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現実的な奇跡が、心を温める物語

読んだ後に、あぁ出会えてよかったなと思える本。

ふとした時に、実家のように安心して帰ってこられる、温かい人たちが待っている本。

そんな本に、人生で何冊出会えるだろうか。


最近読み終わった、村山早紀さんの「桜風堂ものがたり」が、そんな本だった。

2017年に、本屋大賞にもノミネートた本だ。どんなお話かは、これ以上ないという絶妙な説明を、筆者本人があとがきに残している。

奇跡といいましても、わたしがいままで描いてきた他の本とは違って、神様や妖怪や魔法使いの助けは働きません。みんなの力と工夫と、それまでに積み重ね、築き上げてきた、人と人とのつながりや思い合う心が、思わぬ素敵な出来事を連鎖させ、ついには、ささやかながらも奇跡と呼べるような出来事を顕現させる、そういう物語です。

現実とはまったく別のファンタジー世界ではなく、現実に存在しうる、最高のシナリオを描いているから、奇跡ってうまくいけば本当に起こるのかな、そう思えるお話だった。


筆者の村山さんは児童文学作家で、作品作りに関して大学生との対談でこう答えている。

コミュニケーションなんです、結局は。自分のなかだけで完結するものを書いているわけではなくて、誰かに投げかけることで自分がこの世界に生きていることを実感しているところがあるんです。生きていてもなかなか世の中って良くなっていかない、どこかでは悲しいこととかが起きているじゃないですか。それでもやっぱり真面目に働いていると、世界の一部、片隅だけでも照らすことができる……自分の書いたものでみんなが幸せになる。そんな仕事ができたらいいなといつも思っています。

これは、主人公の一整が人生の目標にしている父親からの言葉とそのまま重なる。

だから、一整とお姉ちゃんは、世界に名を残すような立派な人間にアンって欲しいんだ。いや「名を残す」は違うな。こう、小さな灯りでいい、自分の力で世界の端っこを明るくするような、そんな勇気と知恵と、力のある人間になって欲しいって思うんだ。

こんな風に、筆者の思いや願いが反映されているから、小説で切り取られた時間の前後に続く人生を、登場人物一人ひとりが持っているように感じるのだろう。


村山さんの小説では、同じ場所「風早」が舞台になっていたり、ある小説の主人公が別の小説に脇役として登場したりする。

どこかに風早という場所が、本当に人々が自分の物語を持って交流している場所があって、小説はその一部分を切り取っているようだ。

自分以外の誰かの人生や考えを、疑似体験するために本を読んでいる私が、気にいるのも当然かもしれない。


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