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2020年5月の記事一覧
ふとビルの屋上を見上げると ひとりの男が下を見下ろして立っている。
ふとビルの屋上を見上げると
ひとりの男が下を見下ろして立っている。
あなたは慌てて
ビルに入り込みエレベーターに乗り込む。
最上階についてもまだそこには
屋上がない。
階段をダッシュでのぼり
たどり着いたdoorを蹴り開ける。
そして、男に近づこうとしたとき、
「それ以上近づくと飛び降ります。
近づかないでください。」
と男が震えた、しかし、どこか
冷めきった声のトーンであなたに向かって
あなたならそこに何を入れる?
愛するキミの幸せが僕の幸せ。
愛する僕の幸せがキミの幸せ。
(これは何も恋人に限った話ではない。
マネジメントにおいても大切な観点だ。)
で、そんな価値観を前提にした関係ができたとして、
僕の幸せをさらに求めた先に
キミがいることを描けなくなったとしよう。
キミの幸せが僕の幸せではあるものの
キミの幸せが僕と生きるのみだった場合は、それを僕は今後大切に出来ないってことが起こる。
さて、
どんな中にあることなのか?
ムカつくとか
腹が立つとか
所謂怒りや悲しみも
ただただ一緒にいられる幸せの中に
あることでしょ。
夫婦にしても
家族にしても。
ビジネスの組織にしても。
一緒にいられる幸せ
そこを感じていりゃ
小さなことでしょ。
ただただマネジャーとして
およそ日本国内に240万社ある企業の中で
何の因果か縁があって部下が配属になって、
一緒に働ける幸せの中での出来事なんだから。
そもそもがそれ
大したことではない。
納得できる
納得できないの
判断基準はある意味どうでもいい。
何故なら
納得できるってことは
これまでの自分の枠内の話だから。
【今の自分】には納得できる。
とか
【今の自分】には納得できない。
という次元なのだから。
そして、人が
納得できないものに
心開くとき
これまでのちっぽけな自分の枠を
超え始めようとしているってことだ。
だからマネジメントにおいて
部下に納得するしな
I give you my word.
正直にという名を盾に
同志との約束を果たそうとする姿勢さえ
手放したり
選択と集中を理由に
捻じ曲がった姿勢を正しく
見せようたって
そうはいかない。
I‘m my words.
とか
I give you my word.
は
都度都度
本当にゲットしてるか??
オレたちを試してくるねー。
二律背反すること
その局面において
オレたちの生き様は
丸裸にされる。
シビれるようなクエスチョン
あなたがマネジャーなら
部下がシビれるようなクエスチョンを
創造することだ。
たとえば、僕なら
お客様から見て
我社は何を優先しているように見えるだろうか?
僕が部下なら
マネジャーからこんな質問されたいわー(笑)。
あるいは、目標を設定する場面なら、
その挑戦の渦中に身を置けるだけで、幸せな目標とは何か?
だったりする。
これも、僕が上司からこんな質問されたら
キターーーーーー
こんな聞かれ方は初めて…。
一生懸命聞く。
一生懸命話す。
人と対話する時、それが全て。
それ以外ほぼ不要。
スキルとか型とか褒めるとか
それは一生懸命という姿勢がなければ
弊害でしかない。
大きな成果を上げるリーダーでも
たとえマネジャーでも
「得意げに話す」はできても
聞く段になるとまるっきし。
僕自身半世紀生きてきて
一生懸命聞かれた!という体験を
したのは皆無。(笑)
下手したら話す前から
判断され
合理主義者は読まないで
※合理主義者は読まないでと
書いてはみたが
きっと、ここにはそもそも辿りつかないね。(笑)
さて、いきなりだが、打算的とは
乱暴な言い方をすれば
そうしたいからそーするのでは無い、
ということ。
例えば、
有難うと言ってもらいたいから
そうするのと
そうしたいからそうするのでは
意味合いがまるっきり違う。
合理的とは
雑に言えば
ある目的を果たすために
無駄をなくそうとすることだ。