こどもたちにはこううつった。
私の次男がポツリとつぶやいた一言。
駐車場に舞い降りた花に何を感じるか。
アリストテレスの窓の子どもたちにも、聞いてみた。
「(駐車場の花も押し花も)どっちもかわいそうだと思う。潰されていることに変わりはないから。」
「踏まれた花はかわいそう、押し花の方は寂しそう。」
「押し花は、人間が摘んだからかわいそう。」
「押し花はアートだから、かわいそうではない。」
「押し花は、押し花として人工的に作ったから美しい。」
「人は(よく生きるために)、美しさは必要なのではないか。」
「押し花と踏まれた花は『意識して大切に扱われている』のと、『無意識のうちに雑に扱われている』との違いがある。」
「自分が花だったら踏まれる方がいい。押し花の人生はつまらなそう。」
「人間的には、車にひかれたのかわいそうと思う。」
「例えば花をかわいそうと思っていたら、家などを作るのに木を切るし、きりがない。牛も食べる。」
「人間とか動物とか悲しいって思ったときは、顔とか表情にあらわれる。(顔とか表情で感情がわかるとかわいそうと感じる)」
もうね。みんな哲学者!
私が考え付くようなことなんて、対話していたら子どもたちからいくらでもでてくる。
自分と相手は違うこと、
ひとつの答えを出すことの難しさ、
様々な視点から物事を見ることの大切さ、
そして、自分が大切にしていることなどなど、
対話によって、感じて理解していく。
じっくり対話するって、最高の学びだな。
じっくり対話できるって、最高の仕事だな。
会社をやめたため、サポートは非常にありがたいです!未来を創る子どもたちの教育活動に使わせていただきます。