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やばい美容院

これまであちこちの美容院にお世話になってきたが、あれほど落ち着かない店はなかったと思う。

そこは大手チェーンではないけれど、12、3席ある比較的大きい美容院。
ディレクタークラスのベテラン美容師さんが数人いて、そのディレクターそれぞれに2~3人の若手がサポートにつくシステムらしい。

まず驚いたのは、ちっとも落ち着けないこと。
とにかく何度も席を移動させられる。
鏡の前から窓側の席へ。シャンプー台へ。再び鏡の前へ、窓側へ…と、
試しに数えてみたら2時間強で7回、席が代わった。

さらに、席から席への移動スピードたるや尋常ではない。
「こちらにどうぞ」といわれた瞬間、すぐに腰をあげて一歩踏み出さなければ、案内をしてくれるはずのスタッフを見失う。
一度本当に見失った。
大げさではなく、とにかく一瞬も気を抜けない。

美容院って、ゆったりリラックスできる場所じゃなかったっけ。
シャンプーにうっとりしたり(人に髪を洗ってもらうのは、なんて気持ちがいいんだろう)、ふだん手に取らない雑誌をパラパラめくったり、サービスのお茶飲みながらぼーっとしたり。
これまで通った美容院は、みんなそういう場所だった。

その店ではすべてが違っていた。
まず、鏡の前に座っている間は、とにかく「髪」をなんとかすることだけに集中する。
カットならカット、カラーならカラー、パーマならパーマに必要なあれこれを、一秒でも早く終わらせようと、美容師さんが猛スピードで作業をする。

もちろん、こちらものんびり雑誌など見ている余裕はない。
席には雑誌一冊(最近はタブレットか)、とにかくなにも置かれていない。

お客様、よそ見などしないでちゃんと前を見ていてくださいよ、ということなのかどうかはわからないが、美容師さんが髪をどうにかしている間は、なんだかよくわからない緊張感がはしる。
スマホを見ることも、お茶を飲むことも、咳払いさえも許されない。
もちろん、だれも無駄話などしていない。

さらには、あまりにも猛スピードで作業が進むから、口をはさむ余地がない。
たとえばカットの途中で「やっぱり前髪はこうしたいかも…」なんて思いついたとしても、その希望を伝えるのはまず無理だ。

なにがどうして、こんなに慌ただしくなったのだろう。
時間を競っているわけではないのだから、もっとゆったりした雰囲気をつくったほうがいいのになぁ…と思ったところで、あっ、と気づいた。

そうか。そもそもは「お客様のため」を考えて、のことだったのかもしれない。
お客様をお待たせしたないために、無駄な時間をなくして効率よく、というふうに。

それを突き詰めすぎたというか、1秒の無駄でも目を張りすぎたというか。無駄を省きすぎて余白というものがまったくなくなってしまったのかもしれない。だとしたら、裏目に出ているとしかいいようがない。
効率が良すぎるのは、かえって息が詰まるものなのだ。

それにしても、このピリピリした空気はなんだろう。スピードだけじゃない。この居心地の悪さは…。

ドーン。

突然、なにかがぶつかった音がした。
なんと、わたしの髪にパーマのロットを巻いているベテラン美容師Kさんが、若手スタッフが運んできたワゴンにドーンと激突したのだった。

どう見ても不自然だった。
ワゴンを運んできた彼女は、Kさんの動きをちゃんと見ていて、邪魔にならない場所に置いたはず。わたしは鏡の中で彼女の動きをしっかり目撃していた。
そこにわざわざ近づいて、腰をガーンと当てたのはKさんのほう。ワゴンの上には、ロットやら輪ゴムやら櫛やらといろんなものが乗っている。勢いよくぶつかったりしたら、危ないことくらいわかるだろうに。

そしてKさんはなぜか、わたしの髪にロットを巻き付け終わるまで、何度も何度もワゴンにぶち当たり続けた。
そのたび若手ちゃんが、右へ左へとスペースを見つけてワゴンを移動するのだが、どこに置いてもKさんが不自然にぶつかってくるものだから、最後は若手ちゃんもすっかり諦めてしまったようだった。

そしてついにはKさんが、若手ちゃんに向かっていった。
「〇〇さんと代わって」
その一言で若手ちゃんは、わたしの担当から外されてしまった。

いじめの現場を目撃した気分だった。

ベテランKさんは、若手のアシスタントが交代したあとも、ひっきりなしに指示を出している。
もしくは無言で「そこ邪魔」「そうじゃない」「違うだろー」とサインを送っている。
一度に3、4人のお客を同時進行で見ていくわけだから、それはそれは大変な仕事だと思う。若手は指示したことしかやらないし、指示しなければ動かない。
なかなか「デキるやつ」が出てこないとイライラもするだろう。それが顔に書いてある。

若手スタッフたちは、Kさんの指示を聞き間違えないよう、段取りを間違えないよう、これまた神経をとがらせている。
本当は先回りして準備をしたいけれど、常に複数のお客をまわしていかなければならないので、指示通りに動くだけで精いっぱい。

お客の席を次から次へと移動させなければならないし、
窓側の席に移動したら、雑誌を用意してお茶をふるまって…。
移動5分前にはそれらを全部片づけて…。
シャンプーを用意して、パーマ液を用意して、ワゴンを移動して…
ああ、なんでこんなに忙しいんだろう。それが態度に出まくっている。

結局、以前通っていた美容院と、かかった時間に差はなかった。
あんなに慌ただしかったのに。

あれ以来、その美容院にはいかなくなってしまったけれど、
Kさんや若手ちゃんは、あのまま変わっていないのかな…
1年以上経ったころ、お店のホームページを覗いてみた。

写真付きのスタッフ紹介のページを開いてみると、
そこには、Kさんも、あの若手ちゃんも、
すっかりいなくなっていた。


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