天照大御神様の霊石残る古代祭祀跡 元伊勢三七 ことの葉綴り三六三
倭姫命さまご巡幸の旅、十八年目
こんばんわ。お仕事の後「ことの葉綴り」に向かうひと時です。
今日は早速、神話の物語。倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸の物語に入ります。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってくださいね。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行さまは、
「宇多秋宮」「佐佐波多宮」(大和国)で4年。
「市守宮(いちもりのみや)」(伊賀国)2年。
「穴穂宮(あなほのみや)」(伊賀国)4年。
「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」(伊賀国)2年。
「甲可日雲宮(こうがのひくものみや)」(淡海国)で4年。
「坂田宮(さかたのみや)」淡海(近江)で、2年、
天照大御神さまをお祀りされました。
大和国「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」をスタートされてから、18年の歳月が流れています。
琵琶湖の畔から、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となり、
次に向かわれたのは、美濃国でした。
琵琶湖から山を越えて揖斐川へ
垂仁天皇十年辛丑、美濃の国の伊久良河宮に遷幸なりまして、四年斎奉る。
垂仁天皇の御代十年、辛丑(かのとうし)の年
倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行は、
美濃の国(現在の岐阜県瑞穂市)の「伊久良河宮(いくらかわのみや)」にお遷りになられました。
そして、このお宮で四年間にわたり、天照大御神さまをお祀りされました。
この「伊久良河宮(いくらかわのみや)」であったとされているのは、岐阜県瑞穂市居倉の「天神神社」さんです。
伊久良(いくら)と居倉(いくら)が同じですね。
明治時代までは「伊久良河宮(いくらかわのみや)・天神宮(てんじんぐう)」と呼ばれていたそうです。
滋賀県の琵琶湖の近くの坂田の「坂田宮」から、岐阜県瑞穂市「伊久良河宮」といわれる「天神神社」さんまで、現在の地図では、約40㎞。
滋賀県の伊吹山地の山を越えて、後世に戦国時代に有名となる関ケ原を超えて、岐阜県から三重県にかけて流れる「揖斐川(いびがわ)」を超えていきます。
禁足地だった古代祭祀跡
「天神神社」さんの参道の入り口には「史蹟伊久良河宮跡」の石碑が今も立っています。
ご祭神は、万物の命を産み育てる「産霊(むすひ)」の二柱。
高皇産霊神(たかみむすひのかみ)さまと神皇産霊神(かみむすひのかみ)さま!
「産霊(むすひ)」とは、結び、いのちといのちをつなげ産み、育てる、ということ。詳しくは下記の記事ををご覧くださいね。
天照大御神さまと倭姫命さまもお祀りされています。
拝殿の奥には「古代祭祀跡」があり、昔は、神聖な祈りの聖地で、人は立ち入りが許されない「御禁足地(ごきんそくち)」だったそうです。
天照大御神さまと倭姫命さまの霊石!
そこには、二つの霊石が並んでいるんですって。
一つは、「御船代石(みふなしろいし)」
神さまの宿る石ということ。「天照大神御船代石(みふなしろいし)」とも呼ばれます。
倭姫命さまご一行が、琵琶湖の「坂田宮」から山や川を越えて、この「伊久良」の地に辿りつかれたときに、天照大御神さまを、この「御船代石(みふなしろいし)」に安置されたという伝承がのこる霊石!
天照大御神さまが宿る霊石!!!
この霊石を、神の憑代(よりしろ)として、大神さまをお招きして祭祀をおこなっていたそうです。
この「御禁足地」だった「古代祭祀跡」からは、祭祀に使われたとされる、神獣紋鏡(しんじゅうもんきょう)や勾玉が出土しているんです!!
そしてもう一つは、「倭姫命御腰懸石(やまとひめのみことこしかけいし)」!
二千年以上も前、倭姫命さまが、お座りになった石と
さらに、天照大御神さまを安置されて、祭祀のときに憑代(よりしろ)となった石。
石も生きていていのちがあり、記憶があるといいますよね。
メッチャドキドキです、興奮します。
あ~また一度は絶対にお参りしたい!!! お宮が増えました!
この揖斐川は、よく氾濫があり、水害が多かったようです。
そして、四年後、倭姫命さまご一行は、次のご巡幸地へとまた旅に出発なったのでした。
―次回へ
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