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人生はとんとんで

(心のカタチより)

人生には山あり谷ありと良いことあれば悪いこともある。それらは、自身がどう思うかで心が山にもなれば谷にも出来るのです。

例えば『ありよりのなし』や『なしよりのあり』はひとのこころを微妙に表します。それぞれの要素を残したまま心を決めてます。これらは考え方次第でどうとでも心の状態を決めれるのです。

そこに相手の居れば尚更です。それを『ありよりのなし』か『なしよりのあり』を考え過ぎてしまえば、自身のこころが解からなくなってきます。そんな時、”良かれ”と理由つけてしまえばマスターベーション(自己満足)になるのです。それは相手のためではなく自分のためだけに心の谷をつくるのです。

人生とは、歩めば歩むほどいろんな出来事が自身に置起きます。その出来事毎に心の山谷をつくってしまえば、複雑な感情を育て心が保てません。それは、人生が戻れないと知るのと同じく、あとの祭りで後悔と想定外の損(やまい)に谷するのです。

本当に相手のことを想うなら、”良かれ”以前に自分のことを思う必要があるです。それは、いつも”ありよりなあり”でいるのです。それが相手にやり過ぎと思えても決してやり過ぎにならない理由があります。

それは相手が”ありよりのあり”をするからです。

例えば、”良かれ”と思い自身が”ありよりのなし”をすれば、相手の”ありよりのあり”が谷をつくらせます。同じく自身が”なしよりのあり”ならば、相手の”ありよりのあり”が深い谷とさるのです。どちらにしても心の谷をつくるのです。

人は”幸せになりたい”がために大概”ありよりのあり”を心に持つのです。それは後悔しないための自己防衛として持ち、自身も”ありよりのあり”をしなければどうあがいても平等にはなれないのです。

平等は、山になることはできませんが平坦な道(じんせい)は少なからず歩み易いのです。その平坦(きほん)を『とんとん』と云い、それができれば自身の”ありよりのあり”が時に山もつくるのです。

ところで、”山あり谷あり”とは何でしょう。

世の中に得をする人・損をする人がいることが山でもあり谷でもあるのです。誰かが得をすると言うことは、どこかで誰かが損していると言うことです。株の儲けに判るように誰もが儲かることなどありえないのです。

こころも同じ。みんなが思うとおりに幸せとなることは皆無なことです。それは誰もが幸せを保ち続けることが出来ないからです。世の中に幸せな人がおればその人を見るだけで、不幸を感じさせ時もあるのです。

それなら誰ものこころを谷にも山にもさせない”とんとん”が平等で安らげます。それは誰が得する訳でもないが誰かを損させることもないのです。

本来、ひとのこころにある”心地よさ”は平等を分かち合い感じる事からはじまります。それはこころが望む素直な幸せとなれるからです。

おぎゃーと産まれた赤ちゃんがぴゅあなこころでいられるのは誰かを得にも損にもさせないからです。それが育つに連れ欲という感情を育てます。それが平等なこころを忘れ居心地悪くさせるのです。

人生に山あり谷ありあろうとも平坦を歩むのが一番こころに優しいと知っているはずです。そんな人生に歩み治すことがこころには大切です。

”人生はとんとんで”十分なのです。

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