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死体の横で眠る

もうすぐ日付が変わろうとしていた。

すっかり支度の整った父は、さっきより少し硬くなっていた。死後硬直というやつが始まっている。ドラマなどでよく聞くセリフだけれど、生の人間で見たのは初めてだった。それでも体とベッドの間に手を入れると、まだほんのり温かいのが切ない。

父の体を清め、着物を着つけてくれたケアマネFさんとナースのKさんを見送った。心優しいKさんは泣いていた。毎日通ってくれた訪問看護師さんたちに、もう会えなくなるんだ…。そう思ったら急に寂しくなった。

ケアマネFさんと訪問看護師さんたち(5~6人が2ずつ組になって日替わりローテーションで来てくれていた)には、本当になんとお礼をいえばいいのかわからないほど感謝している。看護師さんたちが来てくれていた時間は毎日笑いが絶えず、父も表情豊かで、自宅介護にしてよかった、と心から思えていた。

認知症で寝たきりのうえに皮膚の病気を患っていた父は、手足の皮が大きく捲れて血が出たり、褥瘡(床ずれ)が悪化してじくじくしている部分がいくつかあった。けれど、看護師さんたちの手当のおかげで、退院してから体中の傷が少しずつ治っていった。体をキレイに拭いて全身に保湿の薬を塗り、両手両足の包帯を巻きなおす。傷がひどい部分はガーゼで保護する。これを毎日。そして週に2回は、自力で便を出すことができなくなった父の肛門に指を入れて便をかきだす処置もしてくれた。「仕事だから」といってしまえばそうかもしれないけれど、いくら仕事でもきつかっただろうと思う。うんこはもちろん悪化した褥瘡も、かなり臭いがきつかったし。けれど誰ひとり文句もいわず、いつも明るく笑顔で対応してくれた。それがどんなに心強かったことか。今わたしのなかで、最強の職業は断トツ訪問看護師さんだ。訪問看護師さんの仕事ができれば、どんな仕事だってできるんじゃないかとすら思う。

話を戻します。死体になった父と、生きている母だけを実家に残すわけにもいかず、わたしと次姉は泊まることにして、夫には犬を連れて帰ってもらった。長姉は昨夜実家に泊まりこみで父を看病してもらったため、姪と甥と一緒に家に帰って寝てもらうことにした。わたしの家は実家から車で1時間弱、長姉の家は実家から徒歩5分。

さてどこに寝ようか。父をここに寝かしたまま、母、次姉、わたしは別の部屋で寝るという方法もあるけれど、この部屋に死体だけいるというのはちょっと怖い。夜中に目が覚めたら眠れなくなりそう。逆にいつもみたいに一緒にいたほうが怖くない気がした。死体1人に対し、生きてる人間が3人だから生きている空気のほうが強い。結局、死体を囲むようにして3人分の布団を敷いた。ちょっと窮屈だけれど、広すぎるよりは怖くない。

電気を消してベッドの上を見たら、父がいつものように静かに眠っているように見えた。想像していたよりもぜんぜん怖くなかった。

残り30%を切っていたスマホは、たっぷり充電できていた。小さなオレンジ色の電気だけにした薄暗い部屋の中で、布団に入ってスイッチを入れる。とりあえずメールをチェックした。こんなときに何しているんだ、と思われるかもしれないが、こういう非日常の事態が起こると、人間は日常にしがみつきたくなるものなのかもしれない。わたしはどうでもいいDMメールをいくつか開き、さっと読んで削除したりしていた。いつもと同じことをしていることで、自分を落ち着かせたかったのかもしれない。

着信メールのなかに、よなよなの更新のお知らせを見つけた。そうだ、こういうときこそよなよなを読もう。よなよなは、わたしの心のよりどころのひとつなのだった。しかし、開いたとたんにえっ!と声が出そうになった。なんとテーマが「親なるもの」。親なら隣で死んでるよ。あまりのタイミングに驚きながらも少し笑えた。

・・・つづく、かな?




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