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小倉城 石垣の秘密~焼けた石垣~

今回は少し深堀して、小倉城の更なる楽しみ方をお伝えしようと思います。前回の「白黒騒動」について書いた記事の中で、小笠原忠固公の世に小倉城が燃えた話を少し書きました。関連する形で、小倉城の「石垣」について触れていきます。

小倉城の目玉と言えば、やはり「石垣」です

小倉城天守閣は天保8年(1837年)に火災で焼失しました。また慶応2年(1866年)8月1日、長州征伐の「小倉口の戦い」際に、お城を自ら燃やし逃れました。

そして小倉城は昭和34年(1959年)に再建されました。今の小倉城はデザインも変更されており、江戸時代の小倉城とは別のものです。

しかし、石垣は、戦国時代の名残を残しつつ多くは江戸時代に作られ、さらには明治大正昭和の中で陸軍が積んだ石垣も交じり、長い世代を一望できる石垣と言え、500年ほどが、この石垣に詰まっています。

個人的には、石垣に目を向けてこそ、小倉城らしさを体験したと言えると思っております。

迫力満点の石垣

ちょっと詳しい小倉城(石垣)の秘密

石垣の概要については、小倉城公式HPの「小倉城ものがたり」からご覧いただけますので、ぜひお読みいただきたいです。

https://kokuracastle-story.com/2021/07/story43/

上記には書かれていない内容が、まだまだありますので、その内容を幾つかの記事にわけてお伝えしていきます。

赤い石の秘密

まず、こちらは小倉城を正面から見た写真ですが、上の方が赤くなっているのがおわかりでしょうか。

上の何段かは、明らかに色が違います
拡大するとわかりやすいかも

この部分が焼けた石であると言われています。専門家の方に伺うと「石が焼けると表面が赤くなり、剝がれていく。そのような跡が確認できるのであれば、焼けたと判断してよいのではないか」とのこと。

天守閣入口

近づいてみると、確かに赤い石は表面が剥がれているものが多いように見えます。

確かに赤く、表面が剥がれています
このような石が多く見受けられます

石垣全体を見ると、西ノ口門周辺にこのような石が多いようにも思えます。

この辺りですね。

「鉄門」の石垣にもが赤茶けた石が目立ちます。これは、長州征伐の「小倉口の戦い」際に、お城を自ら燃やし逃れた時の火力で石を焦がした痕跡とも言われています。

前述したように小倉城は2度燃えています。様々な場所にこのような石がありますが、そのどちらで焼けたのか、実際にはわかりません。

わからないなりに、想像したり思いを馳せたりすることも観光のひとつであろうと思います。様々な場所に焼けた石と思われるものがちらばっていますので、ぜひ探してみてください。

次回は「どの時代に積まれた石なのか」「小倉城周辺エリアに残る石垣」などについて書く予定です。お楽しみに。



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