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私の勉強法。「得意教科は英語です」

今日は勉強法や勉強歴について話したいと思います。特に中学時代の英語になります。いろいろ反省も込めて思い出しながら記していきます。


話はまず小6に遡ります。小学校の6年の時に近所の英語の塾に友達みんな行くことになりましたが、私は申し込むのが遅れて定員いっぱいになり行くことができませんでした。塾など他にあまり近所にない田舎エリアでしたので遠方の方までわざわざ英語を習いに行くという気力もなかったです。

結果、私は学習塾に行ったり家庭教師に来てもらう機会が小中高とありませんでした。小学校時代に書道へ少し通ったぐらいです。親も教育熱心ではなかったですし、実家が貧乏だったせいもあります。


1983年4月、近所の公立中学校へ入学しました。当時は小学校で英語は全く教えられてませんでした。英語は初体験です。中1の2学期ぐらいまで英語の成績は散々たるものでした

今から考えると1学期最初の英語の中間テストはすごく簡単にしてくれているはずなのですが、私は平均点よりかなり下回っていました。

ただ、私は全く勉強ができなかったというわけでもなく、文系科目である国語、社会は小学校から得意な方でした。

そして同じ文系科目である英語もきっかけは忘れましたが、徐々に勉強するようになりました。

当時学研のマイコーチという月一で来る教材を親に買ってもらっていました。各教科ごとに分かれて1冊毎月送られてくるものでした。小学校の時の「学研の科学と学習」の続きのような感じでしたので、近所の学研教材を配達する方が配ってくれてたのかもしれません。

そのマイコーチは英語と数学を購入していたのですが、英語については毎月真面目にするようになりました。

特に中2になって英語を担当する先生も変わったのもきっかけになりました。コツコツと時間のかかる英語の勉強方法をその先生から教わり、しっかり実践していきました

その英語の勉強法とは、教科書の本文をノートの左側に写し、右側にはその日本語訳を書き、また右の端に新出単語を書くというものでした。よくあるやつです。

単語については、既出のものであっても、その時わからなかったら必ず日本語訳を調べて書いていました。英単語は複数の意味があるので、そこもきっちりノートに記していました。

その甲斐あり、英語の成績が飛躍的に上がっていきました。そうなると英語の勉強が楽しくなりました

私は基本的には勉強に対して不真面目で、当時から教科書やノートは学校の机やロッカーに置きっぱなしでした。しかし、英語の教科書とノートだけは毎日持って帰っていました。

そして、ついに人間というのは天狗になるものです。中学生のクセに「英語なんて簡単なものを中学校の教科に入れていいのかな」と思うようになりました。

しかし、得意教科といっても結局中学高校と英語の定期考査で100点をとることはなかったです。だいたい90点ぐらいだったと記憶しています。100点を絶対とるぞという執念もなかったからかもしれません。英語はカンタンだなとは思っていましたが、結局隅々まではやってなかったのです。


当時苦手教科はもちろんありました。特に理数系は非常に苦手でした。苦手意識が強すぎて勉強する気力もなかったです。中学校の時数学の定期考査の点数は一桁が多数を占めていました。

英語は100点近くとるのに、理科数学は全くの苦手という極端でした。毎月購入していたマイコーチの数学もほとんど手を付けることはなかったです。


その後公立高校普通科に進学しました。その高校は全く進学校ではなく、ヤンキーが多くいる高校でした。

私の代である1988年度卒業の同級生が4年制大学に現役で入学したのは1割ぐらいでしょうか。国公立大学に現役で入ったのは1人しか記憶にありません。そういう高校でしたので、英語の授業レベルは私にとっては非常に簡単でした。高2までは。

しかし、高3の時に「国公立進学クラス」に進むことになり、そこで、今のセンター試験である当時の共通一次テストに立ち向かえるレベルの英語の授業を受けることになります。

話は逸れます。国公立進学クラスといっても、私はヤンキーと一緒のクラスがイヤだからそこに来ただけでした。他のクラスメートもだいたいそんな感じでした。国公立大学に進学しようという気は私を含めてほとんどの生徒がなかったと思います。

その高3の国公立進学クラスで、授業妨害やイジメなどがない、初めて落ち着いた普通の高校生活が送れたと記憶しています。

脱線した話を戻しますが、そのクラスでの英語の授業では、もはや今までのチンタラした我流の英語の勉強では歯が立たなくなりました。高3になると中1の3学期あたりから続いてきた「得意教科は英語です」が終わってしまったのです。

私は高3の時、全国模試の偏差値が43~45ぐらいでした。これは国語、英語、社会だけの偏差値です。英語は50ぐらいだったと思います。

その後横着者の私は、受験勉強などほぼすることなく、誰でも入れるような地方の私立大学へ小論文と面接だけの特別推薦で合格することができました。

ちなみに、その大学の当時(1989~1993年)の授業料は、私立大学にしては格安の年間50万弱でした。貧乏家庭で育ったので、それがその大学を選ぶ決め手の1つにもなりました。

24歳の時にオーストラリアへワーキングホリデーに行ったりしてきましたが、当時も今も英語はなかなか難しいですね。今は英語などほとんど使うことがない仕事をしているので英語力はかなり下がっていると感じます。


理数系に関しては、私が大学生の時に中学生対象の家庭教師や学習塾講師のバイトをするようになり、5教科を教えなければならなくなり、猛勉強した結果どうにか公立高校の入試レベルならば時間をかければ教えられるぐらいになりました。今は無理ですが。

自分が中学生の時も「理数系は難しい」という思い込みを一切なくしてコツコツ勉強すれば、もう少し理解できのかなとちょっと後悔しています。

勉強は、やはり「自分はどうせできない」という思い込みが一番ダメですね。スモールステップで徐々にやっていけばある程度まではできます。その考えを中学生の時にマスターしておけばもう少し上の高校や大学に行けたのかなと感じています。


といいながら、今51歳になり、新たに資格試験などにチャレンジすることを避けています。この年齢になってどうせ頭が働かないと思い込んで逃げています

ダメですね。まだまだやればできる!と思わないと。

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