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言霊で国を寿ぐ儀礼 元伊勢三九 神話は今も生きている ことの葉綴り三六五

吉日四つ重なる日曜日

こんにちわ。昨夜の満月は、どこか優し気な感じがしましたね。

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今日も、神吉日、大安、昴(ぼう、二十八宿で、神仏詣で、祝い事に良い日)、(とる、十二直。万物を裁決する、祭祀に、祝いごとによい日)と、「吉日」が四つも重なる開運日ですね。
お参りや、暮らしのよき習慣のルールを決めたりも、いいですね。
さて、さっそく、今日も倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸の物語を「ことの葉綴り」に綴ります。

※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。


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木曽川から、尾張国「中嶋宮」(なかじまのみや)へ

倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行さまは、
大和国の御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)をご出立されてから二十二年の歳月が流れていました。
ご巡幸されて、天照大御神さまを、すでに九つのお宮でお祀りされました。

大和国の宇多秋宮(うたのあきのみや)と、佐佐波多宮(ささはたのみや)で四年。
伊賀国の市守宮(いちもりのみや)で、二年、
伊賀国の穴穂宮(あなほのみや)で四年、
伊賀国の敢都美恵宮(あへつみえのみやで二年、
淡海(おうみ)国の甲可日雲宮(こうがのひくものみや)で四年、
淡海(おうみ)国の坂田宮(さかたのみや)で、二年、


そして、美濃国の伊久良河宮(いくらかわのみや)で四年お祀りされた後、船で揖斐川を下り、今後は木曽川へ入り、次に、尾張国へとうつっていかれました。

次に尾張の国の中嶋の宮に遷り座しまして、倭姫命国保伎し給ふ。

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倭姫命さま「寿ぎ」の儀礼

垂仁天皇の御代、十四年六月倭姫命さまご一行は、尾張の国の「中嶋宮」にお遷りになり、この地で、倭姫命さまは、国を褒め称える寿ぎ儀礼をなさったそうです。


この「中嶋宮」と比定されているのは、愛知県一宮市今伊勢町の「酒見神社」さんです。
この神社のそばには「今伊勢車塚古墳」(見当山古墳・目久井古墳)があり、神獣鏡や勾玉、鉄刀、鉄矛などが出土しています。

この古墳が、「見当山」とも呼ばれているのは、この丘から、やがてのちに天照大御神さまがご鎮座される「伊勢」の方角に見当をつけられたという言い伝えがあるそうです。

また倭姫命さまは、この丘に登られて、頂上から、周りを見渡されて、「国保伎シ給フ」と、言葉の言霊による、国を褒め称える「ことほぎ」の祝福の祈り、儀礼をされたところと言われています。

倭姫命さまの祈り、儀礼、あ~見てみたい、と思ってしまいます(^^)

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―次回へ

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