見出し画像

ちち、逝く 1102night

夜になり、父の容態も変わらないので「一度家に帰ろうか」と考えていたところに来客があった。母の妹である叔母と従妹夫婦が、父の見舞いに来てくれたのだった。今日まで叔母は、父の容態を知りながらも見舞いを遠慮していたのだという。母や私たちが、父の介護以外のことで気を使わないようにとの配慮らしかった。そのかわり電話や手紙(これが毎回笑える!)を頻繁にくれていた。そんな叔母が、その夜に限って突然やってきたのは、なにかの知らせを受けたからだったのかもしれない。

母のきょうだいは誰一人例外なくおしゃべりだ。一度話し出すと、止めても止めても止まらない。しかも全員明るい。この夜もいつもと同じように、賑やかなおしゃべりが続いた。今にも息絶えそうな父のまわりで。すごく変な感じだけれど、すごく自然な流れでもあった。

父はわたしたち全員が、うるさいほどに話をしている横で、相変わらず規則正しく息をし、ときどき目を開けたり口を開けたりしていた。叔母や従妹が父を呼ぶと、瞬きを繰り返し、うっすら反応したように見えた。わかっているのかもしれなかった。

「みんな来てくれて、まるでお正月みたいだね」

わたしは父の耳元にそういったが、それにはなんの反応もなかった。賑やかなのがうれしいのか、それとも迷惑だったのか、父のようすからはわからなかった。

叔母たちが帰った後も、賑やかな感じは部屋の中に残り続けた。わたしたちはなにかとゲラゲラ笑い、その笑い声で父も復活するんじゃないかとうっすら期待できそうな雰囲気だった。わたしは一度家に帰ろうとしていた気持ちがすっかりなくなっていた。諦めたのがよかったのか、絶妙なタイミングで夫から連絡が入った。泊まるなら必要なものをあとで車で届けてくれるとのことで、これで充電も眼鏡も上着も心配なくなった。

だれが言い出したわけでもなく、さりげない感じで遺影探しが始まっていた。父はまだメトロノームのように息をしている。その枕元で自分の遺影を探される気持ちってどうなんだろう。と思いながらも、息を引き取ったあと、わたしたちが冷静でいられるかどうかわからない。動揺したあまり、おかしな写真を使う羽目になったら、それこそ父はうかばれないだろう。そんな気持ちで、比較的今の姿に近いもの、それでいてあまり病気を連想させないもの、そして母の希望で笑っている顔を探した。

途中で仕事帰りの姪も加わり、山ほどある写真の中からめぼしいものをチョイスしていく。そうしているうちに昔話が始まって、わたしたちはどんどん過去へと誘われ、遺影探しはアルバム鑑賞に変わっていった。

めくるアルバムはタイムスリップするように次々と古くなっていく。4人の孫の誕生、3人の娘の結婚、わたしの誕生、次姉の誕生、長姉の誕生、両親の結婚、さらには父の若いころから子供時代の写真にまで及んでいた。

じーじ、若いころはイケメンだったねぇ。そんな話をしている時だった。

「・・・ちょっと、ねぇ!  息していないよっ」

父のベッドの横に座っていた母が叫んだ。

わたしたちは分厚いアルバムを放り出し、父を囲んだ。薄く目を開け、口を半開きにしたまま、父の呼吸は止まっていた。頬や腕は、ほんのり温かいままだった。

「じーじっ、じーじっ、死んじゃったのー? 」

母、姉たち、姪、わたしが口々に父を呼んだ。自分の感情というよりは、みんなが父を呼ぶ声に反応したように、涙がどんどん垂れてきた。

「じーじ、よく頑張ったね」

「ありがとう。じーじ・・・」

そう言いながら、みんなで父の頬や額を撫でたり、腕をさすったりした。人って死んだ直後はまだ生暖かいんだ。無意識にそんなことを考えていた。そして、3年前にすごく大切な犬・ドリを亡くしたときのことを、また思い出していた。あのときは、最期の瞬間、ドリが大きく息を吸い込んだ。まだ息をしている! そう思い込んだわたしがドリの胸元に耳を押し当てると、「ドクン・・・」と心臓がひと鳴りし、そして二度と動かなくなった。

何度となく繰り返し繰り返しフラッシュバックしていた光景と、目の前の父の姿が重なった。しかし父は、ドリのように「最後のひと息」をしていなかった。

「あんたたち、おじいちゃんの目と口を閉じてやってよ」

母が涙声でいった。わたしたちは、父のまぶたや唇をぎゅうぎゅう押しながら、「意外と閉じないねぇ…」などと泣きながらいった。その時だった。

父のまぶたが急にぴくぴくぴくと動いた。そして次の瞬間、父は自力で目を閉じ、自力で口を閉じた。そしてゆっくりと大きく息を吸い込み、そのまま静かに生を終えた。

「ぎゃ~~~!!! 」

「まだ生きてる!」

「じーじ、死んでないっ」

みんなが一斉に父から離れた。

「かっ、紙!  紙を顔に乗せれば、息してるかどうかわかるよっ」

母がいった。反射的に姪がティッシュを1枚、ぺろ~んと父の顔に乗せた。

「え・・・ わかんないよぅ」 

半泣きで姪がいう。父はティッシュを顔に乗せられたまま動かない。もうそのときには全員、笑いが止まらなくなっていた。

父よ。本当にあのときはおかしかったよ。泣きながらみんなで大笑いしてお腹が痛くなったよ。最後の最後にあんなに笑うなんて、不謹慎なわたしたちだったけれど、きっとじーじは笑ってほしかったんだね。そう思うことにしているよ。

・・・つづきます




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?