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写真の思い出

このご時世、実に手軽に写真を撮れる。
私が子供の頃 写真は特別なものだった。
父はすすんで写真を撮る人ではなかった。
家族の写真はほとんど伯母が撮ったものだ。

私の手元に残る子供の頃の数枚の写真
笑っていない困った顔
不安定だったんだなと思う。

実家には重たいアルバムが何冊かあって
見たいときに見られるところに置いてあった。
私が実家を離れて帰省したとき
その場所に見たことのない写真が一緒にしまわれていた。
雷門に自分以外の家族
・・・そういうことね。

東京に住む伯母が家を建てたとき
家族四人で新築祝いの津軽塗りのテーブルを車に積み
東京に行った。
滞在中の一日、私はマンガを買い与えられ
一人で留守番した。
東京を観光するのに
父の車に全員乗れないから
私は置いていかれたということだ。

写真はずっと隠されていた。
見つけてしまったものはどうしようもない。
その事を思い出すときの私の顔は
子供の頃の写真の顔になっているだろう。

私は今の自分が好きだ。
そんな思い出さえ今の私に繋がるのだと思えば
消してしまおうなんて思わない。
感情はエンターテイメント
怒る    悲しい   憤る
そんな感情も映画を観た後のように一旦終わらせて
たまに思い出す時は そんな映画あったな、なんて
またその感情に浸ってみる。

あの写真もだいぶ色褪せただろうな
私だけの写真の思い出


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