一人の童女が現れたのです。

おお~幼き少女(をとめ)よ~
そなたは誰なのですか? 名は?

倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、その童女に声をかけて訪ねました。

さて、この童女との出会い、どうなるでしょう?

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―次回へ

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