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ちちが死んだあとにしたこと

あの夜には、まだ続きがある。

父が息を引き取ったのは、11月2日pm8:30ごろ。ごろ、というのは、だれひとり正確な時間を見ていなかったから。「たぶん8時半くらいだったよね」ということで満場一致。ひとしきり泣いたり笑ったりしたあと、「そのときが来たら、ここに電話してください」と、いわれていた訪問看護ステーションへ長姉が電話をかけた。

15分か20分か、いつものように自転車でかけつけてくれたのは、敏腕ケアマネジャーのFさんと、緊急の呼び出しで休みの日や夜中にも何度か来てくれていたナースのKさん。父の脈や瞳孔をさっと手早く診て、「先生を呼びましょう」とその場で医師に連絡をしてくれた。死亡診断書を書いてもらうためだった。

話は反れるけれど、父は退院直後に一度死にかけたことがある。夕方から熱がどんどん上がり、夜になって40度を超えてしまったのだった。緊急の呼び出しで来てくれたナースのKさんがいうには、このまま亡くなった場合、『不審死』ということになり警察が介入するとのこと。そして死因がわからない場合は解剖もあると。退院したばかりで、まだ往診の医師と契約を交わす前だったからだった。幸い熱も下がり「不審死」にならずに済んだものの、在宅介護の現実を見た気がした。

話は戻って。医師が到着するまで約1時間。FさんとKさんは報告書を書いたり、母の話を聞いてくれたりしていた。そして、最期に父にどんな服装をさせてあげたい?と聞いてくれた。父はものすごくおしゃれ好きで、実家のクローゼットというクローゼットは父が自分で買ってきた洋服でいっぱいだ。あんなにたくさんある中から選べって・・・と思ったとき母がいった。

「着物。着物がいい」

ああ。ほんとだ。あの着物がいい。それは父の大の気に入りだった着物。青と黒が混ざったような地のカッコいい着物。それに茶色の帯。それは父が決まってお正月に着ていたものだった。母と姉はさっそく着物を一式用意した。あれなら父も満足するはずだ。父の喜ぶ顔が浮かんだ。

それで一瞬、華やいだような賑わいがあったけれど、医師が到着するとたちまちみんなしーんとなった。脈をとり瞳孔を調べる。そして時計を見て「確認がいまなので、診断書にはいまの時刻を書かせていただきます。10時15分です」といった。そして深く深く頭を下げた。10秒…20秒…30秒近くたってから、医師はようやく頭を上げた。父が息をしなくなってから、もう2時間が経とうとしていた。

死亡診断書はあっさりとしたものだった。名前と住所に間違いがないか確認すると、医師は「死亡原因」の欄に「老衰」と書き込んだ。なにかの病気とか、心臓発作とか、死因となる明らかなことがないため、老衰とするのが通例らしかった。父は認知症と皮膚の病気を患っていたけれど、それが死因ではないことに少しほっとした。

医師が役目を終えて帰ったのと入れ替わりに、夫が犬を連れてやってきた。わたしが頼んだ眼鏡と携帯充電器とコートを持って。犬は父の臭いをかぎ、不思議そうな顔をした。FさんとKさんが父の体を清め、用意した着物を着せてくれる間、わたしと夫と犬は別の部屋で待っていた。わたしに会えたことが嬉しいのか、父の死に気づいて興奮したのか、犬は始終落ち着きがなく部屋のなかをうろうろしていた。夫は父が亡くなった8時半ごろ、なにかを感じていたらしい。虫の知らせというやつ。そういえばお義父さん(結婚前に亡くなっている)とうちの父は偶然同い年で同じ早生まれだった。

夕方から夜までの一部始終を夫に話し終えると、父の準備が整ったと姉がわたしたちを呼びに来た。なんとKさんは着付けができるそうで、父はピシッとしたカッコいい着物姿でベッドに寝ていた。本当に寝ているみたいだった。なつかしい、なつかしい、わたしたちがよく知っている、ほんとうの父の姿だった。

・・・まだしつこく続きます




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