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「ひとと比較しない」がむずかしい理由

コペンハーゲンプライド(Copenhagen Pride)2023が
8月12日〜20日まで開催されていた。

1996年から毎年行われる人権イベントであり、
主にLGBTに関連する問題に焦点を当てたもの。

ざっくりいうと、レインボーを身につけたお祭り。

政治的な問題をアート・エンタメと合わせたり
愛、ジェンダー、人権を扱ったりしながら
「誰もが平等に」を祝っている。

毎年、有名人がパレードに参加するし、
まあまあな中心地を
結構な範囲で通行止めしている。

去年(2022年)は3万人がパレードを歩き
20万人以上がパレードを見ていたらしい。

パレードは「市庁舎→別の市庁舎」のルートをたどる。
都庁に始まり新宿区役所で終わる、みたいな。

いかに、市(国)をあげて
賛同の意を表しているかが伝わる。

今年は、はじめてパレードに使われる車が
クリーンエネルギー車になったらしい。

すばらしいニュースにさすが!と思ったが
「この対応するの、遅くない?」
と示唆するデンマークの新聞があった。
いつも一枚上手なんだよな、デンマーク。

町中のレインボーカラー。
ほっぺにたくさんのレインボーカラー。

変装した大人たちが街を貸し切って
パーティーしているたのしい空間だった。

今わたしはデンマークに暮らしている。
日本人のわたしでも「外国人」であることに対して
差別をされたり、孤独を感じたりしたことはない。

この国に差別を探す方が難しいのでは?とおもうほど、
ありがたい環境で生きているのだ。

ありがたい、ありがとう!!!!!!

だからこの「コペンハーゲンプライド」も
きれいごとではなく、意味をなしていると感じる。

(このイベントがあるということは、
この国でさえ、まだ”普通”ではないということだが、
他の国よりはギャップが少ないことにしておこう。)

きっと「ちがう」ということに対するハードルが
限りなく床に近い低さなのだとおもう。

そうおもうと、差別のない世の中になるには
「ちがって当たり前」を忘れないことが
とても大切なことなんじゃないか。

加えてそれは。

意外と、遠いときの方が「ちがっていいじゃん」
といいやすいんじゃないか。

言い換えると、「ちがって当たり前」は、
近いほど忘れやすいことな気がする。

電車で外国人がうるさくても「まあまあ」とおもうが
日本人がうるさいと「おい」っておもうし

社外の人の失礼な言葉より
社内の人の失礼な言葉の方が気になるし

他部署の人の意見より
直上司の意見の方が神経質になるし

友達のだらしない姿より
家族のだらしない姿の方が「なんで!」っておもうし。

遠いからこそ「ちがって当たり前だよね」っておもえて
「それいいじゃん!」って(軽く)言えてしまう。

だから一番ちかい自分のことを
「ちがって当たり前だよね」
いうのが難しいのかもね、っておもったり

デンマークはある種
自分以外を「外のもの」と認識していて、
ドライといえるのかもね、っておもったり。

ちがうから、分かり合えないね!バイバーイ!
だとただの無関心。

マザーテレサが
愛の反対は無関心といったのは有名な話。
これだと愛のかけらもない。

ちがうの当たり前だよね、じゃあどうする?
を忘れずにいたいし、

自分へ向けた「愛(無関心の対語)」が
ちかいからといってねじ曲がらないようにしたい。

自分にも「ちがって当たり前だよ」と
愛を向けてあげたい。

今日は1人で横を通っただけだったが
ほんとうは、一緒になって
たのしくおどりたかったな🌈🏳️‍🌈

もしくはほっぺにレインボー描いて
浴衣着て、祭り練り歩きたかったな🌈🕑

パレード範囲外のカフェも応援
パレードに歩き疲れたひとたち
企業も応援。
ウォッカの企業、言葉も秀逸すぎるのよね。
ポリスも馬でパレードに向かって行く。
レイン帽(言いたいだけ)

お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!