木野花志乃

フリーランスライター。日々思うことをづれづれなるままに記していきます。

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マガジン

  • ロッケンロールばばあになる方法

    カワイイおばあちゃんになるなんて無理! ならば、ロックなばあさんになればいい!日々のいろいろ、てきとうに更新。

  • 夕凪図書館 (仮)

    本にまつわるエッセイのようなものを書いていきます。 FBやブログで連載していたものを加筆・修正し、アーカイブとして残すものもあります。

  • さよならリスト

    モノを快く手放すためのリスト。不定期更新。

最近の記事

居心地というもの

イタリアン 昨年の夏、近所に新しいイタリアンの店がオープンした。 さほど広くはないフロアに、ふたりがけのテーブルが7、8席。 小さなカウンター席もある。 チェーン店ばかりが増えていくなかで、 こういうお店はなかなか貴重。 入口付近はガラス張りで、店内の様子がよくわかる。 いつ通りかかっても、いつも混んでいるから、 もう少し落ち着いたら行ってみよう、 と思っていたらすっかり冬になってしまった。 そろそろ行ってみようか。 金曜日だし混んでいるかもしれないから、 念のため、予

    • 一生着られる服

      甥っ子の結婚式には、あの服で行こうと決めていた。 10年近く前に購入したワンピース。 一生ものにしようと、ちょっと奮発した記憶がある。 やわらかなジョーゼット生地に、墨絵のような花が描かれていて 色も柄も地味だけれど、 どことなく個性があるところが気に入っていた。 知人の結婚式や、ちょっといいレストランでの食事、 お呼ばれの席など、たびたび重宝した。 シミを付けないように、大切に扱ってきた。 しばらく着ていないが、今回もアレでいけると考えていた。 ところが、緊急事態発生

      • やばい美容院

        これまであちこちの美容院にお世話になってきたが、あれほど落ち着かない店はなかったと思う。 そこは大手チェーンではないけれど、12、3席ある比較的大きい美容院。 ディレクタークラスのベテラン美容師さんが数人いて、そのディレクターそれぞれに2~3人の若手がサポートにつくシステムらしい。 まず驚いたのは、ちっとも落ち着けないこと。 とにかく何度も席を移動させられる。 鏡の前から窓側の席へ。シャンプー台へ。再び鏡の前へ、窓側へ…と、 試しに数えてみたら2時間強で7回、席が代わった

        • 人の話を聞かない人

          「それも老化現象なんじゃない?」 Kちゃんがいった。 なるほど。それは思いつかなった。けど、本当にそうかもしれないな。 と、思ったので書いておきます。              ★ キイロちゃんはおしゃべりが大好き。 身の回りに起きた楽しいこと、楽しくないこと、驚いたこと、ときめいたこと、仕事のこと、プライベートのこと、家族のこと、友だちのこと、 どんな話もエネルギッシュに語ってくれる。 キイロちゃんはおしゃべり好きなだけじゃなくて、話がとっても上手。 だから自然と、輪

        居心地というもの

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          45本
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          3本
        • さよならリスト
          5本

        記事

          自分のいない、自分の世界

          友だちに誘われて、「血管年齢」を測りにいった。 左の人差し指を、クリップのようなもので挟む。そのまま30秒足らずで、血管の具合を機械がはじき出すらしい。 その結果は、…… 「実年齢より13歳老化していることになります」 だと。 しかも、 「毎年2.3歳の速度で老化が進んでいます」 だと!ひーーーーっ まさか、高いサプリでも売りつけようとして、わざと大げさな結果を出したんじゃ……などと、ケチな想像をしてみたが、友だちの結果を見せてもらうと、なんと、実年齢+2歳。 信じ

          自分のいない、自分の世界

          ひとりニューヨークの思い出

          ニューヨークへ行ってみようか。 パリやロンドンに憧れていたわたしが、なぜそう思い立ったのかはもう思い出せない。けれど、この本に少なからず影響を受けたことは確かだろう。 20代後半、初めての一人旅だった。 地図に印をつけながら道順を確かめる。 エンパイヤーステート・ビル、ティファニー本店、ダコタハウス、ストロベリーフィールズ、市立図書館、ブライアント・パーク…… まだネットもスマホもない時代。分厚いガイドブックと、自分のカンだけが頼りだった。 ホテルは小さいけれど、ものすご

          ひとりニューヨークの思い出

          大波でも、さざなみでも

          先週末は3回忌の法要だった。 父がこの世を去って丸2年が経つ。 亡くなったのが秋で、戒名にも「秋」がつく。 ほんとうに、秋のような人だったな、と今思う。 明るく晴れ晴れとしたところもあるけれど、 どこかに淋しさや憂いを持っている人だった。 穏やかで争うことをしない人だったけれど、 頑固でテコでも動かないところのある人だった。 先日、めずらしく夢に父が出てきた。 父らしく、おしゃれして。 「病気はもう治ったのだな」 夢の中でわたしは、父に逢えたうれしさよりも 父が少し

          大波でも、さざなみでも

          保健所に保護されていた犬

          わたしの愛犬・レビは、5年前にG県のM保健所からもらい受けてきた 元保護犬だ。 「保健所に保護されていた犬」というと、殺処分される犬だったのか……と思われる人がいるかもしれないが、そうではない。 M保健所は「殺処分をしないで済むように」犬や猫たちを保護し、ボランティア団体と手を組んで里親探しをしている素晴らしい保健所なのだった。 レビを迎えるほんの2か月前。わたしは最愛の犬・ドリを亡くした。 まだ10歳。今どきの犬の寿命としては早すぎる。 風邪ひとつひかず、走るのが大好

          保健所に保護されていた犬

          あたらしい生活

          わたしはもともと自宅で仕事をしているので、電車通勤もないし、それまでの生活から大きく変わったことはなかった。 けれど、小さく小さく、日々は「あたらしい生活」へと変わってきている。 昨日の朝、窓を開けたらほんのりいい香りがした。ジャスミンの香り。うちの周りには、垣根や窓越しにジャスミンを育てておられる家が数件あって、その花々が一斉に香りを放っているのだった。 この時期の犬の散歩が、わたしはいちばん好きだ。どこの角を曲がっても、ふんわりあの香りが漂っているから。でもここ一か

          あたらしい生活

          #4 父の服にBye-Bye

          父は洋服が大好きだった。 昭和ヒトケタの男性にしては珍しく、洋服を買いに行くのが大好きで、デパートや老舗テーラーをはじめ、近所の洋品店からユニク〇やヨー〇ドーのような量販店まで、洋服のためならどこにでも行くタイプだった。 デザインや生地、縫製に対するこだわりも激しく、自分の服は自分で選ぶのはもちろん、大事な服は自分でクリーニングに出し、気に入りのハンカチは風呂で洗濯して窓に貼り付けて乾かすという具合。子供のころからそれを見てきたので、世のお父さんはみんなそうかと思っていた

          #4 父の服にBye-Bye

          気づき

          新年あけましたね。 昨日はなんだかすごく「気づき」のある日でびっくりした。きっかけはあるメール。意外な人からの仕事のお誘いだった。やりたいけれどやりたくない。やりたくないけれどやってみたい。本当はどうしたいのか、自分の本心がわからなくなっていた。 決められないまま「よしばな 日々だもん」を読んでハッとする。98歳の美代おばあちゃんのやさしい顔が、昨年亡くなった父と重なった。 父は晩年、認知症になり、おかしなことを言い続けていたが、ごはんを食べられなくなったあたりから、言

          死体の横で眠る

          もうすぐ日付が変わろうとしていた。 すっかり支度の整った父は、さっきより少し硬くなっていた。死後硬直というやつが始まっている。ドラマなどでよく聞くセリフだけれど、生の人間で見たのは初めてだった。それでも体とベッドの間に手を入れると、まだほんのり温かいのが切ない。 父の体を清め、着物を着つけてくれたケアマネFさんとナースのKさんを見送った。心優しいKさんは泣いていた。毎日通ってくれた訪問看護師さんたちに、もう会えなくなるんだ…。そう思ったら急に寂しくなった。 ケアマネFさ

          死体の横で眠る

          ちちが死んだあとにしたこと

          あの夜には、まだ続きがある。 父が息を引き取ったのは、11月2日pm8:30ごろ。ごろ、というのは、だれひとり正確な時間を見ていなかったから。「たぶん8時半くらいだったよね」ということで満場一致。ひとしきり泣いたり笑ったりしたあと、「そのときが来たら、ここに電話してください」と、いわれていた訪問看護ステーションへ長姉が電話をかけた。 15分か20分か、いつものように自転車でかけつけてくれたのは、敏腕ケアマネジャーのFさんと、緊急の呼び出しで休みの日や夜中にも何度か来てくれ

          ちちが死んだあとにしたこと

          ちち、逝く 1102night

          夜になり、父の容態も変わらないので「一度家に帰ろうか」と考えていたところに来客があった。母の妹である叔母と従妹夫婦が、父の見舞いに来てくれたのだった。今日まで叔母は、父の容態を知りながらも見舞いを遠慮していたのだという。母や私たちが、父の介護以外のことで気を使わないようにとの配慮らしかった。そのかわり電話や手紙(これが毎回笑える!)を頻繁にくれていた。そんな叔母が、その夜に限って突然やってきたのは、なにかの知らせを受けたからだったのかもしれない。 母のきょうだいは誰一人例外

          ちち、逝く 1102night

          ちち、逝く 1102pm

          仕事を早回しで終えて、地下鉄に乗った。今夜は泊りになるかもしれないから、一度家に帰ろうか。と思ったが、そんなことをしている間に逝ってしまったら、たぶん一生後悔することになりそうだからやめた。コンタクトをしたままで眼鏡を持っていなかったし、携帯の充電器も持っていない。おまけに今日に限って薄着で出てきてしまった。ま、いいか。なんとかなるだろう。 実家に着いたのは13:00ちょっと前。母と長姉がお昼ご飯を食べているところだった。父の顔を覗くと、確かにいつもとは少し違う気がする。口

          ちち、逝く 1102pm

          ちち、逝く 1102am

          11月2日金曜日。 「仕事が終わったら来てくれる? 今日はいつもと違う」 長姉からLINEが入ったのは、昼までまだ少しある時間だった。いつもは「来なくていいよ」という長姉が「来て」というくらいなのだから、本当にいよいよなのだろう。 その日は朝から仕事で出かける予定が入っていた。仕事は早ければ昼すぎに終わる。そして夕方からは楽しみにしていたライブを観に行くつもりだった。姉たちには「今日は(実家に)行けない。明日行く」と伝えていた。 ライブはやっぱり諦めないと。いよいよと

          ちち、逝く 1102am