普通など無い。たくさんの個性があるだけだ。貴方は変ではない。

共感されなくて良い。ただ私の思う事を書いていく。

私は普通ではないのかもしれない。

この世界は、特に日本は、普通である事、他人と同じであることを求めすぎている。

なんでもかんでも、共感性を求める。

同じでなければ、、、自分が枠から外れてしまうことに恐怖を感じる。
それは時にイジメや仲間外れという形で襲ってくる。

しかし、生まれた場所、時代、好きなもの、同じ経験をしても感じることや着眼点が異なる方が、当たり前なのではないか。
普通であることを押し付ける、この世界がおかしいのではないか。

だから、学歴で判断もされたくない。性別で判断もされたくない。
枠で捉えた小さな世界、貴方の価値観を私に押し付けないでほしい。
貴方の思う普通は、私の普通ではないのだから。

ただ純粋なる私を見てほしい。

本当の自分を知ってほしいと思うのならば、コミュニケーションが必要だ。
ひとつひとつ互いの違う部分を照らし合わせるような対話が。

怖がらずに、私はこれが好きだと言える場所だけが必要ならば、SNSの世界でいいじゃないか。
匿名のアカウントを持ち、実社会の自分と切り離し、ただ自分が好きなものにいいねを押す。知っている人には誰にも見られないが、同じものに対していいねを押す世界中の人々に、勝手ながら仲間意識を感じている。
ああ私は1人ではないと。
(もちろん同じものにいいねを押している者同士の着眼点も違うのだろうけど)

幸いなことに様々なコンテンツが溢れている。
私は特に、InstagramとYouTubeが好きだ。
正直、映えてるかどうかはどうでも良い。
同じものを見ていても、写真として切り取る箇所が違う。

その人独自の着眼点や考え方が詰まっている。あれこそ個性の塊ではないか。
合わないと感じれば、立ち去ればいい。自分に合うもの、好きなものだけを集めれば、私は幸せでいられる。
たとえ周りに理解されないことだとしても、それでいいじゃないか。

私は、子供の頃から変わった言動が多かったのもあるが、それを私の個性だと認めてくれた周囲の大人には感謝している。おかげで今の私がいる。

人と違うことは、愛すべき個性である。
自分は自分であること、それに自信を持っていきたい。

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