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伊勢神宮の外宮 雄略天皇二四 神話は今も生きている ことの葉綴り八一八

一粒万倍日+鬼宿日の金曜日

おはようございます。昨日に続き、五月二十七日(金)も一粒万倍日の吉祥日です(^^)他の暦、六曜は「赤口しゃっこう」で、お昼前後の正午が吉。十二直は「とず」で、閉じて止まる意味があるので、金銭を納めたりと、閉じ込めのによい日。
そして、二十八宿が「」で、いちばんの大吉日! 一粒万倍日+鬼宿日大吉が重なっています。お昼休みにでもお参りいかがでしょう? 貯金するのもお昼前後がおすすめですね(笑)。

第二十一代、雄略ゆうりゃく天皇さまの物語は終わりましたが、この御世におきたことでご紹介したいことがあるのです。今回はそちらを……。
さて何があったでしょう?

雄略ゆうりゃく天皇さまの物語。
ご即位されるまでの波乱の物語はこちらです。

伊勢の外宮 豊受大神宮 鳥居


豊受大神宮とようけだいじんぐう

皇祖神の天照大御神さまをお祀りする伊勢の神宮
第十一代第二十一代、|垂仁すいにんの天皇二十六年(紀元前四年)に、皇女の倭姫命さまにより、お祀りされたとされます。
こちらは、内宮こと「皇大こうたい神宮」さまです。

それから約五百年の後のことでした。
そう、ここで雄略ゆうりゃく天皇さまが登場します。

第二十一代、雄略ゆうりゃく天皇即位二十二年(四七八年)
天照大御神さまのお食事を司る神、御饌都神みけつかみとして、豊受大御神とようけのおおみかみさまが、伊勢にお祀りされました。
こちらが、今、伊勢の神宮の「外宮げくう」とよばれる、「豊受大神宮とようけだいじんぐうさまです。

倭姫命さまの物語でも、そのことをご紹介しています。

<その他にも関連するのは>

倭姫命さまの物語では、天照大御神さまは、倭姫命さまの夢枕にお立ちになられて、丹波の国でお祀りされていた、食べ物や穀物を司る豊受大御神さまに近くにと望まれて、伊勢の国へと招かれてお祀りされたとあります。

外宮 豊受大神宮


雄略天皇さまの夢に天照大御神さまが!

平安時代(八〇四年)外宮の禰宜ねぎ五月麻呂さつきまろらにより編纂された、外宮に関する『止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう』では、雄略天皇さまが登場されます。

こちらでは、天照大御神さまは、雄略天皇さま(大長谷天皇おほはつせのすめらみことさまの夢の中に立たれて、こう仰ったとされます。

れ高天原に坐して見し
真岐まぎ賜ひし処に 
志都真利しづまり坐しぬ。
然れども 吾れ一所のみはいと苦し。
加以大御饌しかのみならずおほみけも安く
聞食きこしめさず坐すが故に、
丹波国たにはのくに比治の
真名井に坐す
我が御饌神みけつがみ
等由気太神とゆけおおかみ
我がもとりす。

高天原から眺めていて
求めていた処に
鎮座はできたものの
私は、一所にだけ居ることが
たいへん苦しい
そればかりか
食事もままならぬゆえ
丹波の国の比治の真名井にいる
私の食事の神である
等由気太神とゆけおおかみ
豊受大御神を、
私の近くに呼び寄せてほしい

外宮 豊受大神宮


外宮「日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさい

この夢をご覧になった雄略天皇さまは、天照大御神さまのお告げのままに、伊勢の山田原に宮をつくり、丹波の国から等由気太神とゆけおおかみ
豊受大御神
さまをお招きをしてお祀りされたのです。

伊勢の神宮、外宮こと、「豊受大神宮」のはじまりなのです。

千五百年ほど前のことです。
それ以来、毎日の朝と夕、外宮の御饌殿みけでんにて、天照大御神さまと豊受大御神さまはじめとする神さまに、お食事をお供えする「日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさい」が、一日も欠かすことなく、令和の今もなお執り行われているのです。

ほんとうに、神話って今も、生きているのです!!

外宮 豊受大神宮

―次回へ。


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