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自分のいない、自分の世界

友だちに誘われて、「血管年齢」を測りにいった。

左の人差し指を、クリップのようなもので挟む。そのまま30秒足らずで、血管の具合を機械がはじき出すらしい。

その結果は、……

「実年齢より13歳老化していることになります」 

だと。 しかも、

「毎年2.3歳の速度で老化が進んでいます」 だと!

ひーーーーっ

まさか、高いサプリでも売りつけようとして、わざと大げさな結果を出したんじゃ……などと、ケチな想像をしてみたが、友だちの結果を見せてもらうと、なんと、実年齢+2歳。
信じたくはないが、わたしの老化問題はほんとうらしい。

帰り道、しみじみと考える。
もしわたしが今、突然死んだとしたら、
原因はカラダの中に積み重なっていたのだろうな。


この物語の主人公・テツコは、7年前に夫・一樹を亡くした。
享年25歳。若すぎる死だった。
残されたテツコは、結婚当初から同居している夫の父親・ギフと今も一緒に暮らしている。
そして現在、テツコには恋人・岩井さんがいる。

『昨夜のカレー、明日のパン』 木皿泉

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最初に読んだのは単行本。昨年の1月だった。
そのたきわたしは、テツコの視点に意識を重ねていた。
テツコの視点でギフと生活し、
テツコの視点で岩井さんを見ていた。

それはテツコにとっての「日常」だった。
平凡でのんびりとして、夫を思い出すときはさみしくて。
読み終えるまで、わたしはテツコの日常の中にいた。

だけど今、文庫本でもう一度読み直そうと思ったとき、
「あれ?」と思った。

この物語、もしかしたら「ここにいない人」の視点で読んだら、
また違う感じがするのかもしれない。

この物語、一樹にしてみれば、
「自分が死んだあとの、自分のいない自分の世界」だ。

妻がいて、父がいて、隣人がいて、従兄弟がいて、友達がいて、
そこには、自分だけがいない。
それでも日常は動いている。

テツコは岩井さんにプロポーズされ、一樹の車は従兄弟のものになり、
ギフは女に騙されて…。いやおうなく、一樹のいない時間は過ぎていく。

ギフはいう。


「人は変わっていくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。
でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」
          (『昨夜のカレー、明日のパン』より引用)

しかしテツコは心のどこかで、変わることを拒んでいる。
変わるのが面倒なふりをして、一樹のいたころの日常が消えることを怖れている。

本編はそんなテツコの心のまま、表面的にはなにも変わらずに終わる。
しかし、続きがあるのだった。
日常は「過酷」なのだ。

文庫本に収録されている、書き下ろしの短編『ひっつき虫』で、テツコはついに気づくのだった。

日常は棺のなかに閉じ込められたものではない。
時間の中に生きつづけなければならないことに。

茶碗、3万円の部屋、忘れられたプール、標本、ひっつき虫……

日常の中には、たしかにこんなふうに、なにかを暗示するものが目に入っているのだ。いつでも、絶え間なく。

だから丁寧に生きよう、などというつもりは毛頭ない。
けれど、「生きよう」と思う。ただ生きよう、と。

そんなふうに素直に思えるのは、この小説に説教じみたところが微塵もないからだろう。

まずは実年齢と同じ速度で、血管が老いていけるように。
わたしの場合そこから、はじめないと。


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