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“譲り合い”過ぎる兄と弟 応神天皇さま二四 神話は今も生きている ことの葉綴り六四八
事始め+寅の日+満
おはようございます。十二月八日(水)は、新たな年の年神様をお迎えするためのご神事や準備を始める「|事始《ことはじ》め」。この日、普段、使っているお道具に感謝する日でもあるのですって。江戸時代、働く女性にとっての重要アイテムだった針に感謝をして供養する「針供養」もその一つ。
私たちも、普段使っている、スマホケースや、スマホ、鍵、ペン、ペンケースお財布など、一つ一つに触れて拭いて汚れを取るなどして、「ありがとう」と、感謝したいですね。
暦は、六曜が「先負」で午後が吉。何においても“平静で控えめ”が吉。急用や勝負ごとは避けてベター。
十二直は、すべてが満たされる「満」。こちらも“控えめ”よし。祭祀、お参り、婚礼、お祝い事、旅行、移転、建築、新規のこと、種まき吉。
二十八宿は、「参」で、物や品物の買い物、取引のスタート、設備の工事、婚礼、縁談、お祝い事に吉。
そして、「寅の日」の吉祥日です。金運招来の縁起日!
“頑張ってくている”お財布を、拭いて、感謝をして。また古くなったものは、これまでのことを労った上で、新調するのもいいですね。
新たな年の年神さま、どうお迎えするか、師走の予定を立ててみませんか?
さて、今日も神話の物語に入ります。
住宅地に残る「大山守命那羅山墓」
第十五代応神天皇さまの皇位継承を巡り、反乱を起こした長子の大山守命ですが、命の危険を察知した弟王、|宇遲能和紀郎子《うぢのわきいらつこ》により、川に落とされて、流されていき絶命します。
母が違うとはいえ、兄王の命を奪わざるをえなかった弟王、宇遲能和紀郎子が、その複雑な思いを歌に詠みました。
宇治川の渡場に植えてある、檀の木を切り倒そうと思うけれど、
殺さねばと思うけれど……
本辺を見ては、君を思い出し、末辺を見ては、あの子を思い出して
一方でいらいらと痛ましく、もう一方では、悲しく思い出して
これまで“切り倒さないで来た”……ああ、その檀の木よ……。
父の応神天皇さまが溺愛し、末の子ではあるけれど、天皇の位を譲りたいと決心されたのですから、宇遲能和紀郎子は、知恵深い皇子だったのでしょうね。
一方、大山守命は、川から引き揚げられた亡骸を、那良山に埋葬されました。
この古墳は、「大山守命那羅山墓」といい、奈良市の住宅地に今も残っているそうです。
そして、この皇子の末裔は、土形君、幣岐君、榛原君らの祖先となったそうです。
兄と弟の譲り合い?!
応神天皇さまの皇子は、妃候補を譲られた大雀命と、宇遲能和紀郎子の二柱となりました。
大雀命は、父の命を受けて、弟が天皇に即位をして、それを補佐しようとお考えでした。
兄の大雀命が、長子の反逆を伝えてくれたおかげで命を救われた宇遲能和紀郎子は、皇位は兄が継ぐべきで、皇位を譲ろうと思っていました。
一方の大雀命も、父の詔そのままに、弟に皇位を継がせて、自分はそれを助けていくのだと決心は変わらずに、皇位の譲り合いが続いていたのです。
何度も話し合いをしますが、決着がつきません。
海人たちの涙
このころ、新たな天皇の即位を祝おうと、漁業で宮中に仕える海人の人々が、大贄の、新鮮な魚などお祝いの品を準備をして、献上してきました。
ところが、「私は即位はせぬ。これは、私が受けとることはできない。兄上のところへ」
「次の天皇になられるのは、弟の宇遲能和紀郎子さまである。私が受けとるわけにはいかぬ」
と、兄王も弟王も、どちらも受け取りを“拒否”をします。
その度に、海人の人々は、大雀命と、宇遲能和紀郎子のお屋敷を、行ったりきたりと往復させられてしまいます。
しかも、一度や二度ではなかったのです。
お祝いをしたいのに、貢物を受け取ってほしいのに……何度も繰り返されて、らちがあかず、海人の人々もう疲れ果ててしまいました。
お祝いの魚たちも、腐ってしまいます。悲しいですよね。その度に、処分しなければなりませんでした。
これは、精神的にも肉体的にも、辛いですよね~。
海人の人々は、疲れ果てて涙を流して泣いたそうです。
「海人や、己が物によりて泣く」
普通の人は、物が欲しくても得られないのに、海人は、自分の持っているものを持て余して泣く……と、|諺《ことわざ>ではいうそうです……と、あります。
譲り合いもいいけれど、これは、困ったものですね(^^)
―次回へ
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