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百済の賢人渡来 応神天皇十七 神話は今も生きている ことの葉綴り六四一

師走

おはようございます。師走に入りましたね~!
気温は高くなりそうですが、雨模様になりそうですね。
さて十二月一日の暦は、六曜は、昼前後の正午が吉の「赤口しゃっこう」。十二直は、「なる」で、物事が成就する日。新しいことを始めるのによい日。種まき、開店、開業、引っ越し、旅行も吉。そして、二十八宿の「へき」で、開店、開業、旅行、婚礼、衣類の仕立てに吉。
月日がたつのが、本当に早いですね。残すところひと月。
皆さん、お忙しいと思いますが、共に元気で過ごしましょうね。

<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介はこちらを。


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応神おうじん天皇さまの物語 あらすじ>

第十五代応神おうじん天皇さまは、皇子の大雀命おほさざきのみことの願いを聞き入れて、天皇の妃候補であった髪長比売かみながひめを譲られました。

応神おうじん天皇の御代、漁業のことをおこない海産物を納める部族海部あまべ
山林のことをおこなう、山の鉱石や金銀、鉄を納める部族の山部
山部の部族を管理、警備する山守部
そして伊勢の天照大御神さまに仕える部族、伊勢部を定められました。また|剱池《つるぎのいけ》をつくられました。
産業を定め、灌漑用水など治水をされたのでしょうね。
社会が整備されて、「納める」とあるので、地方の豪族からも租税をとり、朝廷の支配力が強まっていきます。

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新羅・百済との交流

またこの時代に、新羅しらぎから新羅の人達が、渡ってやってきました。このとき、重臣の建内宿禰命たけしうちのすくねのみことが、新羅の人たちを率いて、堤をつくり、百済池くだらいけを作りました。

また百済の国王、照古王せうこわう(百済、近肖古王きんしょうこおう日本との交渉がはじまったのも、この王の時代とのこと)から、牡馬一頭、牝馬一頭の良い馬を、阿知吉師あちきしという使者に託して献上してきました。
この阿知吉師あちきしは、この良馬を自ら飼育し、やがて、阿直史あちきのふひとらの先祖となりました。
ほかにも、|照古王《せうこわう》は、太刀と大鏡を献上しました。

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百済の賢人

また、「百済に賢き人いれば連れてくるように」と命をだされると、賢人が渡来してきます。
名は、和通吉師わにきしといい、孔子の教え「論語」を十巻、漢文の長詩「千字文」一巻(ただし、これはまだできていなかったのではないかともいわれます)を、携えてま渡来しました。
この和通吉師わにきしさんは、文と筆で朝廷に仕えた文首ふみのおびと等の先祖となったそうです。

百済との交流はまだ続きます!
これも、応神おうじん天皇さまが、母、神功皇后さまの胎内にいらっしゃるとき、新羅へと渡ったことがもとになっているのですね。

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―次回へ
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