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自分の言葉を、思想を、感情を、徒然なるままに綴ろう。 価値観やら、人生やら、ふと思っ…

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自分の言葉を、思想を、感情を、徒然なるままに綴ろう。 価値観やら、人生やら、ふと思ったことを気まぐれに書き散らす枠。 夢:大人のための絵本を出版する https://instagram.com/koruri31?utm_medium=copy_link

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普通など無い。たくさんの個性があるだけだ。貴方は変ではない。

共感されなくて良い。ただ私の思う事を書いていく。 私は普通ではないのかもしれない。 この世界は、特に日本は、普通である事、他人と同じであることを求めすぎている。 なんでもかんでも、共感性を求める。 同じでなければ、、、自分が枠から外れてしまうことに恐怖を感じる。 それは時にイジメや仲間外れという形で襲ってくる。 しかし、生まれた場所、時代、好きなもの、同じ経験をしても感じることや着眼点が異なる方が、当たり前なのではないか。 普通であることを押し付ける、この世界がおか

    • 人を分類するのに意味はあるのか。 性別、血液型、星座、出身地、学歴…etc

      人間は、何かと分類したがりな生き物だ。 大きく動物と植物と分けてみたり、ヒトとイヌと魚類と…と分けてみたり、 それは動物学的分類なのでまぁ理解に難しくない。 では、人間をいろいろ分類しているのはどういうわけか。 人間ほど複雑化したものはないのに。 でも単純化しないと、理解ができないのも事実です。 どこかに所属・帰属しないと語り始める事すらできない その人なりの定義づけなのでしょう。 でもその定義が正しいかどうかなんて分からない。 誰にでも当てはまるし、当てはまらない

      • 今日の夢は (ひとりごと)

        自分が京都大学に進学する夢を見た。 一度働きに出たが、働くばかりが大人の役割ではないと感じたからだ。 同様に、結婚出産する役割も担うつもりがない私である。 研究職を極めるルートの自分を妄想する。 (何の研究かは未定、たぶん白衣は着ている) 後日、同じ車両の女性が読んでいた本をチラ見した。 英語で書かれた数学の本だ。 見覚えのあるような無いような数式が見えるが、文章は読めない。さっぱりぱりだ。 …私はやっぱり京大には入れない。 と、僅かな落胆と共に、数学は万国共通なんだな

        • ツチヤ菌に感染したので自主隔離します。

          最近、ツチヤ菌に感染した。 昨今の情勢もあり、毎日手洗いうがい、マスクを着用し、黙食も徹底していたのにも関わらずだ。 特別した事と言えば、在宅して、土屋賢二さんが書いた本を読んだだけだ。 ※ツチヤ菌感染者とは、哲学の教授である土屋賢二先生の著書を読むことで、その思考法に侵された者を言う。主な症状は、自分にとって都合の悪いことを、自分の都合よく曲解し、論破しようとして幾度となく失敗しつつ、それでも図々しく生きるようになる(本人は謙虚だと言い張る)。 * 事の発端は、他人のお

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          飯テロ推進派。

          生きてる内に感じる様々な幸福感の中に ご飯を食べることからしか得られない幸福感ってあると思うのだが それが最近よく分からなくなっている 空腹を感じることなく なんとなく時間が来たから食べるけど それに意味など感じていない 物理的に満たされていても 気持ちが満たされない食事しかできてないのか そんな私は今、無性に唐揚げが食べたい。笑

          飯テロ推進派。

          夜の深海

          日の暮れ果てた、21時過ぎ。 東京の中心地からベッドタウンまで、夜の車窓より。 私は視界を流れていく夜の街並みをただ眺めている。 それは、何かを見ているようで、何も見ていない。 空中を見つめる猫のように、一点を凝視するが、その瞳には何も映らない。 金曜の夜、脳みそがパンクし、ショートしている(ショート寸前という表現はよくあるが、すでに一線は超えている)が為に、目の前の風景よりも、自分の頭の中ばかりを注視してしまう。 一人反省会。最後はたいてい、悲しいor恥ずかしいor怒

          夜の深海

          日曜の夕方くらいに、 私何やってるんだろう…という虚無感と、 明日が来ることへの恐怖か焦りかで 心臓がきゅぅと音を立てる。 この感覚をあと何回味わうことになるんだろうか。

          日曜の夕方くらいに、 私何やってるんだろう…という虚無感と、 明日が来ることへの恐怖か焦りかで 心臓がきゅぅと音を立てる。 この感覚をあと何回味わうことになるんだろうか。

          気まぐれ本選びの大切さ。

          気まぐれに本屋に行き、偶然手に取った本が、まるで自分の中の空いた部分を埋めてくれるような感覚があるが、(特に何かに悩んでいるときは顕著に) よく考えれば、確かに当たり前のことではある。 その時の悩みであったり、自分の頭の中を何かのトピックスが占めている時に、本屋の平積みの中に、今まさに知りたいことや、気になるキャッチコピーが目に飛び込んできて、お?これは⁉︎気になる!となる。 読書は、自分の精神状態や心の受け入れ態勢が整った上で、その本を読むことで意味を成す。 だから、

          気まぐれ本選びの大切さ。

          【自由詩】推しさがし。

          〜しか勝たん。〜推し。〜オタク。〜蒐集家。 これの為なら我慢できる、なにかを犠牲にできる 時間を捧げる、金銭も捧げる そういった存在。 自分の存在理由たらしめるもの。 いわば「生きがい」というもの。 かわいい子供やペットのために仕事頑張るとか 好きな人と一緒に過ごす時間を捻出するとか 食べるのが好きなら、たくさん食べたいから稼ぐとか 旅行好きなら、そのために節約貯金するとか そんな推しがあったら 今の漫然とした凡愚な毎日も ワクワクのない仕事にだって耐えられ

          【自由詩】推しさがし。

          文字が書きたい生き物です。

          ふとした時に、文字を書きたくなる。 文字を書く作業は、自分の中を浮遊する感情や状況や思考を、手を動かす動作と共に形に落とし込む作業なんだ。視覚的に認識できる状態にすることなんだ。 それは、ボールペンや万年筆などで書くときもあるだろうし、 キーボードで、打っているときもあるだろう。 どちらにしても、一文字一文字が浮かび上がって、積み重なっていくもので、 その時に、紙を引っ掻くような音であったり、ボタンをパチパチ弾く音であったり、 「小さな音とともに、文字が一つずつ現れてく

          文字が書きたい生き物です。

          ヤドカリ生活ー家とは何なのかー

          働き世代。20代・30代。 就職し、その時に初めて東京を訪れた。 私もその一人だ。 会社と家の往復。 同じ学校だった人も居るかもしれないが、友達とは呼べない。 友達がいたとしても、会う時間も合わない。 結婚したりで、生活のスタイルが移り変われば、余計に噛み合わない。 自分が、取るに足らない孤独の存在だと自覚していく。 夜。夕飯を食べる気力もなく、ベッドに沈む。 暗闇の中でスマートフォンをいじる悪習慣。 そして、引っ越す気があるのかないのか、不動産屋のホームページを開く。

          ヤドカリ生活ー家とは何なのかー

          夜中の日記にもならないメモ

          ひとりごとが増えた 話す相手がいれば良かったけれど あんまりブツブツ言う訳にもいかないので 代わりにキーボードを叩いている 文章の中で会話をする 書き手は私、読み手も私 孤独のコミュニケーション 特筆するような1日だった訳でもないけれど 昨日とは別の1日だったはずだ でも振り返らなければ 有ったのか無かったのか定かでない曖昧な存在になる そうして永遠に消え去ってしまう せめて自分の手元に残しておきたいと強く思う 忘れることが増えた なにか大事なこと

          夜中の日記にもならないメモ

          ネガティブにならない為に。(戯言備忘録)

          寒いこと、お腹が空いていること、孤独なこと。あと睡眠不足。 これらは、ネガティブな気持ちになる。 どんなに貧しくても、温かい居場所があれば、幸せだ。 どんなに裕福でも、ひとりぼっちの冷えたご飯と部屋だと、悲しくなる。 だから、程々に自分を許す空間を作り出す。 …そういえば、似たような言葉をどこかで聞いた。 サマーウォーズの栄ばあちゃんだったかな。 昨年、一日一食で、一人暮らしで、見知らぬ土地で、部屋も寒いし、動きたくない…でもしなければ…でも…でも…みたいな生活を

          ネガティブにならない為に。(戯言備忘録)

          2021自分史を振り返ろう。

          今年を振り返ってみる。 何かしようが何もしなかろうが、時は平等に通り過ぎて、年老いていく私達。 年末年始くらいは立ち止まって振り返ろう。 ハッと気づいた時には自分の知らぬ間に驚くほどに年老いていて、浦島太郎的気持ちになってしまうんだ。 人は“終わり“や“ケジメ“を作らないと、いつまでもダラダラしちゃう生き物だからね。 さて私の2021は、まさに厄年だったようにも思われる。 端的にいえば、メンタル崩壊による基本的生活力の低下、自死を考えたり生き方について悩んでばかりでした

          2021自分史を振り返ろう。

          住まいを支配するのは、モノなのか。

          生活しやすさや住み心地は、家具に宿るのだろうか。 私事だが、先日引っ越しをした。 家具を運び出し、がらんどうになった部屋は、 あまりにもよそよそしい空気がする。 昨日までここに暮らしていたのに、まるで何もなかったみたいな他人行儀。 家具を運び入れた、私のモノを詰め込まれた新居は、顔馴染みのような気がしてくる。 内見時ここで生活できるのか不安だった気持ちを払拭するくらいの安心感。 建築は、結局は単なる容器なんだろうか? 個人の所有物を詰め込めるだけ詰め込んでしまうのか。

          住まいを支配するのは、モノなのか。

          私たちは頭数でしかない。

          東京の街なか、縦横無尽につながる電車に乗っていると、ふと思う。 人間を、単数1で見ていることに。 その人にも生活があって、家族があることは頭では分かっている。 それでも数多の1がある。あるいは、1つの群衆という大きな単位でしか捉えられない。 似たような感覚が連日ニュースでやっている。 観客○名、死傷者○名、感染者○名… 数字で言われた途端、それはまるで自分に関係のないものであるかのように錯覚している。 その数の1つに自分も含まれることがあると、忘れてしまう。 数

          私たちは頭数でしかない。