足立山妙見宮と古市古流
足立山妙見宮の春季例大祭で斎行された「茶道古市古流」の献茶式を見学しました。足立山も、古市古流も、江戸時代の豊前国小倉藩小笠原公と繋がりがとても深く、そのコラボ企画ということで足を運びました。
足立山には、小笠原藩の世継が正月に参拝していたという言われもあり、足立山の麓にある福聚寺は小笠原藩の菩提寺でもあります。また、古市古流は小笠原家の茶道師範だったそう。小笠原の文化を語るには欠かせない要素と言えるでしょう。
儀式の様子を見ながら、それぞれについて少しご説明させていただきますので、お付き合いください。
神楽殿で献茶祭が執り行われました
厳かな雰囲気の中で、ゆっくりと神事が進んでいきました。
古市古流について
室町時代の中頃(1450年)大和国奈良興福寺の寺社奉行を務める大名、古市播磨守胤栄が古市古流の祖です。その歴史は古く、古流と言われるように、千利休が興した茶道よりも以前にできあがったと言われています。
細川三斎公から豊前小倉藩を引継いだ初代藩主小笠原忠真公に茶道頭として仕えるために、古市は小倉へやってきたそう。そのような流派が今も残ってその技を伝えていることは、大変興味深いと思います。
そもそも、小笠原家は清和源氏の名門であり、武家故実を諸大名に相伝する家となり、小笠原流を武士の間に広めるような糾馬術礼法の名家でもあります。その小笠原家の、茶の湯の師範代ともなると、それなりの流派でなければ務まらなかったのではないかと想像できます。
今回、献茶をされたのは、十七代(当代)一侑斎(いちゆうさい)様になります。古市古流について詳しく知りたい方はこちらからどうぞ。
小倉城庭園でも、月に一度、呈茶席を担当していただいております。古市古流に触れてみたいという方は、小倉城HPでご確認ください。
ちなみにですが、この写真の正面にいらっしゃる、古市古流のお弟子さんが履いている袴は、手紬手織りの小倉織です。先日以下の記事で紹介したものと、ほぼ同じですね。木綿ですが、生地が厚いためパリっとされていますね。
足立山について
足立山(あだちやま、あだちさん)(宮司さんは”あだちさん”と述べられていました)は、北九州市小倉北区にある標高597.8mの山です。別名「霧が岳(きりがたけ)」とも言いまして、確かに霧に包まれていることが多い山です。北九州市の中心部である小倉の市街地に近く、夜景のスポットとしても有名です。
歴史の中の足立山は、769年、和気清麻呂が大隅国へ配流される途中(宇佐八幡宮神託事件)弓削道鏡の追っ手により足を負傷したのですが、足立山の冷泉 (霊泉)で平癒し「足が立った」ことから足立山とよばれるようになったという話が有名です。その時、白い猪が活躍したとのことで、足立山妙見宮も、足立山の反対側にある葛原八幡神社も、鳥居の前の「狛犬」は、犬ではなくイノシシです。正しくは「狛猪」ですね
ちなみに和気清麻呂は、足が直った後、平安京の建都事業に尽力したりもしています。地元に関わりの有る著名人が、平安京に関わっていたというのは驚きでした。
この日は霧もかかっておらず、晴れた足立山でした。良い雰囲気で神事は終了し、呈茶の振る舞いを頂戴いたしました。とても美味しい。
江戸時代にも小笠原家の誰かが、私たちのように足立山を見上げながらお抹茶をいただいたりしたのかなあと、思いを馳せたのでした。
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