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私散文

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#エッセイ

究極の休日

究極の休日

最近、金曜日の仕事終わりによく聴く曲
NakamuraEmiさんの「究極の休日」
仕事から解放された私が休みに向けて加速していくのを感じる。

「フォトジェニックと程遠い  地味な休日だけど
私が究極になる   たまらないスタート」
私が究極になる・・・って、どんななの?
わからん!と困惑する。が、なぜか高揚する不思議なフレーズ
私が究極って?そもそも究極って?
 そんなことを考える。
ふと答えの

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写真の思い出

写真の思い出

このご時世、実に手軽に写真を撮れる。
私が子供の頃 写真は特別なものだった。
父はすすんで写真を撮る人ではなかった。
家族の写真はほとんど伯母が撮ったものだ。

私の手元に残る子供の頃の数枚の写真
笑っていない困った顔
不安定だったんだなと思う。

実家には重たいアルバムが何冊かあって
見たいときに見られるところに置いてあった。
私が実家を離れて帰省したとき
その場所に見たことのない写真が一緒にし

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ちっさな願望と妄想とその結末

ちっさな願望と妄想とその結末

動物が好きです。
ふれあえるペットはもちろんですが
ふれあえない野生の動物も。
私が住んでいる場所だと
主に鳥、蛙、用水路にずっといる鯉、たまーに蛇
触ったり、餌をあげることはしません。
ただ見ているだけ。
「いるなぁ。」と、
それだけで満足した気持ちになります。

例えば、近所でウサギを見つけたとして
それからそのウサギに出会えなくても
このどこかにウサギがいるんだ・・・
そう思ってしげみを眺め

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帰る場所、ありますか?

帰る場所、ありますか?

『進撃の巨人』ED曲
ヒグチアイさんの「悪魔の子」の歌詞

鳥のように 羽があれば
どこへだって行けるけど
帰る場所が なければ
きっとどこへも行けない

帰る場所は家なのか、故郷なのか、それとも誰かの元なのか
私の場合の帰る場所   「家」について

帰る場所は帰りたい場所のはずなのに
私にとって生まれ育った家はそうじゃなかった。
家族構成は実の父、実の祖母、実の兄、そして私。
なのに、なぜか私

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二編の詩に思う①

二編の詩に思う①

「わたしを束ねないで」

大人になってからも思い出す
国語の教科書に載っていた詩がある。

一つは 谷川俊太郎『朝のリレー』
もう一つは 新川和江『わたしを束ねないで』

国語は嫌いではなかったけれど
特に好きだったわけでもなく
読書が好きだったわけでもない。
それでも心に残っていたこの詩に
今さらながらいろいろと思う。

~わたしを束ねないで~
思春期の私に、薄っすらわかるような気がするタイトル

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曇り空相応

曇り空相応

毎朝、雑多な看板を見ながら8号線を走って仕事に向かう。
この風景によく似合うのは薄曇りの空。
完璧な青空は、「行きたくないよね、仕事。」
そう言って私の邪魔をする。
曇り空がちょうどいい。
「まだマシな仕事」に向かう憂鬱と
「住むにはまだマシな場所」の風景が空の色と馴染んで
それ以上後ろ向きな考えにならずにすむ。

幸せかと聞かれたなら、「幸せだけど・・・。」と答える。
不幸かと聞かれたなら、「不

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飼いたいのか、飼っている人になりたいのか

飼いたいのか、飼っている人になりたいのか

一人と一匹暮らしの私が思ったこと

つらい日のこと

ベンジーの息はとても苦しそうで、見ていられない。

ベンジャミン(呼び名はベンジー)は雄の中型犬で年齢は12歳。
彼が体調を崩して容体は悪くなる一方。
病院で処置をしてもらうも、まだ私の目の前で苦しんでいる。

そういえば私は今まで病気に苦しむ人を見てこなかった。
家族が息を引き取る瞬間、私はいつもそこにいなかった。
苦しむベンジーを目の前にし

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