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『詩』二十九人のオルタンス

目の前に 今見えている風景は
と画家が言う
見えている風景は一つだが
それを見ているのは君と僕だ
そして画家はこうも言う
見ている風景は一つだが
時間を止めることが誰にできよう?


彼はオルタンス・フィケを語る
<紫陽花>あるいは<庭>という名の
愛されなかった女性について
僕なら と彼は言う
どちらか一つというのは無理だったろう
愛するか それとも描くか?
あの画家は愛することはなかったが
生涯描き続けたのだ けれど
それは本当だったろうか?


暗い 虚ろな時代を経て
画家は光の中へ飛び出して行った 画家の前で
そのとき人は皮膚であり
衣服であり フロアであり
山はひだであり影であり
プロヴァンスの空気であり
りんごは皮であり色であり さまざまの
皿や花瓶や花などと
対比されるべき形であった
それらのものがそこにある理由は
ただ見られるためだけだった


私の友人の画家はつぶやく 存在は ⎯⎯
本質は現代にこそ本質なのだと
ボッティチェルリや
ミケランジェロやダ・ヴィンチや
レンブラントやベラスケスや
ミレーやゴッホや ⎯⎯
もういい、そしてあの画家も何一つ
結局見抜くことはなかったと


そんな画家の前で
<紫陽花>あるいは<庭>という名のあの女性は
ただじっと りんごのように座り続けながら
何を考えていたのだろう?
文字通り 彫像のようなその目鼻を
女性の赤いそのドレスを
曙か夕暮れのような青い衣服を
彼女が座るその椅子を 背後の壁を
画家はひたすら見ていたという ただりんごのように
けれどそれは真実だろうか?


なぜなら画家は二十九人の
二十九人のオルタンスを
ひたすら描き続けたのだ 刻々と色を変えてゆく
あの山と同じように
たった一人のオルタンスではない 二十九人の
そのときどきで表情を変え 衣装を変え
むろん歳をとってゆくオルタンスを
画家は描き続けたのだ そんな
二十九人のオルタンスを見つめ続けることこそが
画家の愛でなかったと
誰に言い切ることができるだろうか?


ときに激昂し
ときに頭を抱えながら
友人の画家はそう語る そうでなければ
画家があまりに可哀想じゃないか、と
オルタンスのほうではなく?


二十九人のオルタンスを私は観る
モデルにりんごであることを
画家は求めたというけれど
そんなことは私は知らない そこにあるのは
オルタンス・フィケという
画家の女房だった女性の絵だ それは
りんごでもなく 山でもなく
花瓶に活けられた花でもない けれど
<紫陽花>という名を持った たった一人の
二十九人の女性の姿だ
その絵を好きかどうか
それはまた別の話だが
私がそう言うと友人の画家は
ゆっくりと何度も頷いた




オルタンスあるいはオルタンシア、オルテンシアは、フランス語で「庭」とか「花(なかでも紫陽花)」を意味する女性の名前だそうです。そして、オルタンスという名で歴史上特に知られているのが、

・ナポレオン一世の義理の娘、オルタンス・ド・ボアルネ、ホラント(オランダ)王妃になった女性
・オルタンス・フィケ 画家ポール・セザンヌ夫人でその絵のモデルになった人

の二人。
詩はもちろんセザンヌ夫人のほうで、原田マハさんのこちらの本から想を得たものです。


辻邦生さんは好きなのですが、それだけを読んでいると時には違う文章にあたってみたくなる、例えて言うと、どんなに美味しくても毎日フランス料理ではさすがにラーメンも食べたくなる・・・あ、ちょっと違うな、でもある意味そんな感じ? インスタなどで原田マハさんの登場する回数が結構多いので以前から気になっていて、辻邦生さんを少し休んでこちらを読んでみたと、そういうことです。

内容は実際に起こった出来事だそうで、アメリカのデトロイトが財政破綻したとき、年金生活者などの救済のために一番に目をつけられたのがデトロイト美術館の収蔵物。これを売ってそれに充てようと市が考えたのだけれど、それに待ったをかけようとしたのが、自らも年金生活者だった元溶接工のフレッド。彼は亡くなった妻とともに美術館が収蔵しているセザンヌの「画家の夫人」という絵に惚れ込んでいて、その絵を守るために動くのです。フレッドの思いを受け取ったチーフキュレーターのジェフリーは・・・

事実であるとはいえ、ストーリーとしては取り立てて言うほどのこともないと僕はおもいますが、むしろモチーフになった絵の方に興味を惹かれました。
セザンヌは30歳のとき19歳のオルタンスと知り合い、いろいろ理由があって十数年ののち、やっと結婚に至ります。でもそのときには既に画家の心はオルタンスから離れていました。画家はオルタンスと別居しながら、それでも絵を描くときだけオルタンスを呼び寄せます。それはオルタンスが、モデルの際にはそれこそりんごのように微動だにしない、セザンヌにとって他にはない素材だったからでした。けれど本当に、アトリエでの画家とオルタンスのあいだに、何一つ心の通い合う何ものもなかったのか ⎯⎯ というのが、この詩のモチーフです。

セザンヌはオルタンスを29枚描いています。時を隔てて同じ服を着せて描いたものもあり、それはやはりオルタンスを、単なる物として見ていたのではないか、というのが大方の意見ですが、それについて特に異を唱えるつもりもないけれど、<愛>ということについて、ちょっと考えてみたいとおもいました。

いくつかセザンヌのオルタンスの絵と、静物画・風景画をご紹介します。いずれもこちらのサイトによる、著作権が消滅したパブリック・ドメインです。


セザンヌ夫人または画家の夫人/デトロイト美術館収蔵


黄色い肘掛け椅子に座るセザンヌ夫人


赤い肘掛け椅子に座るセザンヌ夫人


サント・ヴィクト・ワール山


りんごの籠


リンゴとサクラソウの鉢のある静物画(タイトル画像も)




今回もお読みいただきありがとうございます。
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