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noterさんにぜひお贈りしたい二つの言葉   『ある生涯の七つの場所2』100の短編が 織り成す人生絵巻/夏の海の色 第三回

私は通信社の仕事をし、エマニュエルと同棲しながら、そこ(今のような毎日)に深く浸ることができなかった。エマニュエルとの生活でさえ、結婚までの、過渡的な形であるような気がした。過ぎてゆくことがそのまま完成された形である、と、頭では思っていても、それは、やはり、いつかくるはずの、より完成された形までの、準備にすぎなかった。その気持ちが心のどこかに動いていた。
たえず何か今の自分とは別のものを、心のどこかで求めていた。個人の評価を尺度として生きていたとは言わないまでも、今の自分に満足することはなかったのである。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「ル・アーヴル 午後五時三十分」より

連作短編『ある生涯の七つの場所2/夏の海の色』第三回。これで『夏の海の色』は完結です。
上記は「黄いろい場所からの挿話」のラストで、アメリカへ留学する恋人エマニュエルとの別れを決めていた「私」が、考えを翻す場面です。

それは、やはり、いつかくるはずの、より完成された形までの、準備にすぎなかった。

お読みくださるみなさんにお贈りしたいのがまずこの言葉です。今自分がやっていることは、いつか手に入れるであろう成功や幸福の準備にすぎないのだ、そんなふうに考えてはいないでしょうか? 




1.「黄いろい場所からの挿話」エマニュエルと「私」

『ある生涯の七つの場所』については以下をご覧ください。


ここで再度エマニュエルと「私」の関係をおさらいすると、

・エマニュエルは考古学を専門に研究しているフランス人学生で、大学を卒業し、今度は新たに勉強のため8ヵ月のアメリカ留学に出発しようとしている

・「私」はエマニュエルの恋人で、これまでは仕事もせずにエマニュエルの学校の近くに住んだり、エマニュエルと一緒に夏休みやクリスマスを過ごしていた。「私」が仕事をしなかったのは、エマニュエルが「仕事より自分を選んで」とずっと言っていたためだが、ここに来てやっと知り合いのつてで通信社の仕事を得た。

「私」は通信社の支局長から、日本の本社に正社員の席があるという確約を貰っています。それは日本でのステータスを得ることであり、エマニュエルが留学を終えて日本にやってきた際の、二人の生活の基盤となるものでした。これはごく一般的な、常識的な考え方で、誰もが自分の地位を守ろうとするでしょう。

①XIII.「吹雪」

吹雪イメージ

これまで「黄いろい場所からの挿話」では常にスペイン内戦が下敷にありましたが、最後の2回はその影が消えており、エマニュエルと「私」の別れに重点が置かれています。

XIII.「吹雪」では、やがて訪れる別れについて話しながら、互いに何事も深刻に考える必要はない、という結論に達します。その過程で出会うのが、「私」の友人で舞台演出家の瀬木責せぎ せきと、瀬木と10年行動を共にしているプロデューサーのルネ・ブロックです。
ルネには別れた妻と娘とのあいだに秘密があり、「私」は偶然その秘密に立ち会うことになるのですが、ルネは自分が自由であることが重要だと言い、「私」は瀬木に、(家族との関係も)深刻に考えることはないんだな、と言います。

「しばらくは会えないが、元気でやってくれ。ぼくらの生活は自由でなければいけないんだ。ブロックのように」
「つまり深刻になってはいけないんだな」私は独りごとのように言った。
「それさ」瀬木は答えた。「精神の自由⎯⎯それを守るのはアイロニーさ」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「吹雪」より

そして、新たな公演のために街を離れる瀬木たちを見送ろうと、クリスマス休暇で過ごしているチロルの村から街へ出ようとする「私」とエマニュエルの乗った列車が、吹雪で動けなくなってしまいます。
「私」が、瀬木の見送りができなくなったことも深刻に考えてはいけないんだな、と言うとエマニュエルは、こんな吹雪って滅多に見られないから(楽しまなくちゃ)と答えます。「私」は、

私はエマニュエルが自分にそう言いきかせているのがよくわかった。私たちは相変らず別れの予行演習をしているのかもしれない⎯⎯電車の窓に顔をつけて外を見ているエマニュエルを見て、私はそう思った。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「吹雪」より

そして僕がnoterさんにお贈りしたい二つ目の言葉がこちらです。

「人生はわな・・を仕掛けるもの。深刻にさせるのが得意なのよ、人生って」
「もともと深刻なのが人生の特質なんだからね」
「でも、いま一番いけないことは人生で深刻になることだわ。そうなったら、人生なんて楽しめないんじゃない?」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「吹雪」より

でも、いま一番いけないことは人生で深刻になることだわ。そうなったら、人生なんて楽しめないんじゃない?


瀬木たちの芝居イメージ

こうして「別れの予行演習」をしながら、ついに二人はその日を迎えるのです。

②XIV.「ル・アーヴル 午後五時三十分」

「私」は通信社で正社員になることを求められているとエマニュエルに話します。

「そのこと、大事なこと?」
「日本じゃ大事なんだ(略)」
エマニュエルの眉が曇った。
「私たち、飢えて死ねないのね」
「君はまだそんなこと考えているの?」
「私ね、あなたとニューヨークでおなかをすかせていたいわ」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「ル・アーヴル 午後五時三十分」より

そんな会話をしながらエマニュエルと過ごす最後の一週間、「私」はエマニュエルの友人で働いたものを全部恋人に貢いでしまうエレーヌや、ホテルで掃除婦をしながら自分を棄てた男を15年待ち続けたというマルトに出会います。

「私」はル・アーブルまでエマニュエルを見送りにゆき、船が出航する直前まで別れるつもりでいるのですが、突然エレーヌやマルトのことを思い出し、自分が世間体に縛られていたことに気づくのです。

③まずここで僕がおもうこと

「私」が最後にどうするのか、それはもし機会があればみなさんご自身で本作にあたってみてください。

エマニュエルは、考えようによっては自分のことだけに専念し、それを最優先するわがままな女性です。そして「私」は、そんな女性に振り回されながら自分の意志を通すことのできない、優柔不断な男です。けれど、そんな二人の生き様が、僕には爽やかなものにおもえるのです。
結婚もしない二人は、やがてどこかで別れてしまうかもしれません。そうなったとき、悲惨なのは「私」でしょう。それでも「私」は、深刻になってはいけないんだな、と考えるのではないでしょうか? 今はそんな気がします。


2.「赤い場所からの挿話XIII・XIV」

設定は戦前の日本です。「私」は高校受験を控えた中学三年生です。「私」の父はある役所の官吏でアメリカに出張しており、母は結核で湘南のサナトリウムに入院していましたが、今は退院して「私」と二人で住んでいます。
他に、母の弟のひとりで作家の叔父や、前の回に出てきた友人たちも何人か登場します。

①XIII.「月の舞い」

両親が近くにいなかったことで「私」は長く親戚の家をたらい回しにされていましたが、母が退院したため、二人で暮らすことができるようになりました。しかし、アメリカにいる父が突然辞職してしまい困っていたところ、遠縁の、一族の中では成功者の桜田房之助が持っている、湘南の別荘の離れを借りられることになります。房之助は故人でしたが、その妻の八重からの、ぜひにという話でした。
けれど、やっと住むところが見つかったと思う間もなく、八重が急死してしまいます。二人はまた、住まい探しをしなくてはならなくなったのです。

ここでは、「黄いろい場所からの挿話XIII.吹雪」に通ずる<深刻にならないこと>というのがテーマになっているようにおもいます。「月の舞い」というのは、その別荘で一度だけ、誰も見ていない真夜中に八重が舞を舞ったということですが、それは本筋ではない気がします。父の勝手な辞職も、住む家がなくなったことも、「私」は、悲観することはないと言うのでした。

②XIV.「雷鳴の聞える午後」

続くXIV.「雷鳴の聞える午後」では、父の退職金で家を買い、やっと落ち着くことができるようになります。登場するのは楠木伊根子という女性で、アカ(社会主義)を疑われた南部という教授と作家の叔父とのあいだで何かあったようなのですが、そこは最後まで明かされません。それより「私」は、

私は私で、何はともあれ、社会で独り立ちできる土台を築く必要に迫られていた。私は、父に替って、母を養わなければならないという義務を感じていた。
そんな気持があったにもかかわらず、青空の遠くを、白い雲が眩しく光って流れてゆくのを見ると、なぜか、自分のいまの暮し方がひどくみすぼらしい、けちなものに見えた。あんな雲のように自由に生きられないものか⎯⎯私はそう思うと、胸が、旅への憧れに似た気分で締めつけられた。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「雷鳴の聞える午後」より

ということになります。この部分は、「黄い場所XIV.ル・アーヴル 午後五時三十分」に繋がるようにおもいます。


3.深刻に考えないこと

エマニュエルはどんなときでも楽観的です。それは本心ではないかもしれません。しかしそんなエマニュエルに合わせるように、「私」も哲学的な楽観論を披瀝してみせるのです。二人は大雪の中でこんな会話をします。

「帰りの電車がなくなるかもしれないね」
私は村のプラットフォームで言った。
「なくなったら、都市まちのホテルに泊りましょうよ。それとも一晩中、雪の中を歩いてもいいわ」
「君といると、不安がなくなるね。電車なんて初めから眼中にないみたいだ」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「吹雪」より

「赤い場所からの挿話」では、父が仕事をやめたことを悲観し、加えて「私」の学費が大変になることを理由に母が働きに出るというのを押しとどめ、「私」は言います。

「そのときは働いてでも何でもやるよ。だから、いま、お母さまが働くことはやめてよ。ぼくのことは自分で何とかやれるよ。それにね、叔父さまが言ってたけれどね、ぼくは運がいいんだって。だから、自分のことは、呑気に考えているんだ」

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「月の舞い」より


僕も、会社をやめて独立するときは深刻には考えていませんでした。深く考えても仕方がない、そうおもっていたのです。何とかなったかと言えばそうも言えないけれど、ここぞというとき深刻にならないことは、きっとありだとおもうのです。

「根拠のない自信」

あるいは、

「なんとかなるさ」

ときにはそうおもうこともあっていいと僕はおもうのですが、いかがでしょうか?

『ある生涯の七つの場所2 夏の海の色』はこれでおしまいです。




【今回のことば】

この世の中は一定の価値の尺度があるでしょ? 人の幸福も、そうした尺度に合わせて、つくられるものよ。でもエレーヌもマルトも違うわ。二人とも、世間の尺度では、不仕合わせな女ね、どちらかというと。でも、二人は、そんなものとは別の、自分の尺度を持っているわ。ちょうどカテドラルが高く聳え立っているように、あのひとたちの、自分だけの尺度が、つつましく、悪びれず、世間に際立っているように見えるのね。私、そのことに打たれるの。

『夏の海の色 ある生涯の七つの場所2』 中公文庫/「ル・アーヴル 午後五時三十分」より




『ある生涯の七つの場所2 夏の海の色』
・中公文庫 1992年


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