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神代の神々とつながる比賣(ひめ) 神話は今も生きている ことの葉綴り。二四九
開化天皇の子 日子坐王(ひこいますみこ)の系譜 続き
おはようございます。今朝は朝から外出するので、その前に「ことの葉綴り。」に向かいます。
“知られていない”神様、『欠史八代』第二代~最後の第九代の開化天皇(かいかてんのう)。
開化天皇の、四人の妻と五柱の子の系譜の続きです。
三番目の妃、意邪都比賣命(おけつひめのみこと)との間で、
四番目の王(みこ)として誕生した日子坐王(ひこいますのみこ)。
前回は、この日子坐王(ひこいますのみこ)の子の、十一王(でも数えると十二だった)のうち、五王まで紹介しました。
その続きとなります。
二人目の妃と子と孫たち 続き
二人目の妃は、春日の建國勝戸賣(たけくにかつとめ)の娘で、沙本の大闇見戸賣(さほのおほくらみとめ)でした。
一、 沙本毘古王(さほびこのみこ)
二、 袁邪本王(をざほのみこ)
そして
三、 沙本毘賣命(さぼびめのみこと)またの名を、佐波遅比賣(さはぢひめ)。
この比賣(ひめ)は、後の垂仁天皇のお后となります。
四、 室毘古王(むろびこのみこ)。この王(みこ)は、若狭の耳別(みみのわけ)の祖。
この王(みこ)も、御所から使命を受けて若狭(福井県)をお治めにくだられます。そしてこの地は、豊かに栄え、人心も豊かになったのです。
室毘古王(むろびこのみこ)が身罷られたあと、王(みこ)のご恩を忘れないようにと、地元の方々が、ご祭神としてお祀りした。それが福井県の三方郡ご鎮座する「彌美神社」さんです。
「古この耳地を領れる耳別の氏人ありて、室毘古を祖神として祀れるにやあらむ」と、崇敬されてお祀りされていますよ!
若狭の地は、海も近く、朝廷の「御食國」として、早くから製塩のお塩を献上していたようです。
この四人の子の中で、有名になるのが、
沙本毘古王(さほびこのみこ)と、妹の沙本毘賣命(さぼびめのみこと)
垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代に、お兄さんの、沙本毘古王(さほびこのみこ)と、妹で、皇后となった沙本毘賣命(さぼびめのみこと)ともに、物語に登場されます。
この王(みこ)と比賣(ひめ)が、“主役”となる物語です。
ぜひ、覚えておいてくださいね。
神代の神々とつながる比賣(ひめ)
次に日子坐王(ひこいますおう)三番目の妻は、
近江の國(滋賀県)野洲郡の御上(みかみ)の祝(はふり)こと神職がお祭りしている、天之御影神(あめのみかげの)、その娘である
息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)です。
天之御影神(あめのみかげ)は、近江の「三上山御上神社」さんのご祭神です。
天之御影神命(あめのみかげのみこと)は、鍛冶の祖神です。
天津日子根命(あまつひこねのみこと)。日本書紀では天津彦根命。
覚えているでしょうか?
神代の物語
天照大御神さまと、弟の須佐之男命さまの「誓約(うけひ)」によって、天照大御神さまの、珠から生まれた御子です。
ってことは、御上の祝とは、天照大御神さまのお孫である、天之御影神をお祀りする、祝(神職)ってことでしょうか。
三番目の妃となった息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)は、神代の神さまとのご縁がありそうです。
この息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)との間にも、
五柱の王(みこ)が誕生するのです。
―次回へ
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