巨岩の聖地神倉神社 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。二〇二
高倉下を祀る神倉神社
こんにちは。金曜日の午後も「ことの葉綴り。」に向かいます。
天孫の御子の伊波禮毘古は、国の平定のために東へ向かいます。
兄を失った悲しみの中、たどり着いた紀州の熊野村でも、
荒ぶる神の化身の魔力に襲われて窮地に追い込まれ大ピンチ!
生死の境をさまよった伊波禮毘古を救ったのは、
天照大御神さまをはじめとする高天原の天つ神たちでした。
高倉下(たかくらじ)の夢の中で、お告げを与え、そして「佐土布都神(さじふつのかみ)の剣」を地上の熊野へと遣わしました。
この「佐土布都神(さじふつのかみ)の剣」は、
奈良県の石上神宮の主祭神としてお祀りされており、
「鎮魂(ふりたま)の神業」が今にも伝わっています。
そして、伊波禮毘古を救った高倉下も、
今も、紀州(和歌山)の神社にお祀りされているんです!
ぜひ、それを知ってほしいです。
「神倉神社」さま。
熊野三山の一山の「熊野速玉大社」の摂社ですが、
和歌山県新宮市の西に、神倉山があります。
標高は120メートルほどらしいのですが、
写真を見てください。
巨岩のご神体ゴトビキ岩
ものすごく急角度の足元の悪い石の階段が、五八五段も続きます。
直角に近い角度の石段を登っていった山の中腹近くに
なんと、なんと、絶壁の上に、巨岩が目の前に現れてびっくりします!!
これこそ、「ゴトビキ岩」と呼ばれるご神体!!
高倉下命(たかくらじのみこと)と
天照大御神さまが、ご祭神で、
天磐盾(あめのいわだて)と呼ばれる断崖の上にあります。
昔は、神さまのご鎮座するお社の建物がない時代、
神聖や山や、磐境(いわさか)や、神籬(ひもろぎ)といった、
山や岩や、樹に降りてくるという、自然信仰がありました。
このゴトビキ岩は、熊野の神々が最初に降りた地と言われます。
(下の写真は神倉神社さんからの眺め)
奇祭「お燈祭(おとうまつり)」
毎年二月六日には、奇祭「お燈祭(おとうまつり)」の火祭がおこなわれるのが有名です。
約二千人の上り子と呼ばれる白装束の祈願者が、お腹に太い荒縄を巻いて、松明を手にして山上に登り、境内に閉じこもります。
陽が沈みあたりが暗闇が広がる午後七時。
門が開くと、上り子たちが一斉に松明を手に駆け出して、急こう配の五八五の石段を駆け下りていきます。
このとき、松明の火が、闇夜に浮かびあがり、火の、炎の川のような幻想的な光景になります。
これは、火の洗礼により聖なる神倉山を、清め祓うご神事で、
古墳時代の575年から始まったといわれています。
上り子さんたちは、松明の燃え残りを自宅に持ち帰って、家にお祀りするそうです。
このご神事の当日は、女性の参拝はできません。
ちなみに五八五の石段は、源頼朝が寄進されたといわれています。
参道の石段はすべりやすく、急こう配なので、ご年配の方や、ヒールなどの靴、お酒を飲んでいる場合は、危険なので、「登拝」できません。
神話の神さまのお招きも!
これまで二度、神倉神社さんへ参拝にいきましたが、
鳥居の前では、身が引き締まる想いがとてもします。
石段の昇り降りは、一段一段、足元を確かめながらしか進めません。
けれど、神話の神さまの神々しさ。
言葉にできない厳かさ
霊気あふれる厳粛さと
畏みながら、
ただただ、頭を垂れて手を合わせて無心になる聖地です。
一度、この「お燈祭」を見に行きたい、なって思います。
皆さんも、ぜひ、機会があれば、
熊野三山への熊野詣のお参りをされるときは
天照大御神さまと神倉下命さまのお祀りされる
神倉神社さまへも、お参りくださいね。
神話の神さまがお祀りされている神社は
全国にあります。
神社にお参りするときに、ご祭神の物語を知っていると
お宮参りが、さらに楽しくなりますよ。
たとえばこの神倉神社さんは、
伊波禮毘古を救った、高天原の天照大御神さまと、神剣を夢に見て持ってきた神倉下命さまがいらっしゃんだ! って。
そんなとき、ご祭神もお喜びになってくださるように感じます。
神話の神さまが、「あっお参りに呼んでくださった」
なんて、ご縁を強く感じることもあるかもしれませんよ。
さぁ、次回は、そろそろ神話の物語に戻ります。
―次回へ
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