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『散文詩あるいは物語詩』風鈴Ⅱ

食事のあとの散歩を終えて戻ってくると、玄関先で、グレーのTシャツに長靴履きの主人が、プラスチックの青いトロ箱を洗っている。ホースから流れ出る水が、ややかしいだ道の反対側まで広がって、勢いよく排水溝へ吸い込まれてゆく。僕の顔を見るなり主人は手を止めて、今日はすずきが入ってますよ、と大きな声で言う。アラ汁もできるかい? 尋ねると、主人は空いたほうの親指を立てて笑顔を見せる。


部屋へ上がっていって、座卓の前に胡座をかき、ノートパソコンを立ち上げて本やら書類やらを並べていると、しばらくして主人が茶菓子を持ってやってくる。何か面白いところはあったかね? 座卓に茶菓子の乗ったお盆を置いて主人が尋ねる。何もないね、この町は。ここは漁師町だからね、海だけですよ。出された茶菓子を食べ、お茶を飲む。仕事かね? そんなところだね。僕がパソコンを打つのをしばらく眺めていて、また主人が尋ねる、釣りはされんかね? 子どもの頃、少しだけやったけどね。船を出すのかい? いい時期にね。今は台風シーズンだから、こう波が高くなっちゃあね。磯釣りなら竿を貸すよ。僕は笑っていらないと言う。珍しいね、釣りもしないで。言い残し、襖を閉めて主人は出てゆく。


小一時間ばかり書きものやら書類の整理やらをやったあと、立っていって、そこだけ妙に綺麗なサッシのガラス窓を開くと、潮風がひと吹き吹き込んでくる。排水溝の上に、道路と並行に防波堤が、海岸を巡るように伸びていて、防波堤の向こうでは消波ブロックが、小刻みに潮に洗われている。右手の西の先に眼を向けると、漁船が何艘かもやっていて、東から伸びた半島の先端に、今にも桟橋が届きそうに見える。半島と桟橋に囲まれた、この辺りはごく狭い湾なのだ。海面には小さな漣が立っているばかりで、波はさほど荒くも見えないけれど、釣りには外海そとうみへ出るのだろうか?


ひとしきり、下から主人の笑い声が聞こえて静かになる。真下の道を、木製のトロ箱を積んだ軽トラックが一台、ガタガタと西の漁港のほうへ走ってゆく。こんな小さな漁師町で、こんなふうに民宿をやって生きてゆくのはどうだろう? 窓の桟に両手を置いて、海を眺めながらふと僕は考える。シーズンには釣り客を迎えて、朝一番に船を出す。季節外れには魚料理の、料理民宿をやって、トロ箱を水で洗いながら、ときどき客に声をかける、今日は鱸が入ってるよ、お客さん・・・。僕が生きることのなかった暮らしが、ここには確かに根を下ろしている、たぶんずっと昔から。


風に乗った、潮の臭いがムッと濃くなり、日差しが強まってきたところで、窓を閉めようとさんから両手を離したそのとき。その風に吹かれたのだろうか、どこかでひとつ、小さく風鈴の鳴るのが聞こえた。身を乗り出して外を眺め回してみたけれど、もちろん見えるはずもない。鴎が一、二羽、ゆらゆら海面を漂っているばかり。昼間は波の音も届かないのに、風鈴だけが鳴ったのが不思議におもえて、僕はまた、しばらく海に眼をやった。空耳だろうか? それともどこかこの近くの家で、しまい忘れた風鈴だろうか? 季節はやっと夏を過ぎて、海面も濃い藍色に鎮まっている。もう一度鳴らないか、閉めかけた窓枠に手をかけて僕は待ってみた。風が止んで、海にも道にも人の姿はない。太陽が高くなって、道に落ちた家並やなみの影が短くなってゆく。僕はあきらめ悪くため息をついた。サッシの窓をゆっくり閉めると、潮の臭いが部屋に残った。




ゆく夏の名残惜しさ、あるいは虚しさを描くには何がいいだろう、そんなことを考えておもいついたのが、夏には必要だけれど季節が終わるときっと片付けられてしまうもの、ということで最初に考えたのが扇風機。夏が終わってもいつまでも座敷の隅に取り残されている扇風機、というのを考えたのだけれど、今年は夏が長過ぎて、扇風機だってヘタをすると片付けられないまま冬を越してしまうことにもなりかねないな、そうおもったら情緒なんて感じられなくて、この思いつきは諦めることにしました。
いろいろ考えあぐねているとき聞こえてきたのが、やはりご近所の風鈴です。それで前に「風鈴」というこちらの詩を書いたのだけれど、


同じシチュエーションではつまらないので、今回は漁師町の民宿にしてみました。季節外れの海といえばそれこそ昔からいろんな人が歌っていて、大概はひと夏の恋の終わりとか、そんなものだけれど、それだともっとベタなものになってしまうので、僕が創作するとこんなのになりました。
秋風に吹かれる風鈴というのも結構寂しさが募るというか、侘しいというか、イメージによってはこれも昔の四畳半フォークになってしまいそうで、都会で電車の線路脇とかだとまさしくそれになってしまうけれど、田舎の漁師町なので、また違う雰囲気になったのではないかと。
でも、風鈴ひとつで他にもいろいろ考えられそうなので、また何かで登場させるかもしれません。
ところで、ここ数年特に増えてきた、公園や神社の境内の一角などに何百個も風鈴を吊るすってやつ、あれ、本当に涼しげでしたか?

*消波ブロックは、波の力を弱めたり護岸を守るために岸辺に入れられるもので、テトラポッドはそのひとつ。「テトラポッド」という名前は某企業の登録商品名で、消波ブロックには他にもいろんな形のものがあります。




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