見出し画像

#4 父の服にBye-Bye

は洋服が大好きだった。

昭和ヒトケタの男性にしては珍しく、洋服を買いに行くのが大好きで、デパートや老舗テーラーをはじめ、近所の洋品店からユニク〇やヨー〇ドーのような量販店まで、洋服のためならどこにでも行くタイプだった。

デザインや生地、縫製に対するこだわりも激しく、自分の服は自分で選ぶのはもちろん、大事な服は自分でクリーニングに出し、気に入りのハンカチは風呂で洗濯して窓に貼り付けて乾かすという具合。子供のころからそれを見てきたので、世のお父さんはみんなそうかと思っていたが、父はとんでもなく「おしゃれ野郎」であったことに気づいたときは、もうすでに家中が父の服に侵略されていた。

80を過ぎるまで、そんな調子で「着道楽」まっしぐらだった父。洋服は溜まりに溜まり、3階建ての実家のクローゼットはすべて父の衣服で埋め尽くされた。母の服はなんとハンガーラック1台に慎ましくあるばかりだ。

そんな父が最後に身に着けたのは、洋服ではなく和服。つまり、1階から3階まで、押し入れという押し入れ、クローゼットというクローゼット、引き出しという引き出しに詰まった父の服は、すべてこの世に置き去りとなった。

父よ、大変なことになったよ…。

父の服を誰が片付けるというのか。もし、長姉に頼んだら全部捨てるだろう。それは怖い。次姉に頼んだら全部取っておくだろう。それはもっと怖い。母に頼んだら、大事なものは捨てて、いらないものばかり取っておくだろう。それがいちばん怖い。

自慢だが父の好みをいちばんよく理解しているのは、たぶんわたしだと思う。父が取っておいてほしいであろう服、これは捨ててもいいという服を見分けられるのは、たぶんわたしだろう、ということで整理係を名乗り出た。

まず最初にしたことは、すべての衣類の中からユニク〇の商品だけを集めること。なぜならユニク〇さんは、自社商品のリサイクルを行っていて、お店にもっていくと回収してくれるからだ。捨てるより良心が痛まない。

これで、45リットル入りの袋換算で4袋分処理。

おつぎは、綿の肌着と綿のTシャツ。まだ着られそうなTシャツは、とりあえず保留にし、汚れや痛みがあるものはハサミを入れて布に戻し、雑巾として使用する。白の肌着はもったいないほど新しいものもあったが、油性マジックでデカデカと名前が書いてあるもの(晩年は認知症でデイサービスのお風呂を利用していたため)や、一度でも袖を通した肌着を家族以外の人に差し上げるわけにはいかない。家族は女ばかりだし、甥っ子たちや義理の息子たちはサイズが違いすぎるので仕方あるまい。

とりあえず、3か月かかって、いちばんでかい引き出し5つを空けた。

自分としてはだいぶすっきりしたけれど、恐ろしいことに実家の雰囲気はちっとも変わっていない。こんまりさんもびっくりだろう。

教訓。わたしは完全なる父の遺伝で、洋服が異常に好き。そして恐ろしいことに、夫は父と同じタイプ……もしくはもっと上を行くかもしれない洋服好き野郎なのだった。今から整理していかないと、どちらかが死んだあとどういう目に遭うか。怖すぎて考えられない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?