ヤドカリ生活ー家とは何なのかー

働き世代。20代・30代。
就職し、その時に初めて東京を訪れた。
私もその一人だ。

会社と家の往復。
同じ学校だった人も居るかもしれないが、友達とは呼べない。
友達がいたとしても、会う時間も合わない。
結婚したりで、生活のスタイルが移り変われば、余計に噛み合わない。
自分が、取るに足らない孤独の存在だと自覚していく。

夜。夕飯を食べる気力もなく、ベッドに沈む。
暗闇の中でスマートフォンをいじる悪習慣。
そして、引っ越す気があるのかないのか、不動産屋のホームページを開く。
お金に糸目をつけなければ、夢だって広がっていくのだろうけれど、
どの不動産情報を覗いてみても、どこも似たり寄ったりで、決め手なんてありゃしない。
特に賃貸は。別にこだわりだって無い。

一つだけ、文句がある。
東京の物件(希望の家賃で)はキッチンが激狭過ぎて本当に嫌。
別に料理好きってわけでも無いけれど、あんなに狭いんじゃ調理をする気も失せる。
外で食べたりコンビニのものが多いから、調理しない前提で設計してるんだろうか。
だとしたら、家によって自分の生活スタイルを捻じ曲げられてしまう。そんなのは嫌だ。
最低限、味噌汁くらいは作りたいんだ。カレーも作りたい。

そんな空間的余裕のある物件はなかなか空かないから、情報が出ないのか。

6畳一間の何の変哲もないワンルーム。
時々思う。囚人のようだ、働く奴隷のようだ、ここは独房なのか、と。

結局は、睡眠時間を除けば、外にいる時間の方が長いのではないか?と。
そう思うと、家を借りるなんて事はコスパが悪いんだろうか。

いつだって出ていけるのに、どうしてここにいなければいけないのか。
私はこの街にもこの家にも、不満はないけれど、執着や愛情もないんだ。

改めて思う。私にとって家とはどんな存在なのか。
住んでみたい場所はある。
屋上、塔屋のような小スペース。最低限の荷物。洗濯物と晴天の中のお昼寝。
海街、階段状に連なる古民家、窓から見える海と街並み、吹き抜ける風。
縁側、平家建て庭付き一軒家、猫と一緒に日向ぼっこ。
いっそのことキャンピングカー的なものを自作、日本縦断。お風呂は借りるスタイル。

住むためにあらかじめ作られた万人向けの「住むためだけの家」じゃ満足できない。

生活をデザインしなければ。自分の生活を、自分の人生を。
住宅は、そのための器でしかないのだから。

とか何とか考えている時に、Youtubeでトラックの荷台に小さな家を作って生活する動画を見る。こういうことがしたいのよ。面白おかしく生きたいのよ。

自分の生き方を、自分でデザインしたいんだ。

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