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大いなる理の健全な第三の道 意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)13 ことの葉綴り八三八

お参り日和が続きます

おはようございます。夏日となる金曜日。皆さん、熱中症に気をつけて水分補充しましょうね。
さて、六月十七日(金)の暦は、六曜は、「大安」で、万事によい大吉日。婚礼、移転、旅行、新規事業、すべてに良しです。
十二直は、物事を危惧する「あやぶ」で、控えめにしてよしの日。婚礼などお祝いごとは吉。二十八宿は「ろう」で、縁談、婚礼、契約、相談ごと、移転、旅行、設備の工事、土堀も吉。そして、ご神事やお参り、墓参によしの「神吉日かみよしにち」です。
と、これから1週間、夏至も含めて暦の「吉」のお参り日和が続きます。お楽しみにしてくださいね。

さて、早速、意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)兄弟の神話の物語に入ります。


《これまでの意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)》


第二十三代顕宗けんぞう天皇さま(袁祁王をけのみこ)は、父の仇である、雄略ゆうりゃく天皇さまの御陵を打ち壊そうとされます。そこで、意祁王おけのみこさまが、その御陵で墓所の片隅の土を少しだけ掘り起こし弟の天皇さまのもとへ戻り、こう諭されたのです。

雄略ゆうりゃく天皇は、父の仇ではあり、大君が、敵討ちを果たしたいと思うのは当然でしょう。しかしながら、天下を治めた天皇であり、父とは仁徳天皇を祖父にもつ従兄弟同士であり、私たちの大叔父です。
その墓を、怨みの気持ちに任せて、打ち壊したならば、後世の人々は、非道の悪い顕宗けんぞう天皇と、大君を誹謗中傷するでしょう。
けれど、父の仇をとりたい天皇のお気持ちはわかります。
ですから私は、父の仇を果たすために、雄略ゆうりゃく天皇のみささぎの、隅っこの土を少しだけ掘り起こし、父の仇もとってきたのです」

兄、意祁王おけのみこの言葉を聞いて、弟の顕宗けんぞう天皇さま(袁祁王をけのみこ)は、怨みや怒りの心が静まっていくのを感じていました。

「兄上、それはなんという、素晴らしき自然の理であることでしょう。天皇のあるべき姿です。
兄上、ありがとうございます」


真ん中の健全なことわりの第三の道

兄、意祁王おけのみこは、皇子として宮中に復権し、兄弟どちらが皇位を継承するかで譲りあい、「お前のおかげで、私たちは、皇子として復権できたのだから」と、弟の袁祁王をけのみこに皇位を譲っていました。

そして、天皇としての、人としての道を外れそうになったときも、父の仇もとりたい気持ちも表しつつ、非道な行為に走ることを防いだのです。

意祁王おけのみこさまの大きな度量深い知恵を感じます。
この兄、意祁王おけのみこの行為は、私たちが、対人関係で、怒りの炎にくるまれて、後先に見境を無くしそうなときにも、役立つ気がします。

ただ、怒りや怨みの感情に絡み取られて相手を傷つけたり100%の怒り吐き出す行動に走るのではなく、同時に、自分の怒りや怨みのマイナスの感情に蓋をして、ないもの、「0」とするのでもなく、その「怒り・怨み」も認めたうえで、けれど100%その感情にからみとられることなく健全な理性と意志も半分持ちつつ、怒り・怨みを解放する、第三の道、真ん中の道を探しだす……。

まさしく、今の時代にも必要な深慮・知恵・度量ではないでしょうか? この神話の物語は、大きなことわりの、健全な、第三の道を探す大切さを教えてくれている気がします。


袁祁王をけのみこから兄意祁王おけのみこ

そして、この後、袁祁王をけのみここと、顕宗けんぞう天皇さまは、八年間あめの下を治められて、三十八歳という若さで、身罷られたのです。
御陵は、奈良県香芝市の「顕宗天皇 傍丘磐坏丘南陵けんぞうてんのう かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ」です。

この後、皇位を継承されたのは、この仲のよい兄、意祁王おけのみこさまでした。
よかったですね~。

―次回へ。

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