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心の病という病−こころの治癒⑭

(心のカタチより)

自分たちは、心の病の存在をどうやって知ったのでしょうか。心のカタチでは”心の病”と称してますが、それは読まれる方に判りやすい表現として利用しております。まずは心の病が何者かを知ることが必要なのかも知れませんね。

前回「こころの差」のお話をしました。その話では、”治癒は”こころの差から心のカタチやそのあるところを知ることができ、それが唯一こころに効くクスリを処方する術となり、そのクスリは元々こころにあるという話でした。

世にいう薬は、疾患が判り、その患部に直接処方することでより効果を促します。どこにあるとも解らない患部(こころ)にどうやって処方することができ、その薬が効くと考え判るのか。となります。

”考え”とは、世に証明されたものを使えなければ、感情を産み出しもします。なんの証明もなく感情で見つけたものは、それが正しいとも間違っているとも判断しようがないのです。結果、正しいと思えても、それが本当に正しいのかさえ証明できず、間違っているのかと不安も残すのです。

人のこころは”幸せ”を望んでます。それがこころに効くクスリの証明です。それがこころの患部に効かない訳はないのです。昔から云うように”病は気から”です。

「暗示」

世の中には”暗示”という言葉があります。いつものようにgoo辞書で調べてみると「人の感情や考えが、言葉や絵などの間接的な手段によって無意識のうちに強制によらずにある方向に変化する現象」とありました。ちょっと分かりにくいですね。

簡単に訳すと「知らず知らず無意識のうちに何かしらで洗脳されている」とでも言いましょうか。洗脳とは少し言い過ぎかも知れませんが、そうでもないとも言えないのです。

人はこころの衰弱によっては自分でどうしようもなくなる”もの”です。そんな弱った心に外的刺激(ことば)や自発的刺激(かんがえ)が加わると”暗示”にかかり易くもなります。

例えば、人の話を鵜呑みにしてしまうのもそうです。確かに人の話は実体験によるものが多いですが、それはその人の体験であり、自分も同じとは限りません。

人の言葉(がいてきしげき)には、多々”証明”もない話があります。それはその言葉に”責任を持たず”言われるがため、そんな言葉にも弱まった心には頼らざる負えなくなるからです。それが先でいう洗脳です。

人の言葉は、自身のこころで解釈でき、はじめて自分が責任を持てるのです。それはその言葉に良くも悪くも後悔しないための”納得”があるからです。

心のカタチの話も同じです。私、ぽち☆が云ったからではなく、自身が納得できることだけを”自分の責任”で扱うのです。それがこころを自分のために扱えるという”もの”です。まぁ。話の流れで洗脳とは言いましたが、分かりやすく言えば”暗示”です。

「心の病という病」

ぽち☆の周りにもよくいる方のお話です。プライベートだったり、仕事だったりと日常的に悩む方がおられます。そんな悩みを重ねると日常の生活に支障を生じもしてきます。

そのような時、皆さまならどうされますか?
心に負担が大きくなれば、それ専門の方がいるところへ行くかも知れませんね。ただ、ご自身はそこに”何をしに行く”のでしょうか。もちろん、行くことを良くないとは云いませんが、何をしに行くのか自身も判らず行ってしまえばリスクを造るのです。

それが心専門の方のところなら尚更。心のカタチでよく云う”心を知らない”には、その専門にする方も”心を知らない”と考えるからです。

もし。機会あれば聞いて見てると判ります。
”心はどこにあるのか”
”心はどんなカタチをしているのか”と。

その2つの”証明(せつめい)”がなく「精神が司るところ」や「心は貴方の中にある」など、はぐらかしもすれば心を診る以前に”何(どこ)を治そうとしているのか”です。それを”処方(くすりずけ)”されればリスクとなります。

たぶん。そんな時はいきなり”命名のお仕事”がされてます。それは自分が心を知らないのを良いことに、専門の方も平然と”病名”を植え付けるのです。

その芽は次第に心深く根付きもし、不安を煽るのです。それが暗示となるのです。

ぽち☆は世の中に”心の病”があるともないとも云いません。ただ。心を専門する方が何を診て”心の病”と告げるのか。それが疑問です。人として、やってはイケない事に”人が人を病にさせる”ことがあります。

それが”心の病という病”に侵され、心の呪縛に迷い込ますのです。

ですが、心のカタチを読む皆さまは多少なりとも心の改善を促してます。それはこころに興味を持たれた方たちだからです。すでに”心を知らない”ではありません。ご自身もしくは知人が「心の病にされているかも」と少しでも思えたなら、その証です。

「暗示を解く」

”こころの治癒”に大切なことは「病は気から」から解ります。ただ、その「気」が何者かを知らずして治癒することはないのです。

それは心の病は繰り返しもするからです。それを心のカタチではそれを”半治(はんち)”と云い、”心を知らない”状態を云います。

では”気”とは何者か。
それは皆さまも知る”心”です。ではなく、そのこころの中にある”気持ち”です。そして、その”気”に治癒させるには、心をカタチ付かす”感情”に邪魔されない気持ちに治(ただ)すのです。

それを”気持ちのまま”と云い、治癒は
『いつも気持ちのままに』となることです。

人の心のカタチは、いろんな感情が薔薇の華のように幾重にもカタチ付いてます。その一枚一枚に、出来事という”理由”があり、それらは感情からの感情を造り重ねているのです。

そんな心のカタチとは、人の気持ちは喜怒哀楽の感情を湧かし言動し表します。それが、出来事(かんじょう)に囚われると、その湧いた感情が気持ちを無視し感情を造るのです。その造られた感情は”気持ち”とは違う”もの”となり、独り歩きを更に続けるのです。自分を見失うとは大概そんな時です。

心のカタチはそんな形をしているのです。
では。そのカタチから何が判るか。気持ちから湧いた感情が自分自身なら、それを取り巻く感情は本来不要な”もの”とも云えます。何をどうすれば治癒に向かうのか何となく解ってきたのではないでしょうか。

それが”暗示を解く”一歩となるのです。

※前回から少し心に重い話をしております。それは、一度は話さなければならない、心深く根付く暗示があるからです。”ひと息もふた息もつきながら”こころの休憩”をしながらお読みください。


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