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ヨガのスシュムナー(中央気道)とは。クンダリーニ、バルド、空性大楽

“ ......尊者ミラレパがこう仰せられている。

ロマとキャンマの中の生命エネルギーが
アヴァドゥーティに入ってくると
歓喜を体験する

ツルティム・ケサン 正木晃 (共著)『チベット密教 図説マンダラ瞑想法 』ビイング・ネット・プレス , 2003  pp.247-248

ミラレパはチベット仏教で非常に有名な聖者、修行者、宗教詩人。カギュ派の祖とされます。

ロマキャンマは、ヨガでいうスシュムナーナディ(チベット密教のアヴァドゥーティ)の左右にあるイダ管、ピンガラ管に対応。
ロマ=ピンガラ、キャンマ=イダ。

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中央気道(スシュムナー、アヴァドゥーティ)

 クンダリニー系ハタ・ヨーガやチベット密教(後期密教、無上ヨーガタントラ)など生命エネルギーの実践では、中央気道が重視されます。

中央脈管、スシュムナー・ナーディ、アヴァドゥーティ=ウマなどと呼ばれています。

ヨガなどでは「中央気道は脊髄付近、身体の中央を会陰部、尾てい骨付近から頭頂まで1本の管として存在しているんだ」といったように説明されます。

 中国気功の内丹(仙道)では流派、指導者によって違った説明がなされるようなのですが「中脈」がとりあえず該当します。

諸説はあります。
中央気道は奇経に含まれるとする意見があります。

督脈を中央気道だと言う人もいます。

また衝脈には背骨を通る経路があり、それが該当するという見解や、中央気道の支脈が督脈などの奇経だとする説を述べる人もいるようです。

関連note:奇経八脈(任脈、督脈、衝脈...)について。経絡と気功、瞑想


 チベット密教(蔵密)の影響を受けたものが気功にあります。内丹の流派にもあるようです。
この蔵密系気功では、やはり中脈が重視されることが多いです。


日本でも関連団体があるようですが、たしか「禅密気功」は蔵密系だったはずです。そのせいか気功の中でもマニアックな内丹(仙道)よりもさらに神秘的、宗教的な雰囲気が感じられます。

禅密気功の初級段階の動作 ↓ ↓

この禅密気功では、中級や上級の功法で中脈に気を通したり、いわゆる「第三の目(サードアイ)」を開くとするスピリチュアルなものもあるようです。
また上級の功法になるほど、瞑想が重視されるようです。


位置の違い

中央気道の位置については、説明する人によって少し違っていたりします。
なぜかというと、実際に人によって体験される感覚が違うからだと考えられます。
この点で諸説が生じ得る余地はあります。


 チベット密教のアヴァドゥーティ=ウマ、ヨガのスシュムナー、内丹の中脈は、これらは別々のものだとする見解もあります。
「中央気道とされるものにも複数あるんだ」「修行体系によって用いられる中央気道が違う」とする見解です。


実践者個人の体験の表現はいろいろとあっていいと思います。違うんだと言ってもいいと思います。
 また、段階的に修行を進め、意識の集中を適切に運用するために、複数の中央気道を想定して実践体系を組み立てるというのもアリだと思われます。


 初期の頃は脊髄もしくは脊髄付近に中央気道を感じ、その感覚には性的な要素が強いが、徐々に体の頭頂から会陰部を結ぶ中央の方に移行していく、と述べる人もいます。

 内丹でも似たような見解があります。
功夫が深まるにつれて(修行が進むにつれて)、「気」は体の表面から体の奥の方を通るようになり、かつ、身体的で粗雑な感覚から、繊細で精神的な感覚なものになっていく、という主張もあります。

 高藤聡一郎氏の仙道本の中にもあるようです。
「気」の量が増えて活発になるにつれて、体表付近にある任脈や督脈などの経絡では気の通り道としては狭すぎて間に合わなくなるので、徐々に体内の奥深くを通るようになり、さらに会陰から百会(頭頂のツボ・経穴)まで一直線の気の経路が開通する、という記述があるようです。

関連note:【仙道・気功】リンク集


 私としては「実践者個々人や実践段階における体験の相違が実際にあったとしても、それをもって中央気道が複数あると、わざわざ表現するにはいたらないのではないかなぁ」と思っています。


重視するor重視しない

ヨガでも気功でも中央気道を重視するものと、しないものがあります。

その違いは「秘教的なものほど中央気道を重視して、そのための実践が尊重される」と感じます。

普通一般に行われるヨガや気功は、健康やリラックスが目的になっています。
このような一般的なものの場合には、中央気道はほとんど関係ありません。

関連note:ヨガ、気功、呼吸法について。瞑想との関係


 気功では、おそらく健康目的の気功をしている人のほとんどは「中脈(中央気道)」という言葉すら聞いたことがないと思われます。
奇経八脈にも含まれません。なので気功関連の情報では、そもそも中央気道が話題になりません。
(奇経に含まれるという説を提唱する人はいるようなのですが)


 ヨガをする人の場合には多くの人が、チャクラ、スシュムナー、ナーディ、プラーナ、シャクティ、クンダリーニ、、、など神秘的な言葉は知っていると思います。

チャクラや、スシュムナー、プラーナをイメージしておこなう瞑想やプラーナヤーマ(呼吸法)を実践する人も多いようです。


 クンダリニー系ハタ・ヨーガやチベット密教(無上ヨーガタントラ)など秘教的なものの場合は、そういった実践を本格的に行い、イメージではなくて実際の生命エネルギーの活動を起こして、特殊な意識体験を得ようとします。
さらに「悟り」とか「解脱」、「梵我一如」など宗教・スピリチュアルな思想や信仰、実践が基本的にはともないます。


中央気道に生命エネルギーが流入する時

中央気道に生命エネルギーが流入するといったことは、普通に生きていると、なかなか、体験するものではありません。

これは特別なことがあって体験する現象です。

中央気道に生命エネルギーが流入する状況の内で、注目すべきは2つあります。

まず1つめは、密教など生命エネルギーの実践の成果があった時です。

そしてもう1つは「」の時です。

生命エネルギーの実践

クンダリニー系ハタ・ヨーガやチベット密教などの実践の成果で、中央気道に流入するとされます。

しばしば、このような実践では、特殊な呼吸法や集中的な瞑想がなされます。

ハタ・ヨーガではムドラーという呼吸法がなされることが多いです。

このムドラーに、ヴィム・ホフ・メソッドにあるような呼吸法を組み込むなど、いろいろなやり方があります。

こういったものによって、アパーナ気などプラーナを制御して、生命エネルギーが流入するとされます。

「死」の時。バルド(中有)

人の「死」の時に、生命エネルギーが中央気道に流入するとされます。

 チベット密教の情報には、さらに、中央気道に流入した後は、心臓のチャクラに集まっていくとか、「子光明」と「母光明」が融合するなどなど、いろいろと神秘的な説明が続きます。


とにかく死の時に生命エネルギーが中央気道に流入するとされるわけです。
このことは、つまり密教の体験というのは「死の先取りの体験」という面があるというわけです。
死の時に体験するものを、修行で前もって体験するということです。

こういった主張は、特にチベット密教のことを調べるとしばしば目にすることです。


ヨーガやスピリチュアル、ニューエイジなどの情報では「クンダリーニの上昇で肉体から魂が解放」「潜在能力が開発」「霊能力が目覚める」「ツインレイやアセンションがどーのこーの」といった主張の方が多いかもしれません。

ちなみに臨死体験者の中にも生命エネルギーが中央気道に流入するする体験、クンダリーニの体験がしばしばあるようです。
臨死体験に関するものを読むと、「クンダリーニ」とか「脊髄付近を通る生命エネルギー」みたいな表現をしばしば目にします。


 チベット密教の実践は「六道輪廻からの解脱、涅槃」や「菩薩」といった境地を得るためになされます。

これには、生きているときに前もって死の時に起こることを体験しておくことで、実際に死の体験が生じたら、まさにその死の体験自体を「解脱」のために、もしくは、六道輪廻においてより良い境涯に転生するために役立てるというのも含まれます。

チベット仏教の教えでは、死の時に「バルド(中有。次の転生までの間の状態)」がはじまりますが、生前に深く修行していると、このバルドの時に上手く振る舞えるとされます。


チベット死者の書「バルド・トドゥル」

 ちなみにバルドの時に、死者のかたわらで読み上げられるお経が、有名な「チベット死者の書」として知られる「バルド・トドゥル(バルド ソドル、バルド トドル)」です。
これはゾクチェン(大究竟)を最奥義とするニンマ派の仏典です。


以下、中沢新一氏の『三万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』より。
「キェー、キェー」は呼びかけの言葉です。

“...…ラマ僧はゆっくりと『バルド・トドゥル』を読みあげはじめた。...…

老僧「キェー、キェー、ソナム・ツェリンよ。よくお聞きなさい。いまあなたはとても大切な時を迎えている。生きているときには得られなかった悟りが、死の体験をとおして、いまだ未熟なあなたにもよく理解できる、またとない機会がやってきたのだ」

...…

老僧「キェー、キェー。その光だ。あなたの前にあらわれてきたその光と溶け合うのだ。その光は存在と生命のおおもとをつくる、原初の光なのだ。その光には、実体も、形も、色もない。まったく汚れがなく、空である、輝きにみちている。この光こそが、あなたという生き物をつくっていた、純粋の本質なのだ。そのことを悟って、この光と合体することにつとめなさい」”

中沢新一 著『三万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』角川書店 1993

 この書籍のタイトルにある「三万年の死の教え」というのは、「ゾクチェン」の思想、及び、ゾクチェンの思想とも深いつながりのある「バルド・トドゥル」の思想というのは、「プロト=アフリカ文化」を受け継ぐ3万年の古さをもつアボリジニーの文明にもみられるという考察によるものです。

 書籍『三万年の死の教え チベット「死者の書」の世界』興味深かったです。


 ゾクチェンというのは、チベット仏教の中の一つの宗派であるニンマ派の教えという枠組みだけには収まりきらない価値があり、人類の叡智が含まれるとする考察は、書籍『チベット密教の瞑想法』(ナムカイ・ノルブ 著 永沢哲 訳 宝藏館)にも紹介されています。


空性大楽、ツァンダリー

生命エネルギーの中央気道への流入に関する実践や体験の記述はネット、書籍でも見つかります。

ハタ・ヨーガでの記述はシンプルなものが多い印象です。
「脊椎基底部付近のチャクラからクンダリニーが上昇する」みたいなシンプルな記述です。


チベット密教のは独特なものが多くて、理解するのが難しい印象があります。

ヤブユム(男女両尊、父母仏、歓喜仏)。ひょっとしてチベット仏教『幻化網タントラ』の本尊マハーマーヤー(大幻化金剛)?Pixabayにありました

“ 大楽はへそから四、五センチ下のチャクラ(秘密チャクラ、道教の丹田にあたるところ)に生まれる。身体の熱はすべてここから発する。ここがツァンダリーと呼ばれるところである。普通、男女が性交する時には、このツァンダリーがわずかにふるえ、快楽をもたらす熱を発している。空性大楽の瞑想はこのツァンダリーを大きくヴァイブレートさせて、空性の体験に結びついた、とらわれることのない大いなる楽をもたらすのである。”

“ まず秘密チャクラの位置に、八弁の白い蓮花を観想しなさい。その上に真紅の「ア」字があらわれる。特殊な呼吸法にあわせて意識を集中すると「ア」がふるえ、赤い火が燃えあがってくるようになるだろう。この炎は中央管をしだいしだいに上昇し、頭頂大楽チャクラ(正確にはブラフマ孔直下数センチの位置)にある逆さになった白い「ハム」字を溶かしはじめる。「ハム」字がわずかに溶けはじめた時には、性交の快感と同じ体験を得るだろう。しかし呼吸法にしたがって「ハム」字からさらに甘露が溶けだして中央管を下り落ち、各チャクラをみたしていく時には、その強烈さ、その持続性、その純粋さにおいて、性交とは比較にならない四つのすばらしい楽がもたらされるのである。”

“もっとも、これが可能になるまでには、《風》の究竟次第と呼ばれる瞑想プロセスを完全にマスターするまでの長い長い修行期間が必要である。”

“「マハームドラー(大印)」と呼ばれる高い密教の見解は、空性大楽をもたらす《風》の究竟次第の瞑想があたえる精神的体験に裏づけられている。”

ラマ・ケツン・サンポ 中沢 新一 共著『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』平河出版社 1981 pp.271-272