二千年続く御初穂米の献上 元伊勢三六 神話は今も生きている ことの葉綴り三六二
25日は天神さまの日
おはようございます。毎月二十五日は、学問の神様の菅原道真公こと天神さまの日。今日の二月二十五日は薨去(こうきょ)なさった日です。
京都の北野天満宮さんでは、毎月25日、日没から境内をライトアップされる中お参りできるのですが、ただ今年は17時に閉門となります。
落ち着いたら、二十五日の夜、幻想的な灯りの境内にお参りしたいですね。
さて倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸の物語を続けます。宜しくお願いします。
※これまでの1~343回までの、神代~13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
元伊勢「坂田神明宮」の由来
倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸のふりかえりから。
天照大御神さまの「御杖代(みつえしろ)」
祭祀をとりおこなう「斎王」という使命を、
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまから「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」(大和国)で、受け継ぎます。
そしてご巡幸へ
「宇多秋宮」「佐佐波多宮」(大和国)で4年。
「市守宮(いちもりのみや)」(伊賀国)2年。
「穴穂宮(あなほのみや)」(伊賀国)4年。
「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」(伊賀国)2年。
「甲可日雲宮(こうがのひくものみや)」(淡海国)で4年。
船に乗り琵琶湖を北上し、垂仁天皇の御代八年七月七日から
「坂田宮(さかたのみや)」淡海(近江)で、二年間、天照大御神さまをお祀りされました。
この「坂田宮」だといわれているのが、
滋賀県米原市の「坂田神明宮」さんです。
ご祭神は、天照大御神さまと、豊受姫命(とようけひめのみこと)さま。
伊勢の神宮の内宮と外宮と同じですね。さらに倭姫命さまもお祀りされているようですよ。
神社の拝殿も、伊勢の神宮と同じ、神明造りです。
ご先祖神、所縁の地での大歓迎
この坂田の地は、倭姫命さまのご先祖、曾祖母「息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)」さまの故郷という縁もあり、この坂田の人たちは、大歓迎したそうです。
この当時、坂田を治めていた君も、息長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)で、倭姫命さまとも、同じ開花天皇の皇子の日子坐王(ひこいますおう)の子孫。つながりが深いのですね。
倭姫命さまも、嬉しかったでしょうね。ご安心されたでしょうね。
坂田の里人たちは奉仕して、神殿を設けます。
そして秋の新穀の収穫を祝う「新嘗祭」も、また翌年の祭祀もと、喜んで参加してお祝いをして、たいそう賑わったそうです。
二千年続く、御初穂米と真名井の水
二年後の十年七月、倭姫命さまご一行は、天照大御神さまの御こころのままに、次の巡幸へと旅立たれることになります。
このときも、里の人たちは、倭姫命さまご一行との別れを惜しみながらも、
ご巡幸への旅立ちを見送ったのです。
里人との仲睦まじい触れ合いが感じられて、微笑ましいですよね。
坂田の人たちは、天照大御神さまがこの地にお祀りされたことを、心にとどめ記念するために、神殿をそのまま、天照大御神さまの宮所として、「坂田宮」としてお祀りされました。
そして、倭姫命さまに献上した「坂田御厨(さかたのみくりや)」の御神田で収穫された新穀を、大神様のご神饌としてお供えを続けます。
この「坂田御厨(さかたのみくりや)」の御初穂米(おはつほまい)は、伊勢の神宮にも献上されて、一部は、「坂田宮」に奉られます。
しかも、この御初穂米(おはつほまい)、二千年後の、現在も尚、伊勢の神宮へと毎年送られているんです!!!
また「坂田神明宮」の境内には、清泉の「真名井」もあり、倭姫命さまの神代の頃から、ご神水が今も沸き出でているのですって!!
すごくないですか?
ええ~その真名井の清泉、いただいてみたいですぅ(笑)
神代から続く清泉、伊勢の神宮への献上米!
神話は今も、生きている!
その流るる清泉の、清らかさ、水の粒子の命の鼓動が聞こえてきそうです。
そして、皆に心から見送られた倭姫命さまご一行は、
次はどこへと向かわれたのでしょうか。
―次回へ
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