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倭姫命様が休んだ弁天岩 ご巡幸地巡り五 宇流冨志禰神社 ことの葉綴り七九一

2万回のスキに感謝 ありがとうございます。

おはようございます。早いもので、四月も最後!
皆さん、お元気でお過ごしですか? 今日はお天気良さそうですね。
今朝、noteを開くと「2万回スキされた」と嬉しいお知らせが!
皆さん、本当にいつも、ありがとうございます。地道に地味な(^^)神さまや神話のことを綴っていますが、これからも宜しくお願いいたします。

ありがとうございます!


さて、四月三十日(土)の暦は、六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事も勝ち負けのない日とされます。十二直は「おさん」で、物事を納め入れる日。お買い物、五穀の取り入れにいい日。
二十八宿は「りゅう」で、物事をお断りするのに吉。
欲しいものがあるならショッピングにお出かけも良さそう。でもおススメされても、迷うときは、NOと言えそうかも(^^)
今日も、皆さん、佳日でありますように!

<倭姫命さまご巡幸の聖地巡り>

二千年以上前、天照大御神さまが永久にお鎮まりになる聖地を求めて、豊鋤入姫命とよすきいりのひめのみことさまと、倭姫命さまの二人の皇女が、ご巡幸の旅にでられました。
天照大御神さまが伊勢の神宮にお祀りされるまでのご巡幸地は、「元伊勢」と呼ばれます。
「元伊勢」のことを綴ったマガジンはこちらです。

倭姫命さまの、ご巡幸地の幾つかを巡ってきました。




宇陀川から名張川 大和国→伊賀国へ 

最初のご巡幸地、「阿紀神社」さん。そして「篠畑神社」さん。
これは、どちらも大和国やまとのくに
現在でも奈良県宇陀市になります。

三つ目のご巡幸地へ向かいます。
童女の大宇祢奈とも出会い、「御送駅使はゆまつかひ」とも呼ばれて五人の重臣の側近「五大夫」もと、倭姫命さまのご巡幸チームで進んでいきます。
宇陀川を小舟で進み、歩くときは、旧初瀬街道? なんて街道はきっとなかったでしょうが……道はあったかもしれませんね。

そして、いよいよ故郷の「大和国」とはお別れです。
宇田川を進まれていくと、やがて、名張川に合流します。
この川の合流したところのすぐ近くに三つ目のご巡幸地「伊賀国」の「市守宮いちもりのみや」とされるお宮があります。

そこは、もう「伊賀国」……でも「伊賀国」と呼ばれるようになったのは、後世のことですが……大和国からは、県外に出た感覚だったのではないかな~と想像します。
現在でも奈良県から県境を超えて三重県に入ります。

また宇陀川よりも名張川は、川幅や流れも一段と大きくなっていて、
名張川も、大阪市の北を流れる淀川の上流ですが、釣りのポイントも沢山あるようです。


宇流冨志禰うるふしね神社さん

市守宮いちもりのみや」であろうとされているのが、宇流冨志禰うるふしね神社さんと蛭子えびす神社さん。
三重県名張市で、名張駅からも近いです。

宇流冨志禰うるふしね神社さんの主祭神は"宇奈根命"さま。
神社の由緒書きでは、元々の御神体の赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあり、うねる→うなね(宇奈根)となったそうです。宇流冨志禰神社という名も"潤うふし水"という語源を元にできたと伝えられているそうです。
天照大御神さまもお祀りされています。
境内の樹々が、青々と清々しく、境内には沢山の小宮もとても整備されていて、地元の氏子さんに守られているのを感じました。

と、もともと、名張川がカーブをしていて、そこにあった巨岩にご祭神をお祀りされていたそうです。
そして、境内の前の川沿いに「弁天岩」の看板が!!
倭姫命さまが、休まれた岩と伝承があるそうです。けれど、時代とともに由緒を知る人もすくなくなっているとも記されていました。

ご巡幸地の「note」……こちらもご覧くださいね。


では、また続きは次回に!

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