マガジンのカバー画像

私の創作・雑記

92
takizawaの創作やつぶやきなどのまとめ
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

長編小説は長い! ・・・ので、自作短歌

長編小説は長い!・・・あたりまえですけど。 長い小説を読んでいると、なかなかレビューを書くまでに至らないので(並行して何冊も読んでいたりするので)、自作短歌で日を繋ぐことにしようかと。駄作ですけど。 僕だけの夏庭先に小さきクワガタを見つけたりそこに命の在るを思へば 六月の街にビルの嶺その陰に梅雨の気配を忍ばせながら プランターに茄子のゆらりと下がりゐてこんなところに僕だけの夏 レモン汁は金の日溜まり夏がきて目眩のなかの遠雷のごと そして夏は人待ち顔でやつてくるまだ握

『詩』百一日目におもうこと

私は言葉しか持っていない 花が咲いたときには花が咲いたと言い 雨が降ったときには雨が降ったと言い 朝になれば朝になったと言い 夕暮れには夕焼けが赤いと言い 虹が立てば<虹だ!>と言う 私はそんな言葉しか持っていない あなたを呼んで ここで寛いでもらおうにも 深々と 体を預ける椅子もない 眠りを誘うベッドもない ここには一杯の紅茶もない 暖かな 午後の日差しさえもなければ 軽やかな小鳥の囀りもない 疲れた心を癒すことのできる 優しいピアノの音色もない ここにあるのは言葉だけ

本日連続投稿101日め&スキ4,000回のお礼

昨日で連続投稿100日だったそう。読んでいただいているみなさんのおかげで毎日投稿できています。 &スキ4,000回いただきました。いつもスキをくださる方、コメントくださる方、マガジンに追加してくださった方そして、読んでくださっている方、本当にありがとうございます! これからもよろしくお願いいたします。

『散文詩あるいは物語詩』銀木犀の咲く季節に

海岸沿いの県道を右に外れて細い山道を登ってゆくと、左手に僅かばかりの狭い畑があって、その入り口に、二メートルほどの銀木犀の木が植っていた。もっとも銀木犀という名を知ったのはもっとずっと後になってからで、秋になると白に近い、黄色いような小さな花をみっしりと咲かせるその木は単に、山の入り口の目印でしかなかった。そうして右手には一つ屋根の掘立小屋が二軒並んでいて、それが彼女の住まいだった。 彼女の一家がいつからそこに住んでいたのか、なぜ普通の民家ではなく、そんなところに住んでいた

『詩』二十九人のオルタンス

目の前に 今見えている風景は と画家が言う 見えている風景は一つだが それを見ているのは君と僕だ そして画家はこうも言う 見ている風景は一つだが 時間を止めることが誰にできよう? 彼はオルタンス・フィケを語る <紫陽花>あるいは<庭>という名の 愛されなかった女性について 僕なら と彼は言う どちらか一つというのは無理だったろう 愛するか それとも描くか? あの画家は愛することはなかったが 生涯描き続けたのだ けれど それは本当だったろうか? 暗い 虚ろな時代を経て 画家

『詩』こだま

やまみち やまみち   つりがねそう   あきののげし やまみち やまみち   ななかまど   くだって     くだって       もっとくだって         のぼって       のぼって     もっとのぼって   とうげみち とうげのいただき こだま おお〜い おお〜い おお〜い お〜い      お〜 ・・・い い い ・・・ やっほー やっほー やっほー っほー      っほー ほー ほー ほ ・・・ あいしてる あいして

『詩』九月生まれのあなたへ

九月生まれは優しいと いつか聞いたことがある 終わりそうで終わらない夏と 始まりそうで始まらない 悩ましげな秋との狭間で あなたはどんな意志を持ったのか 科学的に言えば 地軸が傾いているために 太陽が 赤道の真上にある季節 それが春と秋なのだそうだ 日差しが平等に降り注ぐ そうしたことが あなたの優しさの源なのか? フランスを愛して止まなかった あの小説家は 九月に生まれ 九月に初めての小説を書いた 溢れ出る言葉は泉のようで 激しさはないが 煌めきと 強さと豊かさに満ち満

『詩』山上の寺の本堂で

本堂の 四十畳ほどの外陣の中央に いつか私は端座している 五重塔を備えた 古い大きな寺だ 回廊の蔀を押し上げると 森はずっと下にあって 鎮まりかえった木々の奥に 時折ルリビタキの声が響く 深い山の上の大きな寺だ 遠くに眼をやると やがて木々の種類は目立たなくなり 紫の尾根が幾重にも 遥かな先まで連なって ついには空との区別もつかなくなる そんな山の上の寺にいて 外陣の中央で たったひとり 私はきちんと正座して 本を膝の上に開いている 外陣と回廊を限っている 障子はすべて閉

『詩』月の昏い夜には

月の昏い夜には南の空の 秋のひとつ星より高い所に 幽かに白い 大きな長方形のスクリーンを張って サイレント映画を掛けましょう あなたがずっと好きだった ジョルジュ・メリエスの あのフランスの無声映画や 喜劇や悲劇や恋愛映画を 一緒に幾つも楽しみましょう あんまりスクリーンが明るいと 秋の夜空の邪魔になるし 星空が 透けて見えてしまっては キャストの顔があばたになるし 加減がとっても難しい 暑かった夏がやっと終わって 夜は急に冷えてきたので ストールやらショールやら ブラン

『詩』ピアノ

その雫を 私に受け取ることが できるだろうか それらの曲を奏でるとき そのときだけ 弦はいのちの震えとなって ハンマーを一心に受け止める そうやって 真摯に奏でられる 触れれば弾け散るような ひいやりと 幼子のようなその雫 ⎯⎯ その音色を 私は私の拙い言葉で 描き出すことができるだろうか? けれどそんなとき それこそありふれた言い方だが 言葉は役に立たないことを 私は知っている 本来意味を抱く言葉たちが 雫の前では 私は無意味になるのを知っている それはいったい何という

『詩』曼珠沙華

くっきりと 季節を限ってその花は咲く 夕焼けを 引き下ろしたように 凛として 遠い昔に教えられた 自分は寿ぎの讃歌だと だからそれは 一斉に並んで花開くのだ そして その身に危険を孕んでいるのだ 恙なく その役割を果たすために 稔りの季節をゆくときには その歌を 耳にすることができるだろう 自らこそがその歌だと 真っ直ぐにピンと背筋を伸ばし 凛として立つその晴れ姿を 人は眼にすることができるだろう 風景を ぐいぐいと太い筆で力強く あたかも縁取るようなそのさまを 季節が

『散文詩あるいは物語詩』風鈴Ⅱ

食事のあとの散歩を終えて戻ってくると、玄関先で、グレーのTシャツに長靴履きの主人が、プラスチックの青いトロ箱を洗っている。ホースから流れ出る水が、やや傾いだ道の反対側まで広がって、勢いよく排水溝へ吸い込まれてゆく。僕の顔を見るなり主人は手を止めて、今日は鱸が入ってますよ、と大きな声で言う。アラ汁もできるかい? 尋ねると、主人は空いたほうの親指を立てて笑顔を見せる。 部屋へ上がっていって、座卓の前に胡座をかき、ノートパソコンを立ち上げて本やら書類やらを並べていると、しばらくし

『コスモス』を朗読していただきました!

押花作家フルレットさんが、前回に続いて僕が書いた詩『コスモス』を朗読してくださいました! 自分が書いたものでも、こうして声に出して読んでいただくと、また何かしら変化が感じられて新たな発見がありますね。 僕の詩はこちら。 この朗読は新しく始めたマガジン「なんの花・詩ですか」に追加させていただきました。 他にも朗読をされていたり、日曜日にはご自身の押し花作品の紹介もされていますので、よろしければぜひ訪問されてみてください。

『詩』誰かの思い出のように

どっしりとした、四角い花崗岩の門柱が 正門に建っていたことを 私はどうして忘れていたのでしょうか? 切妻屋根の車寄せと 両翼のように 三階建の木造校舎が均等に 車寄せを中心に左右に伸びていて 薄緑色の ペンキの剥げた格子窓が 行儀よく こちらに向いて並んでいるのは 昨日眼にしたばかりのように はっきりと私は覚えているのでした エンタシス様の 切妻屋根を支える二本の柱の間を通り 正面玄関から中へ入ると 誰もいない建物のなかは森閑として 木造の 親柱に始まる手摺りを持った 幅の