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R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た) 第六章 闘走

【あらすじ】

 時代は昭和の終わり。 
 誰もがこの豊かな時代に歓喜をしていた。虚像が渦巻く好景気に大人は騙され、子供はその恩恵に授かり続けていた。 

 この物語は、少年から大人へと、人生のR(コーナー)を迎えた5人の少年たちの葛藤を描いた、一夜の青春群像物語である。
 成人式を迎えた日、仲間の一人が「今夜で走り屋を辞める」と他の4人に告げた。
 このことから、少年たちはバイクに車、そして恋愛と友情が織りなす中で、大人になることの答えを考え始めた。
 やがて夜が訪れ、峠に集まった5人の仲間は、お互いを理解しあいながらR(コーナー)を攻め続ける。そして、人生のR(コーナー)へと飛び込んでいくのだった。


【登場人物】
光司(コウジ) :主人公
卓也(タクヤ) :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ) :光司の親友。高校時代の同級生
晃(アキラ)  :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ)  :晃の年下の友達。走り屋仲間

裕美(ユミ)  :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人

勇次(ユウジ) :走り屋仲間。光司をライバル視



第六章 闘走

昭和61年1月 成人の日 午後11時


 
 生駒山の登山口ICにある駐車場から滑り出した、光司たち4台の車は、阪奈道路の下りコースへと入っていく。

 この下りコースは、生駒の山の上から大阪に向かって一気に駆け下りるコースだ。光司のホワイトカラーの「シビックSi」が先頭を走る。その後ろには、卓也のブルーカラーの「シビックSi」、その後ろには春樹の駆るホンダ「CR―X」、そして最後尾に晃のトヨタ「トレノ」が続く。これまで何度も組んだ、4台による一列のラインだった。

 光司たちがバトルを繰り拡げるこの阪奈道路には、走り屋たちを虜にしてやまない理由があった。それは、生駒の山を駆け上がるコースと、山を一気に駆け下るコースが、別々のレイアウトになっていることである。これは道路整備が難しい峠の道では、とても珍しいことでもある。
 すなわち、この阪奈道路の峠とは、その大半部分が対面道路ではなく一方向道路になっていることを示している。そして、一方向道路であるがゆえに、反対車線から飛び込んでくる車との、衝突をするリスクが無くなることも意味している。
 危険と隣り合わせの走り屋にとって、対面衝突のリスクを回避できることは、間違いなく大きな魅力といえた。だからこそ、この阪奈道路は、多くの走り屋を虜にしてやまなかったのだ。

 生駒山の登山口ICからしばらくは対面通行が続くが、龍間地区から中垣内地区に近づくと、対面通行とも別れを告げて一方向道路となる。それは、俺たちにとってもバトル開始を告げる合図でもあった。
 
 最初に現れる大きな左R(コーナー)を曲がり終えると、急な下り勾配が待ち構える。光司はギアを三速から四速へとシフトアップ、そしてトップにギアが入ったその瞬間、右前方に赤橋が視界に現れる。この赤橋は風の通り道にもなっていた。路肩の砂が風に舞い、路面に薄く被っていることが多い。もしもそれを知らずに、オーバースピードで赤橋に侵入をすると、タイヤが横滑りを起こしてしまうだろう。その結果に待ち構えているのは、赤橋の側壁に書かれた「事故多発注意」の看板である。
 今夜もきっと、その看板にめがけてダイブをする車が現われるのだろう。
 



 光司が操るホンダ「シビックSi」は、前輪駆動のFF車である。FF車はとにかくフロントが重たいために、R(コーナー)ではアンダーステアが強く出てしまう。従って、後輪が駆動しないFF車は、テールを故意にスライドさせる、パワードリフト走行には向いていない。
 そこで、FF車に求められる走法は、コーナーを小さく回るタックイン走法が主流とされている。
 多少、オーバースピード気味にR(コーナー)に浸入をしたとしても、ステアリングを切ることで車がイン側に曲がろうとする特性を活かし、素早くコーナーを抜けるのが、タックイン走法の基本だ。
 さらに、この走法では、R(コーナー)の出口を抜け出す手前からアクセルを踏み込むことが可能だった。早いタイミングからアクセルを踏み込めることで、ドリフト走行よりもコーナーの立ち上がりが速くなる。従って、タックイン走法は、R(コーナー)の小さなカーブが続くコースや、勾配が上っているコースでは有利とされていた。

 このコースを知り尽くしている光司は、赤橋の路面状況を確かめながら、難なく走り抜ける。その次に待ち構える緩やかなS字カーブを、光司は中央線を跨ぐように直線的なライン取りを行い、車を一気に加速させていく。
やがて、その先に見えてくるのが、下りコースの最難所といわれる、右のヘアピンR(コーナー)である。
 この右ヘアピンは、上空から見るとΩの形をしている。走り屋の間では、自分の顔の形によく例えていた。左の首筋から始まり、頭を回って右の首筋に抜けるイメージである。首のくぼみ部分があることで、中々カーブの出口が見えてこない厄介なR(コーナー)となっていた。
もしも、早くからアクセルを踏み出すと、カーブの出口が現れないことで、たちまちオーバースピードとなってしまう。
 まさに、走り屋にとってもの最大の見せ場であり、ガードレールの外にはたくさんのギャラリーがいつも詰め掛けていた。

 光司は右ヘアピンR(コーナ)の入口で、最大限に加速のついた車を、フルブレーキングさせる。暴れる車体を、ステアリング操作で、必死で押さえ込む。そして、カーブに浸入できる速度まで落ちたところで、アウト側からイン側へとラインを変える。
 カーブでは、車を外へ押し出そうとする強い力が働く。いわゆる、横Gと呼ばれる慣性力だ。その横Gが、ステアリングを握る光司の身体も外へと押し出そうと働く。
 光司は強烈な横Gを感じながら、いつまでたっても見えて来ない出口を探し続ける。 
 ガードレールの向こうに押し寄せるギャラリー。
彼らの紅潮した顔と届かぬ声が、暗闇の中で不気味に浮かんでいる。そして、タイヤの悲鳴がアクセルを踏む足の裏から、全身へと伝わってくる。光司は激しく脈打つ心臓の響きに快感を覚えながら、最難所の右ヘアピンR(コーナー)のスリルをいつも楽しんでいる。
 やがて、出口が顔を出したその瞬間に、回転数のタイミングを合わせると、一気にアクセルを踏み込んだ。 
 
 右ヘアピンR(コーナー)をすり抜けると、阪奈道路の下りコースは緩やかなS字から、路面が荒れた最終の左R(コーナー)へと繋がる。こうして、下りコースを駆け下りると、左手に見えてくる魔法ビン工場がゴールラインとなる。

 光司は「ふっと」小さく息を吐いた。そして、魔法瓶工場の前にある信号が、赤色に点灯しているのを確認すると、静かにブレーキを踏んだ。
ルームミラーに目をやり、後方を確認する。卓也に春樹、そして晃の車が、一列にラインを組んだままである。卓也たちは、光司がまだ本気でR(コーナー)を攻めていないことは解っている。

 「今夜は光司の卒業式」と彼らは言ってくれている。それならば、今夜の走りを、一生の記憶に残して置きたいと思った。だからこそ、今夜は激しくR(コーナー)を責める気にはなれなかった。
 これが人生のR(コーナー)であるのならば、光司は仲間たちと楽しく走りを共有したい。四台の車が一糸乱れぬ隊列を組んだまま、人生のR(コーナー)を潜り抜けて生きたいと思っていた。
 そして、生駒の山の向こうに、朝日が昇り始めるまで、光司はこの時間を共有していたいと願った。きっと、卓也も春樹も晃も、そんな光司の気持ちを察してくれているはずである。

 やがて、目の前の信号が青に変わると、交差点を右折し、阪奈道路の上りコースへと向かった。
 阪奈道路の下りコースと上りコースが別々のレイアウトになっていることから、下りコースの出口と上りコースの入り口は、1KMほど離れた場所にあった。
 この上りコースの入り口には、交通機動隊の詰所がある。深夜のこの時間、詰所は暗く閉ざされてはいるが、軽蔑とあざ笑いの視線を感じずにはいられなかった。
 走り屋も暴走族と同じように、社会の氾濫分子として一括りに扱う大人。この詰所が、そんな大人たちの見張り台として、暗闇の中でそびえている。そして、ほんの小さなこの詰所が、とてつもなく大きな存在に見えてしまう。詰所から伸びる大きな手が、光司たちの首を絞めようとしている。それは、明らかな支配者の手であった。
 光司はその支配者から逃げるかのように、詰所を通り過ぎると思いっきりアクセルと踏みつけた。 

 上りコースに入った俺は、アクセルを深く踏み込む。すると、敏感に反応をした俺の「シビックSi」が、急な上りラインを一気に駆け上がって行く。
とにかく、阪奈道路の上りコースは小さなカーブが連続しておりテクニックが問われる。そして何よりも、勾配が厳しかった。従って、このコースを速く走るためには、常にアクセルを踏み続ける必要があった。

 やがて、最初に迎えるのが半径の小さい左のヘアピンR(コーナー)である。この上りコースには、左ヘアピンR(コーナー)が2箇所、右ヘアピンR(コーナー)が1個所ある。とにかく半径が小さく、階段の踊り場でターンをするようなイメージである。
 光司はギアをトップから二速にまで、一気にシフトダウンを行う。
急激なシフトダウンに、エンジンが唸りをあげ、タコメーターの針が一気に跳ね上がる。そして、光司の身体が、前方へ飛び出そうとする。その強烈な力に、光司の身体が5点式シートベルトに激しく食い込む。

 車が充分に減速されると、車の頭をイン側へと突っ込む。とてつもなく強い力に、車の右側が沈み込む。とくに、R(コーナー)のノーズ部分では、もっとも外へと押し出す力が強まることから、ステアリングのカウンター操作を駆使しながらを力を緩める。 
カウンター操作とアクセルを踏み込む力を細かく調整をすることで、車体の安定化を図る。
 カーブが連続する峠では、決して車の性能だけでは速く走ることは出来ない。峠で車を速く走らせるためには、さまざまなテクニックを駆使しなければならない。万が一、運転テクニックよりも車の性能が勝っていると、それは事故を引き起こすリスクが高いことにもなる。

 もしも、自分が人生のR(コーナー)を迎えているのならば、社会で生きていく為のテクニックを、どれだけ身に付けているというのだろうか。
 ほんの一瞬、不安が頭を過った。

 やがて、ヘアピンカーブの出口が顔を出した。その瞬間、俺は一気にアクセルを踏み込んでいく。この上りコースは、R(コーナー)を抜けた後に、必ず急な勾配が待ちかまえている。従って、阪奈道路の上りコースを征する為には、出来るだけ早くアクセルを踏み込まなくてはいけない。

 アクセルを一気に踏み込まれた光司のシビックは、急な勾配の路面に張り付くかのように、滑らかに立ち上がっていく。ルームミラーで後方を確認すると、卓也たちの車も一糸乱れずに続いている。最後尾の晃の「トレノ」は、若干、光司たちとはライン取りが異なる。車の特性上、どうしてもカーブの出口はアウト側に膨らんでしまうが、それでも前を走る光司たちとの間隔は崩れていない。まるで、4人の厚い友情が、お互いの車を繋げ合わせてているかのようである。

 左のヘアピンカーブを過ぎると、すぐに右のヘアピンR(コーナー)が迫ってくる。このR(コーナー)の特徴は、カーブそのものに急な勾配がついていることである。鋭角に切れ込んだカーブに急な勾配がついているのは、まるで踊り場の無い螺旋階段のイメージである。
ここでは、鋭角に切れ込んだイン側になるほど勾配が大きくなることから、タックイン走法のイン側への切込みはリスクが高い。
 イン側のラインでは、カーブの立ち上がりで遅れをとってしまう。特に、排気量の小さい光司たち車では、パワー不足が露呈してしまう。ここは苦々しいが、イン側の急な勾配を避け、勾配の緩やかなアウト側にラインを取ることが賢明となる。

 右ヘアピンカーブを立ち上がると、勾配が一旦緩やかになる。しかし、心を落ち着かせる間もなく、切れ込みの厳しいS字R(コーナー)が目の前に迫ってくる。このS字カーブ、勾配が緩やかになった分、これまでのようにアクセルを踏み込むすぎると、オーバースピードとなってしまう。もしも、その落とし穴にはまり、オーバースピードでガードレールに突っ込めば、その先には底の見えない谷底しか待っていない。ついつい、意気込みすぎたり、油断をし過ぎると、その奈落の底へと突き落とされることにもなる。

 光司はS字R(コーナー)を丁寧に曲がり終え、二番目の左ヘアピンR(コーナー)へと差し掛かる。一番目の左ヘアピンと瓜二つともいえるこのR(コーナー)を、タイヤの僅かなスライドを感じながら走り抜けると、息つく暇もなくS字R(コーナー)が現れる。
ここでは、右壁面側の路肩に広いスペースがあることから、そこを利用するライン取りが鉄則である。路肩スペースを最大限に利用することで、出来るだけスピードを落とさないように、直線的なライン取りを心掛けるのだ。
 「もしも、生きていく上で有効に利用できるものがあるのならば、それは利用するべきである」と教えられる。

 S字R(コーナー)を抜けた後は、カーブの大きさが異なる複合コーナーが続く。
そして、最後に勾配の大きい直線へが現れる。長さはおよそ400メートル。「ゼロヨン」と呼ばれる距離である。「ゼロヨン」とは、4分の1マイル(約402メートル)の加速だけを競い合う、正式な競技を指す。世界最高峰の「ゼロヨン」ならば、402メートルの距離を、わずか8秒ほどで走り抜ける。想像を絶する加速を競い合うスポーツでもある。

 光司は「ゼロヨン」張りにと、アクセルを車体にめり込むまで踏みつける。急な勾配に、1600ccエンジンのパワー不足を感じつつも、その加速を楽しむ。そして、400メートルの直線を上りきった先には、右の最終R(コーナー)が待ち構える。阪奈道路の上りコースの中で、最も径の大きな高速のR(コーナー)である。
 光司たちのバトルの中では、ここが決戦の場ともなる。
高速で駆け抜けるR(コーナー)では、誰もが気持ちの昂りを楽しむことになる。そして、美しく走り抜けた時に味わえる快感を誰もが知っているからである。
 こうして阪奈道路の上りコースを終えると、生駒山地の龍間地区で下りコースと合流したあと、Uターンをして再び下りのコースへと挑んでいくのである。 

 今夜だけは、ラスト・ランの光司に気を利かせてくれているのだろうか。阪奈道路を走る、一般車両の数がいつもより少なく思える。くたびれた会社帰りのサラリーマンが運転する車も、深夜にはほとんど走っていない。そして、たくさんの荷物を運ぶトラックも、今夜は消え去っていた。

 光司は徐にパワーウインドウを下げて、冬の冷たい空気を車内に取り込んだ。すると、走り屋たちの奏でるエキゾースト音が、山間にこだまをしていた。同時に、相棒の機嫌も確かめる。マフラーから吐き出された心地の良い音色が、後ろから追いかけるように聞こえてきた。光司はその音色に満足をすると、パワーウインドウを上げて、大きく深呼吸をした。レカロのバケットシートが、まるで高級ホテルのソファーのように、やさしく身体を包み込んでくれている。
 再び、阪奈道路の下りコースへと滑り出した光司の後ろには、卓也の「シビックSi」がピッタリとくっついて来ている。その後ろには春樹のホンダ「CR―X」、そして最後尾には晃の「トレノ」と、相変わらず4台の車が隊列を保っていた。
 光司たち4台の車のヘッドライトが織りなす華麗なダンス。それを見るために、集まるたくさんのギャラリー。自然と、気持ちが昂ってくる。

 ただし、普段よりは気持ちの昂りを抑えていた。ラストランの今夜、この狭い空間の中で、できるだけ自分の息遣いを感じていたかったからだ。
 暗闇の中で、街灯の光が次々と前方から飛び出しては、横を流れていく。そして、自分の身体が閃光の飛び出す方向へと、吸い込まれていく。光司の心は穏やかに、そして無重力の宇宙を彷徨うかのように、不思議な感覚に陥っていた。

「これほど静かで安らいで気持ちで、ここを走るのは初めてではないだろうか」と、感じた。いつもならば、溢れ出すアドレナリンと昂る気持ちが抑えられないでいる。それなのに、今夜の自分は、まるで助手席に裕美を乗せてドライブをしている時のようであった。
 明日の夜、俺は裕美と阪奈道路から見える夜景を楽しむ為に、ここに来る約束をした。しかし、一足早く、俺は裕美を連れてきてしまった。数時間前まで裕美が座っていたそのシートに、裕美の残像が見えるからだ。 

 その時、一番後方を走しっていた晃の後ろに、「86レビン」の車影が見え隠れしていることに気付いた。間違いなく、勇次の「86レビン」の車影であった。
光司の鼓動が一気に高まる。そして、静かで安らいだドライブが、一瞬にして奪われる。
 最後尾の勇次の車が前方を走る晃に向かって、パッシングを繰り返す。それは「道を譲れ」のサイン。勇次の叫び声が、ここまで届いてくるようでもあった。
 恐らく、最後尾を走る晃は、勇次の挑発を受けながら「道を譲るべきか」それとも、「このままブロックをすべきか」迷っているのだろう。もしも、4人が全開でR(コーナー)を攻めているのであれば、勇次に道を譲る必要など無い。たとえ、勇次が俺との勝負を望んでいたとしても、まずは晃との勝負が先決である。
 しかし、今夜は「記憶に残る走りをしたい」と、誰もが感じている。「最高の仲間と、楽しく最後は走りたい」と思う気持ちが、卓也も春樹もそして晃にもあった。そして、今夜だけは光司が勇次との勝負を避けたがっていることも、晃は察しているはずだった。だからこそ、晃は「勇次に道を譲るべきか」迷っているのだろう。

 しかし、走り屋としては、晃も勇次の気持ちを理解できない訳ではないだろう。もしも、全開でR(コーナー)を責めていないのならば、このままブロックを続けることは、走り屋として明らかなルール違反でもある。遅い車は速い車にコースを譲ることは、暗黙のルールでもある。
 それに、勇次も晃と勝負をしたいのではない。先頭を走る光司に、勝負を挑みたいだけである。特に、「勇次にしてみれば、今夜が光司と最後の夜になる」と解っているのならば、道を譲るべきでもある。
 ラストチャンスの今夜こそ、勇次は光司に勝ちたいと思っているだろう。それは、新しく履き変えられたタイヤが語っている。

 しばらく、ブロックを続けていた晃だったが、後方の勇次に道を譲った。それを見た春樹も、そして卓也も、素直に勇次に対して道を譲った。勇次の気持ちを優先したのだった。やはり、「走り屋としてのルールを無視することは、走り屋としては最も恥ずかしい」と、誰もがそのように判断をしたのだろう。それに、血眼になっている勇次をブロックをしたところで、強引に追い越しを駆けてくるのは目に見えている。誰もが、勇次とのバトルで、巻き添え事故を食らっては割が合わないと考えたのだろう。

 あっという間に、勇次「86レビン」が光司の背後にくっついた。
光司の「シビックSi」と勇次の「86レビン」がテール・トゥ・ノーズの体型をとる。すかさず、勇次がパッシングを2回、バトル開始の合図を仕掛けてくる。
 しかし、まだ光司は勇次とのバトルに迷っていた。すぐには勇次の挑発には答えなかった。そして、パワーを抑えたまま走行を続けた。 
 当然、勇次は光司の態度に気付いている。盛んに車を左右に振っては、挑発を繰り返してきた。彼の車影がドアミラーに見え隠れさせることで、光司の気持ちを煽っているのである。

 出来ることならば、今夜は誰とも勝負をしたくはない。
最高の仲間たちと、朝が訪れるまで走っていたかった。4台の車で思い出のダンスを踊っていたかった。
 しかし、勇次は決してそれを許してはくれない。今夜が最後の勝負になることを、すでに勇次は知っているのだから。

 2台のバトルは、下りコースから上りコースへと展開をする。
なおも、勇次は挑発を続けているが、全開で走行をしていない光司を、決して抜き去ろうとはしない。それは、光司に敬意を表していることもあるが、彼自身のプライドが許さないのだ。ただ、ひたすらに、光司が本気のモードに入るのを待っている。
 勇次を含む5台の車が、配列を保ったまま、生駒の山を駆け上がっていく。今夜は、一般車両が少ないことが幸いをしている。5台の車が連なってバトルを続ければ、一般車両を巻き込んだ事故を引き起こしかねない。俺のラストランに、事故だけは御免こうむりたい。まして、一般車両を巻き込むことは、絶対に避けなければならない。

 上りコース、最初の左ヘアピンR(コーナ)で、光司と勇次のラインが交錯する。勇次の車がアウトサイドに膨らむと、運転席側のサイドミラーに車影が大きく映りこむ。光司は一気にアクセルを踏みつけて、勇次と立ち上がりの勝負を挑む。一瞬、勇次の車が横に並びかけたが、また引き離す。まだまだ、お互いにとっては序奏に過ぎない。

 光司と勇次の2台の車はは上りコースから、再び下りのコースへと周回を重ねていく。勇次と2周目の下りコース。当然、俺たち5台の車をギャラリーは覚えている。2周目に入った5台の車が登場するのを、暗闇の中で待ち構えていた。そして、暗闇から5台の車影が現れると、まるでアイドルが登場をしたかのように、歓声が上がっているのが解る。 
 ただ、ギャラリーたちは、光司たちの心の中までは知らない。今日、5人が成人式を迎えたことも。
 そして、今夜で走り屋を卒業する者。卒業する仲間を見送る者。これからも走り屋を続けようと決心をする者。そして、俺たちは今夜、人生のR(コーナー)を曲がろうとしていることも知らない。
 ただ、5台の車が織り成す光のダンスと、タイヤが上げる悲鳴に歓喜をしているだけである。

光司たち5人の思いが交錯をしながら、2周目の阪奈道路を下り切った。そして、舞台は2度目の上りコースへと移る。信号で停まった光司を目掛けて、勇次が執拗にパッシングを仕掛けてくる。
 さすがに、光司も我慢の限界に達しつつあった。やはり、これは避けられないバトルなのだろうか。そして、走り屋としての宿命なのだろうか。 
2周目の上りコースに入った光司は、徐々にアクセルを深く踏み込んでいく。すると、阪奈道路の急激な勾配をものともせずに、光司の「シビックSi」が加速をする。エンジンの回転数が上がり、ギアがトップギアにまで上り詰める。アクセルを踏みつける足の裏から、車の唸り声が全身へと伝わってくる。

 R(コーナー)の入口では、絶対にイン側だけは譲らない。ブレーキングをギリギリまで遅らせて、イン側のラインを死守する。
 これからの人生においても、決して人には負けたくない。たとえ大人になったとしても、くだらない大人になんかに負けたくはない。絶対に、人生においてもイン側を死守してやる。きっと勝ち抜いてやる。光司は心の中で叫びながら、ステアリングを強く握り締めた。

「絶対に勇次には道を譲らないぞ」

光司のアドレナリンが、徐々に頭の奥から湧き出してくるのが解る。
血管を流れる血の轟音、心臓の激しい動悸を感じ出す。そして今夜も、プレッシャーと恐怖には負けない。「必ず今夜も打ち勝ってやる」と、叫び続ける。

 やがて、「ゼロヨン」の直線が現れる。緩やかに右にカーブをしてはいるももの、全開で加速を続ける。アクセルを踏みつける足にも、思わず力がこもってしまう。「もっと速く、もっと速く」と、車に向かって叫び続ける。

 走り屋たちのバトルにおいて、決着がつくタイミングとは、先にミスをした者が負けとなる。何故ならば、ここは一般公道であってサーキットではない。だから、ゴールのフラッグを振ってくれる者もいない。走り屋同士のバトルとは、後ろの車に追い抜かれるか、前の車に離された時点がゴールとなる。その為には、僅かなミスでも、勝敗を決することになる。 

 光司は勇次が先にミスをしてくれることを願った。ここ阪奈道路では、上りコースでは勝敗が付きにくい。やはり、テクニックに差が出る下りのコースの方が、勝敗が付きやすくなるを誰もが知っている。
 阪奈道路を上り終えた5台の車は、対向車線にUターンをすると、下りのコースへと戦場が移っていく。そして万が一、この3周目の下りコースで勝負が付かなければ、また上りコースへと周回が繰り返される。 

 


最初の左カーブを走り抜け、光司はアクセルを思いっきり踏み込んでいく。急な下り勾配を利用して、その加速は上り勾配とは比較にならない。
 光司のアドレナリンが、そのまま「シビックSi」へと伝わり、100%の呼応が始まる。
 光司はシフトアップのタイミングを遅らせ、1つ低いギアで引っ張り続けた。エンジンの唸り声が、一段と高くなるのがわかる。回転数を表示する針が、信じられない位置にまで振れていく。そして、MAXの加速に入った俺は、直ぐに迫りくる赤橋に向けて備える。
 これまで、低いギアで引っ張った分、エンジンブレーキが最大限に効力を発揮する。エンジンブレーキが生かせる分、ブレーキングのタイミングもわずかに遅らせることが可能となる。この僅かな差が、100分の1秒を争うバトルには、有効打として響くのである。 
 そして、赤橋のR(コーナー)に侵入をする僅か手前で、一気にフルブレーキングを掛ける。シトーベルトが胸に強く食い込み、肋骨が折れるほどの痛みを感じる。それと同時に、「シビックSi」の発した悲鳴が、光司の耳を劈いた。 
 そして、光司は路肩の砂に気を留めることもなく、右前方のタイヤをイン側へと寄せる。万が一、FF車の前輪が細かな砂に負けてグリップ力を失うと、車は一気にアウト側の側壁に飛ばされることになるだろう。命を失くす訳にはいかないが、多少のリスクを犯してまでも勝負にこだわらなければ、この峠でキングになることなどありえない。

運 良く前輪が砂に負けることもなく、強いアンダーステアが車体をイン側へ向けさせる。その時、光司は後ろでいやな衝撃音が鳴り響いたのを聞いた。一瞬、ルームミラーに目をやったが、何も映り込まない。ただ、その次のS字コーナーを立ち上がった時には、後ろに張り付いていた勇次の姿がなくなっていた。

(第七章 卒業に続く)


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