住まいを支配するのは、モノなのか。

生活しやすさや住み心地は、家具に宿るのだろうか。

私事だが、先日引っ越しをした。

家具を運び出し、がらんどうになった部屋は、
あまりにもよそよそしい空気がする。
昨日までここに暮らしていたのに、まるで何もなかったみたいな他人行儀。

家具を運び入れた、私のモノを詰め込まれた新居は、顔馴染みのような気がしてくる。
内見時ここで生活できるのか不安だった気持ちを払拭するくらいの安心感。

建築は、結局は単なる容器なんだろうか?
個人の所有物を詰め込めるだけ詰め込んでしまうのか。

生活を形づくるのは、家具なんだろうか?
生活を穏やかに豊かにできるか、ゴミ屋敷のようにするかは、住まい手の問題なんだろうか。

人は、与えられた環境で、上手いこと工夫して暮らしていくだけなのだろうか。

固定資産を持たない、ヤドカリ生活。
それは、仮初めの居場所。

賃貸マンション、アパート。
似たような間取り、窓が並ぶ。
その一つ一つに、生活があり、人生が詰まっている。

やるべき事が立て込み、仕事も私事も上手くいかない、荒れた部屋。
モノに囲まれ、もはや本人の居場所よりもモノの存在感の方が強い。
誰のための空間か、何のための家賃か、分からない。

あの場所にだけは戻りたくない。

引っ越し時、いろんなモノを捨てた。
使わないけど捨てられないモノもあった。
結局捨てるのなら、最初から買わなければ良いのに、と思いながらゴミ袋に突っ込んだ。
いまや、新しくモノを買うのを躊躇する。

何回か引っ越しながら、モノを削ぎ落としていく生活をしようか…そんなことを思案中。

されど避けられない問題がある。
実家の荷物問題である。

なにかの折に不要なモノを実家に預かって貰っていた身からすれば、あれを最終的に片付けるのは自分なのか…と身震いする。

あぁ…なんでこんなにモノが多いんだぁ!(叫)

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