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『小倉祇園展』と、祭りの始まり
6月29日から「小倉祇園」の企画展が始まりました。
北九州市にぎわいづくり懇話会発行の情報紙「雲のうえ」を編集されている、「牧野伊三夫」さんのイラストが特徴のポスターが各地に貼られています。今、だいたい月に1万人くらい小倉城庭園に来ていただいてますので、2万人ちょっとの方に小倉のお祭りを紹介できる形になります。
小倉城庭園の館長が月に一度ラジオをやっていて、そこで小倉祇園の詳しい話をしたので、そ
小倉城庭園リニューアル!
小倉城庭園が池泉回遊式になり、ぐるっと回れるようになりました。夜のライトアップが開放され、無料で見れるようになりました。
詳しく言うと、今までは回遊式と言いながらも、回遊できなかったんです。行って戻るだけの庭となっておりますので、綺麗なんだけど短いのが問題点。
案内のガイダンスなんかも「池泉回遊式の日本庭園…」なんて言うので、お客様から「どこが回遊式なんですか」と聞かれて、答えに窮する始末でし
筆心会と西村天峰先生
小倉城庭園で行われた筆心会の展示が、4月25日まで開催されました。
筆心会は、小倉城庭園にて開催されている書道講座でも、お世話になっております。各生徒さんが多数の作品を展示してくれています。工藤先生、いつも大変お世話になっております。
隔年で開催されており、次に開催されるのは2026年となります。
西村天峰先生
さて、小倉城庭園ができた25年前は、筆心会は西村天峰(にしむら てんぽう)先生
小倉城 石垣の秘密~西の端へ~
ブラタモリで小倉城が紹介された際に、『堀から少し歩いただけでまたすぐに堀?どこまでも守りを意識した小倉城』ということで、城としての防御力の高さについて語られていたのも、記憶に新しいところです。
その防御力の高さを体験し、「どこまでが小倉城だったのか」を調べるため、まずは西の端へ向かってみました。
小倉城は、紫川を中心として西側を流れる板櫃川と東側を流れる寒竹川(神嶽川)を利用し、城下を丸ごと河
「横山大観展」コラボ!
小倉城庭園と言えば、日本文化を海外から旅行で来られる方々に紹介することも、大きな役目のひとつです。多くの海外の方が、お抹茶を楽しむことで、茶道を体験していただいています。
お抹茶を英語で世界に紹介した人と言えば、1906年に、ニューヨークで自身の英語で『茶の本』を出版した岡倉天心です。私たちも岡倉天心のような精神を大切にしながら、しっかり日本文化を伝えていきたいと思う日々です。
美術館×小倉城
小倉城庭園入場者10万人達成
令和5年度は小倉城庭園に来ていただいた方々が10万人を超えるという、とても嬉しい結果となりました。来ていただいた皆様はもちろんのこと、運営側として関わっていただいた皆様にも、多くのご助力をいただきました。心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
小倉城庭園ができた初年度(平成10年)は、9月末開館から年度末(3月末)までと開いている期間が短い中で9万人超の方に来られていますので、もちろ
小倉城 石垣の秘密~誰が積んだ石垣なのか~
今回も、更に深堀した小倉城の楽しみ方をお伝えします。前回は炎上した小倉城とその焼けた石について触れました。今回は、それぞれの石垣について誰が積んだのかという話をします。
小倉城、「南蛮造り」の石垣
小倉城を現在の規模にしたのは細川忠興で、「南蛮造り」と呼ばれる、円教師の土木技術が用いられた独特の建築法でした。
多くの石垣には「野面積(のづらづみ)」という技法が使われています。形も石質も不揃い
小倉城 石垣の秘密~焼けた石垣~
今回は少し深堀して、小倉城の更なる楽しみ方をお伝えしようと思います。前回の「白黒騒動」について書いた記事の中で、小笠原忠固公の世に小倉城が燃えた話を少し書きました。関連する形で、小倉城の「石垣」について触れていきます。
小倉城の目玉と言えば、やはり「石垣」です
小倉城天守閣は天保8年(1837年)に火災で焼失しました。また慶応2年(1866年)8月1日、長州征伐の「小倉口の戦い」際に、お城を自
小倉城武将隊の新作舞台「白黒騒動」への予習
前回の記事で、小倉城武将隊の新作舞台が小倉藩の御家騒動である「白黒騒動」だとお伝えしました。舞台の内容について私は全く知らないのですが、作品を楽しむためには予習が必要だと思いますので、簡単にまとめてみます。
小倉藩の御家騒動は、5代藩主小笠原忠苗時代の「小笠原騒動」と6代藩主小笠原忠固時代の「白黒騒動」の二つがあります。前者については、これらの記事にまとめていますのでご覧ください。
白黒騒動の
小倉城武将隊 ランチパックになる「小倉城桜まつりへ向けて~小倉藩、2つの御家騒動」
今回はご存知「小倉城武将隊」について大きなお知らせが2つあります。
まず、ひとつめ。
ヤマザキパンさんの、ランチパックに採用されました!
小倉城の歴史を演劇で伝える「小倉城武将隊」は、江戸の小倉藩を舞台にした演劇を既に3本完成させており、そのどれもが大好評で舞台の際には毎回多くの来場者でにぎわい、最近は各地からオファーをいただき出張案件も増え、城や庭園でもほぼ毎日どなたかが来場者をお出迎えい
1+1は結ぶと別の形になる~小倉城庭園企画展『春を包んで風呂敷展』開催
2月17日より、ふろしき研究会さんにご助力いただき『春を包んで風呂敷展』を開催しています。ここでは、風呂敷にまつわることや、小倉城庭園との関連などをお伝えします。
風呂敷という言葉の由来
「風呂敷」の名前は「風呂」で「敷く」布が由来となっています。室町時代までのお風呂は今とは違い、蒸し風呂だったそう。スノコの下から薬草などを燃やして煙を出し、祈祷や疫病対策などに利用していたところから始まったと
小倉城庭園の香道講座
小倉城庭園の香道講座
小倉城庭園では様々な「道」のお稽古講座が開催されています。
その中でも今回は「香道」についてお伝えいたします。香道は大変面白いです。館長オススメ!講座です。小倉城庭園では志野流(しのりゅう)の講座が開催されています。
志野流は、室町時代に始まり現在まで続く香道の流派です。小倉城庭園で志野流の講座が開催されることになったのは、小倉藩との関係性が深かったためだと聞いています。
復元された「小倉織の袴」お披露目の巻
江戸の小倉三大名物
2022年4月に、この文章を書いている人は小倉城庭園に就任したのですが、「小倉城庭園らしさとは何だろう」と考えるところからがスタートラインでした。「江戸時代らしさ」がそのひとつになると考えたときに、学芸員の先生から江戸の小倉三大名物について学びました。それが、小倉織・三官飴・火打ち石でした。私は「まず始めの企画展は小倉織でいきたい」「三官飴と火打石も就任期間中に何かしら取り上
私たちのまち「小倉(こくら)」を考える#4 ~小笠原騒動~
多様性の街、小倉
私たちのまち「小倉(こくら)」を考えるシリーズも第4回まで進んできました。
ここまで大まかに、#1縄文時代~、#2平安時代~、#3鎌倉時代~、の小倉についてお伝えしてきました。小倉が「人や技術が交わる多様性の街」であるということがテーマのひとつでした。
江戸時代の始まりと共に小倉へ入ってきた細川忠興は、茶道や禅の観点のみならず、街づくりに関しても今の小倉の祖と言え、小倉が多