koki@読書ログ(的なエッセイ的な何か)

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koki@読書ログ(的なエッセイ的な何か)

noteはアウトプットの場と心得る。読書仲間が欲しいなあ、と思う今日この頃。1991年愛知県生まれ、読書歴5年、note歴4年、筋トレ歴9年、商社マン、一児のパパ、Amazonアソシエイト(に登録してみたはいいものの…)

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読書と思索のための記事アーカイブ(現在の記事数170) 最終更新日:2024/04/23

ここでは、読んだ本に関するエッセー的なものをまとめています。 私たちが読書をするときの様子を例えるならば、それは私たちと書物自体との対話であり、私たちと著者自身との対話であり、私たちと私たち自身との対話です。 これらの記事には、本の要約ではなく、私の個人的な意見や感想が備忘録的に記されているだけであり、それらは冗長であり、乱雑なものばかりですので、あまり皆さまのお役に立てないかもしれません。 しかしながら、私自身が読書を通じて、これらの内省的対話に助けられてきたように、

    • 「考え」なければ、人生に「真面目」になれるわけがない。池田晶子『無敵のソクラテス』

      文字数:約7,010 池田晶子は、昭和から平成にかけての文筆家、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子を記念した「わたくし、つまりNobody賞」という賞があり、その公式HPにはこのように書いてあります。 以下は、池田晶子『無敵のソクラテス』を読み、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 なお、池田晶子の『無敵のソクラテス』には、池田晶子によるソクラテス対話篇作品たる『帰ってきたソクラテス』、『悪妻に訊け』、『さよならソ

      • 「考え」ないことの危険性、「考える」ことのもたらす希望。池田晶子『14歳からの哲学』

        文字数:約10,630 池田晶子は、昭和から平成にかけての作家で、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子の公式ページには、こう書いてあります。 以下は、池田晶子『14歳からの哲学』を読んでいるとき、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 1: 哲学するのは「イタい」こと?残念ながら、私たちの大多数は「哲学」という言葉に対して、ネガティブなイメージを持っている。 ・なんだか難しそうだなあ ・意味不明だよね ・中二病かな?

        • カネという動機のむなしさ、スキという動機のよろこび。池田晶子『14歳からの哲学』

          文字数:約6,620 池田晶子は、昭和から平成にかけての作家で、もしもご存命でいらっしゃれば今年で64歳。 池田晶子の公式ページには、こう書いてあります。 以下は、池田晶子『14歳からの哲学』を読んでいるとき、私の頭に浮かんできたことを乱暴にまとめたものです。書評ではございません。 1: 読書はカネにならぬ『14歳からの哲学』を読んだきっかけは、私自身も哲学的なエッセイを書いてみたいなあ、と思ったからなのだが、とはいえ、私は4年前にnoteを始めてから、ほぼ継続的に読

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        読書と思索のための記事アーカイブ(現在の記事数170) 最終更新日:2024/04/23

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          14本

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          育児とは愛するということ、である。アドラーと岸見一郎による子育て論との対話。

          文字数 : 約8,970 岸見一郎いわく、いまだ現代社会はアルフレッド・アドラーの思想に追いつけていないのだそう。こと、「子育て」という側面からみても、確かにそうなのだろうと実感せざるを得ない。アドラーの『人生の意味の心理学』には、このようなことが記されていた。 アルフレッド・アドラーが生きた時代は今からおよそ100年以上前、19世紀後半から20世紀後半にかけて。「われわれは、女性が母性によって人類の生活に貢献することをいくら高く評価してもしすぎることはないことを繰り返し

          育児とは愛するということ、である。アドラーと岸見一郎による子育て論との対話。

          寝ることは世界に平和をもたらす。その背景について。アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』との対話。

          文字数:約6,780 良書と呼ばれる本は、ある共通した一つの特徴を持っていると私は思う。もちろん、良書が良書たるゆえんはそれ以外にもたくさんあるのだろうし、これは私の個人的な体感でしかないから、その程度に聞き流していただいて結構なのだが、良書とはその本を読んだタイミングによって、響いてくるメッセージが七色に変化する書物である。過去の自分と現在の自分が異なるように、過去に読んだ書物でも、再度改めて読み直せば、その文字列から読み取れるメッセージは、自分を取り囲む環境の変化に伴い

          寝ることは世界に平和をもたらす。その背景について。アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』、岸見一郎/古賀史健『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』との対話。

          気を抜けば、私たちは誰かにとっての銃となり病原菌となり鉄となるだろう。それらの危険性に関する考察。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』との対話。

          文字数:約3,650 育児というものは、想像以上に大変で、なかなかゆっくりとした自分の時間を割くことができなくなってしまった。本当は毎日(特に毎朝)、本を読んだり、noteに備忘録をしたためる作業を行いたいのだが、それもままならなくなってきている。とはいえ、時間は工夫すれば捻出できるはずだし、いまも隙間時間を見つけては(隣で赤ちゃんが目を覚まして、一人で遊んでいる風であるが、いつ呼び出しがかかるかと良い意味でそわそわしている)、ポツポツとここに記入しているのである。 育児

          気を抜けば、私たちは誰かにとっての銃となり病原菌となり鉄となるだろう。それらの危険性に関する考察。ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』との対話。

          感情に言葉を奪われる前に。プラトン『ゴルギアス』との対話。

          文字数:約6,050 本を読み終えたら、それっきりにするのはもったいない。その時の自身の感情、思考等々を何らかの形で残しておきたい。そのためにこのnoteを記している。だが、ここ一ヶ月くらい、私はどうもそれらを重荷に感じてしまっているようだ。 これは自身の環境が急激に変化したからかもしれない。というのは、昨年末から育児をしていて、あまりまとまった時間が取れなくなってしまったからだ。かれこれ一ヶ月以上、この白紙のページに記しては消し、記しては消しを繰り返している。 次の読

          感情に言葉を奪われる前に。プラトン『ゴルギアス』との対話。

          「論破」とは致命的な行為の端緒であることについて。プラトン『国家』との対話。

          文字数:約5,020 毎度唐突で申し訳ないが、今はプラトンの『国家』に取り組んでいる。副題は「正義とは何か」。ここでは『国家』の内容自体の概要をまとめることはしない。(幾度も同じようなことを書いているような気はするが)それには時間がかかるし、ググればいくらでもこの手の要約記事は見つけられるはずだし、それに何よりも、この備忘録では私自身の書物への所感とそれらをどのように咀嚼し反芻するのかを考えたいからである。 「正義とはなんだろうか?」という問いかけは非常に難解である。難解

          「論破」とは致命的な行為の端緒であることについて。プラトン『国家』との対話。

          人格者とは何たるかに関する考察。 西田幾多郎『善の研究』との対話。

          文字数:約8,730 かつてゲーテはこのように言った。 あるいはこうとも言っていた。 私は私の邪悪な傾向性を恨みつつ、かといってこれらを完全に除去することはできないではないかと言い訳がましく諦める。人格とはなんであろう。世の中を見渡してみよ。いつだって気分が晴れやかで、にこやかで朗らかで、思いやりに溢れており、物腰や人当たりも柔らかく、丁寧かつ大胆で、言動には虚栄心のかけらもなく、少年少女のような純粋さをかね合わせ、彼らと対面した途端に不思議と微笑みがこぼれるような素敵

          人格者とは何たるかに関する考察。 西田幾多郎『善の研究』との対話。

          孤独の意味を分解し、再構築しよう。三木清『人生論ノート』との対話。

          文字数:約5,230 早速で申し訳ないが、今は三木清の『人生論ノート』に取り組んでいる。今回は、この書物のうち孤独というパワーワードにフォーカスを当て、どのようにそれらの考えを私生活に落とし込もうかと、自らの内面をぐっと見つめながら私なりにまとめようと思う。 過去、幾度も同じようなことを記録しているような気がするし、実際にそうなのだが、「孤独」とは大抵の場合には悪いニュアンスで語られがちなのだろうと思う。そこににじみ出る観念は、寂しさ、孤立、不安、悲しさ、退屈さ、倦怠感な

          孤独の意味を分解し、再構築しよう。三木清『人生論ノート』との対話。

          人生の防御壁としての哲学的態度。 三木清『人生論ノート』との対話。

          文字数:約6,230 とある私の夢、と言っても私が寝ているときの些細な夢という意味での話でしかないのですが、このような情景に遭遇しました。場面はどこかヨーロッパの優雅な国、私は商談をしているようでした。商談の内容自体に関しては、大抵の夢と同様に、まるっきり忘却の彼方に消えゆきましたが、一つだけ強く印象的で、心に迫ってくる事象がありました。 コロナも終わり、ほとんどの人々はマスク無しでわいわいと街中を賑わしていたし、私たちもマスクはつけずに堂々としていました。しかし、なぜか

          人生の防御壁としての哲学的態度。 三木清『人生論ノート』との対話。

          「カラマーゾフ万歳!」。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』との対話。

          文字数:約8,960 毎度唐突で申し訳ないが、ここ一ヶ月くらいかけて、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に取り組んでいる。新潮文庫版は全3巻、Kindleに表示されるページ数は合計でおおよそ1,500ページを超える。まずはよくもまあこんなに長い読み物を投げ出すことなく読み通せたのだと自分を褒めてあげたい気持ちになる。しかしそれと同時に、一度目を通しただけのこの傑作をどのように咀嚼すればよいのだろうかと考えあぐねてしまう。 そもそもたった一度しか読んでいないのであるか

          「カラマーゾフ万歳!」。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』との対話。

          素直さの重要性と、それらを消しさろうとする危険性に関する考察。 ドストエフスキー『罪と罰』との対話。

          文字数:約6,390 早速で申し訳ないが、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ。小説自体は非常に長く(新潮文庫版は上下巻合わせて900ページくらい)、解説書等含め、ここ一ヶ月くらい貪るように『罪と罰』に取り組んできた。途中で難しかったり退屈に感じてしまったら(これはエクスキューズではなく、読書とは強制されるべきものではなく個人の自由だと私は信じているからである)、そっと離れようと思っていたが、以外にもすんなりと読めたし、Netflixをイッキ見したような(と言っては、そんな

          素直さの重要性と、それらを消しさろうとする危険性に関する考察。 ドストエフスキー『罪と罰』との対話。

          道徳を否定する力についての考察。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』との対話。

          文字数:約8,010 早速で申し訳ないが、今は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んでいる。読もうと思ったきっかけはジブリの新作が出て、その予習の為にと思ってのことだが、そのことはひとまず置いておこう。まずはこの書籍そのものに関する自身の備忘録をここにまとめたい。 この本に書かれている内容の外観を無理矢理にも一言で申し上げれば、それは道徳、である。中学生の少年の精神的成長物語と教養教育的な性格を持つ書物である。ところで、その仔細な内容をここにまとめるのはよしておこう。

          道徳を否定する力についての考察。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』との対話。

          心の正体に関する洞察。夏目漱石『こころ』との対話。

          文字数:約3,600 外部的世界に振り回されそうになりがちな現代社会において、私(あるいは私たち)はもっと自分自身を見つめてあげなければならないのではないか。そのような問題定義を夏目漱石の『私の個人主義』を読んで考えたが、今回『こころ』を一通り読了した所感も、凡そ同じようなものだった。 もちろん『こころ』には、タイトルの文字が示している通り人間の心の数々が小説という形で提示されているのであり(あくまでも私自身の解釈ではあるが)、それはあるときには第三者的に観察すれば未熟な

          心の正体に関する洞察。夏目漱石『こころ』との対話。