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【Mudra】ムドラーとは

ヨガのムドラーについてです。ムドラーとプラーナヤーマの違いなどについてです。
この記事におけるムドラーとは手の印(ハンド ジェスチャー)のことではありません。

おそらく呼吸法、プラーナヤーマに分類されると思うのですが、ムドラーというものがあります。
これとプラーナヤーマは何が違うのか?という疑問を持つ人が少数います。今回はこういった疑問などに触れました。

関連note:ヨガ、気功、呼吸法について。

ムドラーとは

ムドラーは印契、印相、象徴、封印などと訳されます。
手・指で結ぶ印相(ハンドジェスチャー)もムドラーと呼ばれますが、この記事で触れているのは手印のことではありません(関心もない)。

生命エネルギーを生じさせるために行われるバンダクンバカのともなった特殊なプラーナヤーマ、呼吸法のことです。

ヨガでムドラーと呼ばれるものはいろいろとあるのですが、例えばマハー・バンダがこの記事に関わりがあります。

マハー・バンダとは3つのバンダ(Tri Bandha)とも言われていて、会陰部、お腹、喉のバンダ(それぞれムーラバンダ、ウディヤーナバンダ、ジャーランダラバンダ)を行うものです。

これが生命エネルギーの実践として行われる場合に、ムドラーと呼ばれます。

ヨーガではバンダとクンバカをともなったプラーナヤーマで「アパーナ気とプラーナ気(とサマーナ気)をヘソのチャクラで合一させ、エネルギーを生じさせる」など説明されます。
これはムドラーとしての実践です。

チャクラについて↓↓

プラーナヤーマとは違うのか?

ヨガで普通に行われるプラーナヤーマ(呼吸法)とムドラーは違うのでしょうか?

普通のプラーナヤーマでもバンダやクンバカが行われることがあります。
この場合にはそれはムドラーであるとしていいのでしょうか?

それは各々のムドラーの定義の仕方によると思います。

この瞑想する人noteの定義では、ムドラーとは生命エネルギーの実践(行法)としているので、その点において普通のプラーナヤーマとは区別されます。

生命エネルギーの実践としての準備、条件、やり方があります。
これが満たされる場合のバンダとクンバカのともなった呼吸法のことを私はムドラーと呼んでいます。

バンダとクンバカのともなった呼吸法は身体に負担をかけます。

要領を得ないやり方の場合には何の効果も無いばかりか、心臓・血管系の疾患や、ひょっとすると緑内障などの眼疾患のリスクを上昇させるなど、デメリットしかないことも考えられるので注意が必要です。

仙道の武息なども

高藤聡一郎氏の仙道には「武息」という呼吸法が紹介されています。

関連note:内丹(仙道)の 小周天。高藤聡一郎 氏の仙道など

この武息は腹式呼吸(丹田呼吸)に分類される強めの呼吸法です。これはムドラーであると考えています。
生命エネルギーの実践だからです。武息はムーラバンダのみで、喉とお腹のバンダはありません。

ヨガのバストリカなどのプラーナヤーマも、やり方によってはムドラーとして行うこともできます。

ムドラーの体験

仙道の武息については、たとえば「武息 小周天」「高藤聡一郎 小周天」などで検索するといろいろと生々しい体験談が見つかります。

しかしヨーガのムドラーに関しては、生命エネルギーの体験談はまったく無いわけでは無いのですが、ほとんど見つからないです。

書籍に関しても似たようなものなのですが、興味深い体験談はあります。
蛭川立 氏(Wikipedia:蛭川立)の『精神の星座 内宇宙飛行士の迷走録』(サンガ)です。

ハタ・ヨーガを行い、プラーナヤーマやバンダを行ったら特殊な体験をしたという記述があります。
蛭川氏の行ったこのハタ・ヨーガ、特にバンダやこれをともなったプラーナヤーマはムドラーに該当すると考えられます。

“ ムーラバンダを二、三ヶ月続けたぐらいからですかね。その締め付けとゆるめを続けていると、会陰部というか、もうちょっと身体の奥のほうが熱くなってくるというか、「熱気持ちよく」なってくるというか、なんだか不思議な感覚がして・・・・・。そこにゴルフボールくらいの大きさの熱い玉があるような感じがしてきて、ああ、これがチャクラっていうものかなあって。”出典:『精神の星座 内宇宙飛行士の迷走録』蛭川立 著 サンガ 2011 p.198

“......そういう身体感覚と並行して、無意識の底からわけのわからない強烈な性欲みたいなものが湧き起こってきて、それも驚きでしたね。......

......得たいの知れない性欲のような、でももっとなにか違うエネルギーのような、強烈な感覚がふつふつと湧き起こってきて・・・・・・。”同上書 p.204

“......タントリズムの実践には慎重になるべきなんです。密教たるゆえんです。とはいえ、そうこうしているうちに、その変な性欲みたいなものはおさまっていったというか。......最初の性的な快感みたいなものが尾骨の先から背骨全体で感じられるようになってきたというか......”同上書 p.206

“......それまで何ヶ月も会陰のあたりでウズウズしていた例の熱い塊が、なんの前触れもなく突然、飛び跳ねるように背骨を昇りはじめて・・・・・・。......

......とにかくその熱い塊が背骨を昇っていって・・・・・・あれはいったい何だったのか。教典に書いてあるいわゆるクンダリニー覚醒現象だったのか、いまだによくわからないままなんですが、どうもそれが中途半端に起こってしまったみたいで・・・・・・。”同上書 pp.207-208

蛭川氏はアマゾンのシピボ族を訪れ、特別な「薬草茶」を用いたシャーマニズムの儀式に参加したり、タイで瞑想修行生活を送ったりしたことがあります。
そういった経験もあり、ムドラーの効果が生じやすかったのではと私は思っています。

それだけでなく蛭川氏にハタ・ヨーガを教えた指導者も、『精神の星座』の記述から推測する限りにおいては、おそらくはクンダリニー(クンダリーニ)など生命エネルギーに関して単なる文献的・伝承的な知識だけではなくて、体験的な理解と力量もある人だったのではないかなぁと私は思っています。

ヨーガのムドラー自体がマニアックなものなのですが、このやり方自体にもマニアックなやり方があって、ヴィム・ホフ・メソッドにある呼吸法みたいなのをムドラーに組み込んだり、特殊な観想法・精神集中法をあわせて行ったりなどあります。

ひょっとすると、このヨーガの指導者はこういったのも指導したんじゃないのかなぁ、と想像するところです。
(『精神の星座』には行法の細かい説明はありません。あくまで私の想像です)

注意・警告

精神の星座』にはハタ・ヨーガ(おそらくムドラーに該当)によって “わけのわからない強烈な性欲みたいなもの”、“得たいの知れない性欲のような、でももっとなにか違うエネルギーのような、強烈な感覚” を体験したとあります。

生命エネルギーの実践として、心身に実際に作用する方法でムドラーを行った場合には、このような体験をすることがある(多いのではないか)と思われます。

これはこの瞑想する人noteのチャクラ論だとムーラダーラ、スワディシュターナの活性化の段階です。
特にスワディシュターナの段階では、このような得たいのしれない生々しい情動を感じることがあると思われます。

以前、ムーラバンダについてnoteにしました。↓↓

この記事でアイアンガーヨガの創始者、B.K.S.アイアンガー師の見解を紹介しました。

“ ......たとえ正しく行ったとしても、ムーラ・バンダにはそれなりに危険がある。性欲を増加するので濫用する危険がある。この誘惑に負けてしまうと、眠っているへびが棒でつつかれたように欲望が目覚め、致命的となる。 ”
 引用:ヨガ呼吸・瞑想百科 : プラーナによる心身のバランス回復』B.K.S.アイアンガー 著 沖正弘 監訳  沖正弘, 後藤南海雄, 玉木瑞枝 訳  白揚社 2004  p.159

“ この三つのバンダを習得したときが、ヨギにとって自分の運命の分岐点であるといえる。ひとつの道は世俗的な楽しみへとつながり、他方はヨガつまり最高の精神(神)と結びつく道である。”  同上

ムーラバンダ自体が衝動を刺激することがあります。

しかし、単なるムーラバンダを行って刺激されたものと、生命エネルギーの実践として実際の作用のあるムドラーを行って生じたものとでは、その衝動の性質が違うのではという印象があります。

単なるムーラバンダの場合には単なる刺激で、ムドラーの場合には、なんというかそれこそ「無意識からやってくる得たいのしれないもの」というか「生々しい情動」というか「生あたたかい、もしくは熱を発する生命の力」というか、そういった感覚がともなうことも多いようです。

このような特殊な感覚が生じる理由は、生命エネルギーの体験というのは人間の無意識が絡んだものだからだと考えています。
関連note:生命エネルギーと無意識

これに関する注意もしくは警告があります。

ムドラーは性的衝動であれ他の何かであれ、欲望、欲情もしくは他を傷つけるような感情であれ、そのようなものを刺激し駆りたて享受することを目的として実践すべきではない。

また、生じたそのような情動や感情、影響力のなすがままにされるような弱さがあるのならば、そもそもその人には実践の適性が無い。

単なるムーラバンダなら、男性のEDなどにも適用されたり、アダルト系メディアの人の中にもしている人がいるというのは聞いたことがあります。
そーいうのはお好きなら勝手にどーぞって感じです。

ムドラーの実践は、そういったものとは全く違います。

ムドラーというか、生命エネルギーの実践としての密教それ自体に言えることなのですが、無意識というものが強く関わるものです。
下手に関わると、無意識からやってくるワケの分からない影響力に飲み込まれ制御できなくなり、人間性が大きく傷つくということがあり得ます。

これは性的衝動だけではないです。性が刺激されるのは主に初期的な段階においてです。
これ以降の段階でも様々な警告があります。

この瞑想する人noteでは、この話題は避けているのですが、例えばいわゆる超能力(霊的能力)みたいなものに関しても、、そういった能力との関わりに関しては密教の伝統では警告が発せられています。

関連note:生命エネルギーのサイキックな現象!?

超能力:オーラ視、クリスタル・パワー、サイコメトリー、リーディング ↓↓


日本国内では、このnoteの密教に相当するものとしては高藤聡一郎氏の仙道を実践する人がそれなりにいるようです。
仙道の実践者も、こういったことには注意した方が良いと考えます。

私としては「霊性」という「霊的な理想」において、密教の実践は制御され導かれるべきだと模索しています。

瞑想とムドラー

生命エネルギーの活動自体は、ムドラーといった負担のある呼吸法を用いなくても瞑想でも生じます。

 ムドラーを用いない(偶発的な)生命エネルギーの体験については 『密教について① 起源(直接体験、神秘体験)と問題点 』の密教の起源を参考 ↓↓


生命エネルギーを生じさせるために、瞑想よりもムドラーの方が効率的だという意見があります。
この意見については、いろいろと思うところもあるのですが、現時点では私は、そういったこともあるだろうと考えています。

呼吸法の方が、瞑想よりも取り組みやすいと感じる人は多いだろうと思われますし、ある場合には瞑想よりも効率的なこともあると思われます。

しかし思索がまだ十分ではなくて、うまくは言えないのですが、ムドラーを行うにしても瞑想も重視すべきであると考えています。


関連note:【ヨガの呼吸法】プラーナヤーマ、クンバカ、バンダ、ムドラーの簡単な整理