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ちち、逝く 1102am

11月2日金曜日。

「仕事が終わったら来てくれる? 今日はいつもと違う」

長姉からLINEが入ったのは、昼までまだ少しある時間だった。いつもは「来なくていいよ」という長姉が「来て」というくらいなのだから、本当にいよいよなのだろう。

その日は朝から仕事で出かける予定が入っていた。仕事は早ければ昼すぎに終わる。そして夕方からは楽しみにしていたライブを観に行くつもりだった。姉たちには「今日は(実家に)行けない。明日行く」と伝えていた。

ライブはやっぱり諦めないと。いよいよというときにそんなことを考えている自分の冷静さに驚いてはみたものの、気づけば手足が脳の指令とは違う方向に動いている。頭と体がリンクしていないような、へんな感じだった。

先週の金曜。わたしが実家に行ったときは、食欲もあり水分も順調にとれていた父だが、その2日後からほとんどなにも口にしなくなっていた。ほんのひとくち水を飲むと、いつまでも咳が止まらず苦しそうで、看護師さんに喉の奥に残っていたものを吸引してもらったと長姉がいう。

人は死ぬ4日前まで生きようとし、4日前から逝く準備をはじめるのだと、どこかで聞いたことがある。それが本当なら準備に5日かけた父は、もう旅支度は万全というところだろう。

月曜は往診の日だった。最後の往診の時、父は少し熱があり、入浴サービスは中止したほうがよいだろうという診断を受けた。お風呂に入ると体力を消耗しやすいことと、もしかしたら肺炎を起こしているかもしれないからだった。

父はお風呂が大好きだった。もう言葉をほとんど発しなくなってからも、週に2回の訪問入浴サービスのときは特に機嫌がよく、口をパクパクさせてなにかを伝えようとしていた。わたしたちは「ありがとう」と言っているのだろうと勝手に解釈していたけれど、たぶん本当にそう言っていたと思う。

大好きだったお風呂に、もう二度と入れないまま死んでしまうのか…。それはかわいそうだな。母も私たちもそう思っていた。そうしたら毎日来てくれていた訪問看護師さんが気持ちを汲んで医師に伝えてくれ、お風呂に入ってもいいですよということになった。

父に関しては、病状よりも本人と家族の意思を最優先すること。それが医師と看護師さんたちがだした結論だった。入院していたらこうはいかなかったと思う。これは自宅介護だからこそのことだろう。

こうして父は、なんと死ぬ日の朝に、お風呂に入ることができたのだった。

・・・つづきます。

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