koki@読書ログ(的なエッセイ的な何か)

noteはアウトプットの場と心得る。読書仲間が欲しいなあ、と思う今日この頃。1991年…

koki@読書ログ(的なエッセイ的な何か)

noteはアウトプットの場と心得る。読書仲間が欲しいなあ、と思う今日この頃。1991年愛知県生まれ、読書歴5年、note歴4年、筋トレ歴9年、専門商社勤務、一児のパパ。

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読書と思索のための記事アーカイブ(現在の記事数175) 最終更新日:2024/07/21

ここでは、読んだ本に関するエッセー的なものをまとめています。 私たちが読書をするときの様子を例えるならば、それは私たちと書物自体との対話であり、私たちと著者自身との対話であり、私たちと私たち自身との対話です。 これらの記事には、本の要約ではなく、私の個人的な意見や感想が備忘録的に記されているだけであり、それらは冗長であり、乱雑なものばかりですので、あまり皆さまのお役に立てないかもしれません。 しかしながら、私自身が読書を通じて、これらの内省的対話に助けられてきたように、

    • やさしさこそ、最強の武器である。カール・ヒルティ『眠られぬ夜のために 第一部』

      文字数:約7,000 カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために 第一部』を読んで、「人へのやさしさ」に関して、思いを馳せてみました。 人を笑顔にするって、素敵なことだなあと、僕は思います。そのヒントを書けていればいいなあ、と。 1: お金ってなんだろうね? 最近のテレビは、プロ野球の話題を取り上げる代わりに、大谷翔平ばかりをクローズアップしているような気がしていますが、みなさんはどう思いますか? と、そのように聞けば、恐らくは、みんな同じような印象を抱くのだろうと思う

      • 感情的になりがちなすべての人へ、愛を生み出すために。ヒルティ『眠られぬ夜のために 第一部』

        文字数:約10,360 0: はじめに イライラする自分を好きな人はいない。それは、ほんの些細なことで構わない。少しでも物事が自分の思い通りにならなかったとき、心の奥底から、邪悪な感情がほとばしるのである。まず、邪悪な気持ちは、反応を制御しようとして、彼らはしばしば成功する。表情はくすんでゆき、身体はこわばりはじめる。この作業は瞬時に、かつ正確に行われる。 次に、この悪魔は、言葉、あるいは行動、もしくはそのどちらをも操作しようとする。頭に浮かぶ言葉を他者や物事への批判や

        • 「暇」を健全に感じる方法について。

          文字数:約9,120 毎度、何の前触れもなく申し訳ございませんが、ふと、虚無感について考えてみたくなったから、ここに書きなぐってみたいと思います。漠然とした将来に不安を抱える同士諸君に向けて、暇だとか虚無感、そこから派生する倦怠感や人生への無気力感に関する、僕なりの考えをここに書き下そうと思う。そして、僕たちはどうすればよいのかの、一つの指針を導き出せれば幸いである。ただ、僕にはそのような普遍的に近しい回答なるものは、導き出せないのかもしれないが、ここは一つ気張って見ようと

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        読書と思索のための記事アーカイブ(現在の記事数175) 最終更新日:2024/07/21

          考えるためのヒントくらいは書いてあるだろう。小林秀雄『考えるヒント』

          文字数:約10,080 小林秀雄を読んでいると、「ああ、そうだよなあ」と妙に納得する自分がいる。僕が読書に対して、求めているものは、この「ああ、そうだよなあ」的な感覚なのかもしれない。「ああ、そうだよなあ」、「ああ、そうだったよなあ」、と。初めて出会う文章でも、なんだか懐かしさを感じるのは、僕の気のせいではないのでしょう。 いくつか小林秀雄の『考えるヒント』から、彼のそのようないくつかの箴言を引用して、それについて少しばかり、僕なりに考え、書き出してみようと思います。

          考えるためのヒントくらいは書いてあるだろう。小林秀雄『考えるヒント』

          消費される読書の致命的欠陥、趣味としての読書の創造性。小林秀雄『読書について』

          文字数:約8,500 これは、小林秀雄の『読書について』を読み、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 1: 小林秀雄は難しいか?今は、小林秀雄の『考えるヒント』に取り組んでいる。 が、なんだか腰が異様に重たい。 『考えるヒント』は、文藝春秋とか朝日新聞とかに掲載された小林秀雄のエッセイがまとめられた本だ。 それはあくまでもエッセイ集であり、一つ一つのエッセイは独立しているから、相互間の関係性はほとんどない。比較的に読みやすい随筆も

          消費される読書の致命的欠陥、趣味としての読書の創造性。小林秀雄『読書について』

          「考え」なければ、人生に「真面目」になれるわけがない。池田晶子『無敵のソクラテス』

          文字数:約7,010 池田晶子は、昭和から平成にかけての文筆家、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子を記念した「わたくし、つまりNobody賞」という賞があり、その公式HPにはこのように書いてあります。 以下は、池田晶子『無敵のソクラテス』を読み、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 なお、池田晶子の『無敵のソクラテス』には、池田晶子によるソクラテス対話篇作品たる『帰ってきたソクラテス』、『悪妻に訊け』、『さよならソ

          「考え」なければ、人生に「真面目」になれるわけがない。池田晶子『無敵のソクラテス』

          「考え」ないことの危険性、「考える」ことのもたらす希望。池田晶子『14歳からの哲学』

          文字数:約10,630 池田晶子は、昭和から平成にかけての作家で、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子の公式ページには、こう書いてあります。 以下は、池田晶子『14歳からの哲学』を読んでいるとき、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 1: 哲学するのは「イタい」こと?残念ながら、私たちの大多数は「哲学」という言葉に対して、ネガティブなイメージを持っている。 ・なんだか難しそうだなあ ・意味不明だよね ・中二病かな?

          「考え」ないことの危険性、「考える」ことのもたらす希望。池田晶子『14歳からの哲学』

          カネという動機のむなしさ、スキという動機のよろこび。池田晶子『14歳からの哲学』

          文字数:約6,620 池田晶子は、昭和から平成にかけての作家で、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子の公式ページには、こう書いてあります。 以下は、池田晶子『14歳からの哲学』を読んでいるとき、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 1: 読書はカネにならぬ『14歳からの哲学』を読んだきっかけは、私自身も哲学的なエッセイを書いてみたいなあ、と思ったからなのだが、とはいえ、私は4年前にnoteを始めてから、ほぼ継続的に読

          カネという動機のむなしさ、スキという動機のよろこび。池田晶子『14歳からの哲学』

          育児とは愛するということ、である。アドラーと岸見一郎による子育て論との対話。

          文字数 : 約8,970 岸見一郎いわく、いまだ現代社会はアルフレッド・アドラーの思想に追いつけていないのだそう。こと、「子育て」という側面からみても、確かにそうなのだろうと実感せざるを得ない。アドラーの『人生の意味の心理学』には、このようなことが記されていた。 アルフレッド・アドラーが生きた時代は今からおよそ100年以上前、19世紀後半から20世紀後半にかけて。「われわれは、女性が母性によって人類の生活に貢献することをいくら高く評価してもしすぎることはないことを繰り返し

          育児とは愛するということ、である。アドラーと岸見一郎による子育て論との対話。

          寝ることは世界に平和をもたらす。その背景について。アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』との対話。

          文字数:約6,780 良書と呼ばれる本は、ある共通した一つの特徴を持っていると私は思う。もちろん、良書が良書たるゆえんはそれ以外にもたくさんあるのだろうし、これは私の個人的な体感でしかないから、その程度に聞き流していただいて結構なのだが、良書とはその本を読んだタイミングによって、響いてくるメッセージが七色に変化する書物である。過去の自分と現在の自分が異なるように、過去に読んだ書物でも、再度改めて読み直せば、その文字列から読み取れるメッセージは、自分を取り囲む環境の変化に伴い

          寝ることは世界に平和をもたらす。その背景について。アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』との対話。

          気を抜けば、私たちは誰かにとっての銃となり病原菌となり鉄となるだろう。それらの危険性に関する考察。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』との対話。

          文字数:約3,650 育児というものは、想像以上に大変で、なかなかゆっくりとした自分の時間を割くことができなくなってしまった。本当は毎日(特に毎朝)、本を読んだり、noteに備忘録をしたためる作業を行いたいのだが、それもままならなくなってきている。とはいえ、時間は工夫すれば捻出できるはずだし、いまも隙間時間を見つけては(隣で赤ちゃんが目を覚まして、一人で遊んでいる風であるが、いつ呼び出しがかかるかと良い意味でそわそわしている)、ポツポツとここに記入しているのである。 育児

          気を抜けば、私たちは誰かにとっての銃となり病原菌となり鉄となるだろう。それらの危険性に関する考察。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』との対話。

          感情に言葉を奪われる前に。プラトン『ゴルギアス』との対話。

          文字数:約6,050 本を読み終えたら、それっきりにするのはもったいない。その時の自身の感情、思考等々を何らかの形で残しておきたい。そのためにこのnoteを記している。だが、ここ一ヶ月くらい、私はどうもそれらを重荷に感じてしまっているようだ。 これは自身の環境が急激に変化したからかもしれない。というのは、昨年末から育児をしていて、あまりまとまった時間が取れなくなってしまったからだ。かれこれ一ヶ月以上、この白紙のページに記しては消し、記しては消しを繰り返している。 次の読

          感情に言葉を奪われる前に。プラトン『ゴルギアス』との対話。

          「論破」とは致命的な行為の端緒であることについて。プラトン『国家』との対話。

          文字数:約5,020 毎度唐突で申し訳ないが、今はプラトンの『国家』に取り組んでいる。副題は「正義とは何か」。ここでは『国家』の内容自体の概要をまとめることはしない。(幾度も同じようなことを書いているような気はするが)それには時間がかかるし、ググればいくらでもこの手の要約記事は見つけられるはずだし、それに何よりも、この備忘録では私自身の書物への所感とそれらをどのように咀嚼し反芻するのかを考えたいからである。 「正義とはなんだろうか?」という問いかけは非常に難解である。難解

          「論破」とは致命的な行為の端緒であることについて。プラトン『国家』との対話。

          人格者とは何たるかに関する考察。 西田幾多郎『善の研究』との対話。

          文字数:約8,730 かつてゲーテはこのように言った。 あるいはこうとも言っていた。 私は私の邪悪な傾向性を恨みつつ、かといってこれらを完全に除去することはできないではないかと言い訳がましく諦める。人格とはなんであろう。世の中を見渡してみよ。いつだって気分が晴れやかで、にこやかで朗らかで、思いやりに溢れており、物腰や人当たりも柔らかく、丁寧かつ大胆で、言動には虚栄心のかけらもなく、少年少女のような純粋さをかね合わせ、彼らと対面した途端に不思議と微笑みがこぼれるような素敵

          人格者とは何たるかに関する考察。 西田幾多郎『善の研究』との対話。

          孤独の意味を分解し、再構築しよう。三木清『人生論ノート』との対話。

          文字数:約5,230 早速で申し訳ないが、今は三木清の『人生論ノート』に取り組んでいる。今回は、この書物のうち孤独というパワーワードにフォーカスを当て、どのようにそれらの考えを私生活に落とし込もうかと、自らの内面をぐっと見つめながら私なりにまとめようと思う。 過去、幾度も同じようなことを記録しているような気がするし、実際にそうなのだが、「孤独」とは大抵の場合には悪いニュアンスで語られがちなのだろうと思う。そこににじみ出る観念は、寂しさ、孤立、不安、悲しさ、退屈さ、倦怠感な

          孤独の意味を分解し、再構築しよう。三木清『人生論ノート』との対話。