真実は 人の数だけあるんですよ。
新年最初ということで、小学校高学年から中学生のクラスにて、歌会始をして遊んだ。
例えば、俳句を3パートにわけて、ひとりがはじめの5文字、もうひとりが真ん中の7文字、3人目が最後の5文字を自由に考えて、くっつけてみたら目の前にどんな世界が広がるかや、2024年最高に輝いている瞬間を妄想して俳句・川柳を詠むとか。
みんなの頭に浮かんだ言葉を適当に繋いだら、こんな感じの句が偶然できる。
「 チョコレート 毎日、削る 終わったわ」
チョコレートを削るとかわけがわかんないと思いきや、パティシエが一生懸命にチョコの彫刻を削る姿がイメージされてくる。
納期に間に合い「終わったあ!」という達成感や安堵の姿が思い浮かべば、
ポッキリと鶴の首が折れる映像とともに「終わった・・・」という声が聞えたり。
性格、知識経験、家庭環境、文化背景、そのときのコンディションなどなどみんな違うのだから、同じ場面(言葉)であっても感じる世界はそりゃ異なるものだ。
プロ同士ならばきっと助詞や言葉選びなどで細部までイメージを共有できるのかもしれないが、我々は素人だかた好き勝手に解釈を楽しむ。
「おめーら(バスケかぶれ)の常識はオレには通用しねえ!! シロートだからよ!!」(スラムダンク 桜木花道)
「真実は 人の数だけあるんですよ」(ミステリと言う勿れ 久能整)
事実はひとつでも、解釈は人の数だけあってもいい。
「真実はいつもひとつ」(名探偵コナン)
あ・・・
コナンと久能整の「真実」の定義はそもそも違うけど、国語の読解問題のように作者や登場人物など特定の人がどう思ったかの真実はひとつか。
でも、たしか谷川俊太郎だったと思うけど、「国語の読解問題に自分の詩がよく採用されるけど、間違った解釈をされていることがある」的なことを話していた記憶があるんだよな。
この俺の記憶が真実か事実かわからない事実が真実である事実。
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