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新世紀の読書論
まえがき:読書離れと読解力低下について
ネット上には明らかに文章を読めない人、書いてあることを読まない人、読解力のない人(誤読する人)が多いです。
「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができぬぞ…」といったツイートが少し前に話題になっていましたが、文章が読めない人が多いという指摘は他にも多くあります。
たとえば、ミュージシャンの後藤正文は次のように述べています。
Twitterして分かったのは、ちゃんと読むひとと読まない人のコントラストが思っている以上にあるってことですね。読むっていうのは文字通り記事を読むこともそうだし、意味を読み取る、読解力の問題でもあるというか。まあ、俺の読解力も常に問われているわけだけれども。
— Gotch / Masafumi Gotoh (@gotch_akg) May 8, 2020
他にも文章を読めない人についての指摘は多くありますので一通り列挙してみましょう。
頭の良くない人って、テキスト読ませると「書いてないことを読み上げる」んだよね。てにをは、接続詞、助詞など細かいところまで丁寧に拾って読めないの。雰囲気で読んでるの。だから私は家庭教師や塾講師、知人の子の勉強を見る時はまず一番最初に「教科書声に出して読んでみて」って学力チェックする
— 小林幸子(。◕ ∀ ◕。)凡夫 (@sateco) January 28, 2020
文章読み慣れてない人というか国語の読解苦手そうな人、文章として構成された内容ではなく文章中のキーワードだけ拾って「そのキーワードを含む自分の経験が脳内に再生されその話をしてるのだと判断する」みたいな出来の悪いAIみたいな仕組みになってるのではないか、という仮説を持っている。
— 西内啓 Hiromu Nishiuchi (@philomyu) January 12, 2022
文脈を「読めない/読まない」者が多数派形成しながら知性を脅かす時代であることを、いろんな界隈で実感させられる今日このごろでありますよ。
— マライ・メントライン@職業はドイツ人 (@marei_de_pon) April 24, 2022
「ある文章を読んで、書いてあるとおりに理解できる」というのは、特別な才能です。ほとんどの人は、「文章を読んで自分が思ったこと」を、「そう書いてあった」と錯覚します。書かれたことと、読み取ったこと。両者は別のものです。
— 生田美和 (@shodamiwa) January 13, 2022
若年層のSNS利用、InstagramやTikTokがメインになっているというのは、いろいろ考えさせられますね。
— NAL(COMIC1☆24 F-28a) (@NAL_MUTHU) July 11, 2022
それって「文章を読む(読み解く)」ことが不得手な割合が増えている、ということとも関わりがあるのでしょうし。
PRの手段として有効という話とは別に、何というか「危うさ」も同居してるなあと。
確かに、ネットを利用していると明らかに文章を読めていない人(あるいは、そもそも読んですらいない人)を結構な頻度で目にします。例えば、ニュース記事へのコメントを覗いてみると、明らかにニュースを読まずに、ニュースの内容とは全く関係のないコメントをしている人が結構います。経済評論家の加谷珪一も次のように述べています。
ニュースサイトのコメント欄を見ても、明らかに文章を読んでいない人のコメントや、ひとつのキーワードだけに反応し、文脈をまったく無視したコメントが無数にアップされているのが現実です。文章を読んでいない、あるいは読めていない人が一定数存在しているのは間違いないでしょう。
こういった「文脈をまったく無視したコメント」(いわゆる「クソリプ」と呼ばれるもの)をツイッター上では当たり前のように目にします。ジャーナリストの佐々木俊尚はクソリプは読解力の不足が原因ではないかと指摘しています。
ジャーナリストの佐々木俊尚氏は、ツイッターでのクソリプ(どうしようもない返信のことを指すネット上のスラング)の原因は大半が読解力の不足によるものではないか、と指摘しています。
確かに、的外れなコメントをしているネットユーザーは割と見かけますが、そういった原因は読解力不足と考えられます。文章を読み解けない(あるいは、そもそも読まない)人がいることで、まともに意思疎通(コミュニケート)することも出来ないといったことは、ネット上ならばよくあることのように思えます。
評論家の樋口裕一は「読解力」について次のような興味深いことを述べています。
読解力、すなわち、物事を読み取り、理解する力。これこそが人間社会で生き抜くために不可欠な力だと断言してよかろう。人間は、日々、読み取って生きている。周囲の人間関係を読み取り、社会現象を読み取り、自然現象を読み取っている。そして、もちろん文章も読み取り、図表を読み取っている。これらの力があれば、現代社会を生き抜いていける。読み取る事ができなければ、物事を理解することができず、あらゆることに関して、手をこまねいているほかない。つまりは、読解力のある人が、社会では「頭がいい人」とみなされる。読解力のない人が、愚かな人とみなされる。普通、「読解力」という言葉は、狭義に解されて、「文章を読解する力」を意味する。それには理由がある。すべての現象を読み取る力の基本になるのが、文章を読み取る力なのだ。(中略)端的に言ってしまえば、文章を読み取れる人は、様々な現象が読み取れる頭のいい人であり、文章を読み取れない人は、様々な現象を読み取れない愚かな人ということになる。
(誤読も含め)文章が読めないということは、本を読むことも新聞を読むこともできません。そうなれば、本や新聞などの媒体から情報を手に入れることが出来ないわけですから、文章から情報を得ることができず、「様々な現象を読み取れない」と考えられます。
ニュースを読み解けず、社会で起きている様々な現象を読み解けないと考えられます。本を読まない(読めない、読み解けない)わけですから、大して知識を増やすこともできず、様々な現象が読み解けないと考えられます。
平成30年に行われた文化庁の調査によれば、日本国民の約二人に一人は一カ月の間に一冊も本を読まないといいます。
1か月に大体何冊くらい本を読むかを尋ねた。
「読まない」が 47.3%,「1,2 冊」が 37.6%,「3,4 冊」が 8.6%,「5,6 冊」と「7 冊以上」がそれぞれ 3.2%となっており,1 冊以上読むと答えた人の割合が 52.6%である。
日本では「読書離れ」や「活字離れ」といったことが進んできていると言われていますが、実際、日本国民は殆ど本を読まなくなってきています。そうした状況に対して、教育学者の齋藤孝は次のように批判しています。
今の学生は、知的な本を読む習慣さえ持っていません。(中略)小説ともいえない通俗小説や、内容の薄いエッセイ、あるいは漫画がほとんどです。さほど難解ではないはずの新書レベルの本でさえ、読んでいる学生は非常に少ない。(中略)基本的な向学心というものは、読書量に表れます。本を読まない学生を見ていると、向学心の衰退を認めざるを得ません。(中略)これは学生に限った話ではありません。学生時代に本を読む習慣を身につけないと、社会人になってからはなおさら読みません。大人の”本離れ”は深刻です。たとえば読売新聞が二〇〇七年十月に行った調査によると、「この一ヵ月間に読んだ本の冊数」という設問に対し、「読まなかった」という回答が五一・五パーセントにも達しています。敷衍して考えれば、国民の半数以上が一冊も本を読んでいないということです。これでは「バカ社会」になるのも、仕方ないことかもしれません。
現代人があまり本を読まないことで日本社会が「バカ社会」になってきているという指摘です。確かに、本を読まない人は教養がない人が多い気がします。
日本ではあまり本を読む人はいませんし、読まれていても「知的な本」とさえ言えないような漫画や雑誌ばかりです。本の売り上げをジャンル別でみてもヴィジュアル的な(活字のほとんどない)「雑誌」や「漫画」が大半を占めていることを示す調査もあります。
残念ながら、ほとんどの人は読書をしていません。では、本の代わりに何を見ているのか。それはテレビやインターネット(主にSNS)などでしょう。総務省の調べによると、30代以上はテレビの視聴が多く、10代、20代はネットの使用時間が長い傾向にあると言います。
日本では、総務省情報通信政策研究所が、2013年より毎年、国民の情報通信メディアの使用をアンケート調査している。この原稿を執筆している2021年1月時点では、2020年に収集されたデータが最新のものとなる(中略)。この統計を見ると、まずテレビ視聴時間(リアルタイムの視聴)とネット使用時間が、世代間で明確に違っていることがわかる。30代以上では、テレビ視聴の割合が高いが、10代、20代では逆にネットの平均使用時間のほうが長い。
では、若者たち(本稿では「2000年以降に生まれ、デジタル・テクノロジーとともに育ってきた」世代を指す)はネットで何をしているのでしょうか。言語学者のバトラー後藤裕子によれば、若者たちのネットの使用状況は次のような感じになると言います。
ここまでの統計データから見えてきたことをまとめよう。日本もアメリカも、デジタル世代では、非常に幼い時期からテレビ、動画、アプリなどを視聴し(中略)デジタル・テクノロジーは彼らの生活の一部になっている。(中略)一日の多くの時間を、ソーシャル・ネットワーク・サービス、動画の投稿・視聴、ゲームに費やしている。SNSの中では、Instagramなど、文字への依存度の少ない写真、動画共有アプリの伸びが顕著である。
後藤によれば、若者たち(後藤は「デジタル世代」と呼んでいる)は文字への依存度の少ないSNS以外ではテクスト(文章)に触れる機会が殆どないと言います。
デジタル世代のSNS使用は動画中心へとますます加速している。したがって、SNS以外でテクストに触れる機会がない(中略)。
近年、若者たちの間では、文章を読むという面倒なプロセスを省いて簡単に情報を手に入れられることから、短い動画コンテンツを中心とした「TikTok」というSNSでの情報収集が主流になり始めているという指摘もあるほどです。
つまり、30代以上はテレビ、20代以下は文字への依存度の低いSNSや動画サイト(YouTubeなど)が主に触れているメディアであり、ほとんどすべての世代が文字を読んでいないことがわかります。
現代の日本人は、殆ど文章を読まない、あるいは読み解けないほど読解力が危機的状況にあると考えられます。数学者の新井紀子が、中高生の基礎的読解力を調べた調査結果をまとめた『AI vs 教科書が読めない子どもたち』が話題になっていましたが、その新井の行った調査でも日本人の読解力は危機的状況であると結論付けられていました。
結論から申し上げますと、日本の中高生の読解力は危機的と言ってもよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができていません。なんだ中高生か、と思わないでください。読解力というような要素は、ほとんど高校卒業までには獲得されます。特別な訓練を受ければ大人になってからでも読解力が飛躍的に向上することはありますが、そうしたケースは稀です。日本の教育体系は、時代に応じて小さな変更は繰り返していますが、大枠は変わっておらず、今の中高生が前の世代の人々と比べ突出して能力が劣るとは考えられません。つまり、中高生の読解力が危機的な状況にあるということは、多くの日本人の読解力もまた危機的な状況にあることだと言っても過言ではないと思われます。
日本人のほとんどは実際は、大して日本語の文章を読めていない(読み解けていない)のではないか。だとすれば、ある仮説が浮かんできます。それは、文章を読めないことで、新聞(ニュース)を読めないリテラシーの低い人間、本を読んで教養を身につけられない人間、(文章を中心とした)SNSでのコミュニ―ケーションが難しい人間が増えているのではないか。本稿では、こうした仮説を調べるために、哲学、人類学、教育学、文学、神経科学、社会情報学などを横断しながら、仮説の裏付けをしていこうと思います。そして、動画メディアや音声メディアがある時代でもなぜ文章を読むことが大事なのか、読書は大事なのかについても考えていこうと思います。
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