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経験に知識という武器を

2022年がスタートしたと思うと
時間感覚が少し麻痺しているのか、
あっという間に5月が終わっていた。

残り1ヶ月で、半年も終わってしまう。
何か成長できたことがあるかと聞かれると
あんまりできていないようにも感じている。

僕の仕事はフォトグラファー/カメラマン。

おそらく大体の人が想像するような仕事を
していると思うし、何か一風変わったことも
ないようにも自己分析している。

けれど、
他のカメラを主として商いをしている人と
決定的に違う点がある。

それは、カメラを始めるまでに
趣味などの経験を通っていない点である。
もっと言えば、携帯のカメラですら撮影という
手段を日頃の中で利用することが少なかった。

僕は、とても合理的に、
写真というものを認識していた時期があった。
今でも、脱サラしてまでカメラの仕事を
専業としてやっている自分に違和感を感じる時がある。


「カメラ好きなんですね」


この言葉にとても違和感を感じている。
結論としては、それを仕事にしているので
「好き」なのだと思う。
ただ、自分の中に好きという落とし込みが
まだうまくできていないことや、
カメラの仕事をしているほとんどの人が
趣味なども含めて、カメラと触れ合うことが
相対的に多くて生業としている点が
その違和感の正体なのだと思う。
(少なくとも僕が出会った人たちはそう)

僕にとって、
撮影をして、思い出を残す手段は
偶然に見つけたもので、
カメラでないといけなかったわけではなかった。

たまたま、自分には
撮影をすることの意義を感じる経験を
幼少期で両親を失った悲しみから
ポジティブに、そして価値あるものだと
辻褄を合わせられただけなのかと思う。


文字にすると
なんだか、少し冷めたように感じてしまうけど
僕的には決してそんなことはなくて、すごいことなのだ。
ましてや、百貨店の財務部にいた身の自分が
収入・スキル・経験・コミュニティがなかったのに
一歩踏み出してしまうのだから。


人生とは何がきっかけで、
大きく舵をとる方向が変わるか
わからないものだなと強く思った。


またありがたいことに、
写真ひとつだけで、生活ができるまで
対価としてお金をいただけることにはなれた。

あの時の決断に一つの後悔もないけど、
あの時の決断に戦略と言えるものは一つもなかった。


撮影依頼そのものは生き物のように、
気配がある時とない時がある。
きっとカメラ歴なるものが長ければ長いほどに
焦っていただろうと感じる。
幸い、そんなものは0だった自分は焦ることはない。

僕からすれば、
収入があって、経験があって、
独立したほうがスケールするから
といった理由でやっていないから
気持ちが随分楽なのだ。


無くて当たり前。



あることは全て、プラス。


この心構えがあることは
精神衛生的にとても良い状態を作っていると思う。


僕がこれから出会う、
いろんな撮影案件とともに、
信頼という武器を強めて、
より多くの方々と
お仕事がご一緒できると確信している。


一つの仕事を、
真摯に、丁寧に、誠実に行っていれば
正しく評価していただける方々と出会える。


人よりも少なかった経験は、
必死で生きるために専業として足を出したことで
時間と共にいつの間にか知識を吸収していて
補われていると信じてる。

フリーランスとなり、
全ての時間が自分の役に立っているとわかる。


きっと、今の僕は、楽な道の歩き方を探していない。




険しい道の歩き方を、人生と共に学んでいるのだ。



この経験を
いつか誰かの一歩に
役に立つ、”道しるべ”に使えたらいいな。



そして、最後に、
このnoteをきっかけに
撮影のご依頼から
連絡をくださった全ての皆さまへ


敢えて、くだけた言い方で言いますね。



「めっちゃ、うれしかった。」



おれ、がんばれ。


ボクの記事はいかがでしたでしょうか。少しでも「共感」頂けましたら、是非サポートいただけると幸いです。現在、応援いただける方を募集しております。「サポート費(応援費)」はカメラマンとしての活動費(出張費・機材購入・交通費等)として充てさせていただきます。よろしくお願いいたします。