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心に残るnoterさんの記事まとめ

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僕が読ませていただいて心に残った記事を、その都度、勝手にアップさせていただきます。
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記事一覧

【詩】それぞれのせかい

とてもよい 貴方はよくこの世界を言い表すのに、この地球でとかこの惑星でと言っていて、わたしには大きすぎたけれど、わたしの小さな部屋のテーブルもとてもよい 貴方のよく行っていたネパールの埃っぽくて活気に満ちているという雑踏も、生き物を拒む険しい山々の空気も、わたしはどんなものか知らないけれど、わたしの通う小さな道もとてもよい 貴方のよく褒めていた宇宙を感じるようなという群青の夜も、目の醒めるようなというミルキーウェイも、わたしは見たことないけれど、わたしの少しだけ星の見え

【エッセイ】あいこさん

旦那さんが病で亡くなってしまって以来一人暮らしをしているあいこさんは、職場のパートさんで、かれこれ勤務7年目になる大先輩である。お子さんはおらず、私より20歳くらい歳上で、民生委員をしていて、美術が好きで、ご親戚の面倒もみていてご苦労もされているみたいだが、そういうのを感じさせることのない、いつもとても陽気な人だ。 楽しく生きるコツとかがいつも水道のようにでてくる人で、裏表がなく、陰気さとか卑屈さというのがなく、優しくて明るくて気持ちが良い。 女の一人暮らしにはKALDI

創作大賞2024授賞式で「なんのはなしですか」と言えた日に。

創作大賞のベストレビュアー賞受賞のメールをいただいた。そうか、もうその季節かと感じていた。思えば去年もそうだったなと去年のメールを読み返した。 去年は受賞していなかった。 そんなはずはないと思ったが、世間の事実はそうみたいだった。私は受賞していなかったのかと、この段階ではじめて認識し、一年経過したことに気付いた。受賞していた気分で過ごした一年間の自分がとても好きになった。 事実と向き合うのに二、三日かけていたら、事務局の方から再びメールが飛んできた。 こんな確認の仕方

我々はみな、文化を創造する実践者だ

最近、ケネス・J・ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」を読んでいます。 社会構成主義とは、私たちの心や文化、人間関係、障害などはすべて社会の中で構成されてきたと考えるものです。 わかりやすいのは障害です。発達障害って、目に見える障害ではない。社会の中で「こういう人や生きやすい」「こういう人は生きづらい」という枠組みが発生して、生きづらい方に分類されることです。 昔は発達障害という概念はなかった。でも、この概念が誕生した今、これに該当する人はたくさんいる。その人たちは「も

ラオス。ごめんよぉぉぉー!

わたしはラオスに謝りたい。 ラオスというのは、国名のラオス。 前回の記事で、わたしが旅行記を書いた、そのラオスです。 9月、ラオスの地に降り立ち、わたしは思いがけず、その土から強い衝撃を受けることになりました。 粘土質の赤土は、吸水性に乏しく、日本の土のように水を浄化する力も、栄養を蓄える力もほとんど持たない土のように感じられ……帰国してからも消えないその衝撃を吐露するように、わたしは記事を書きました。 そのラオスの赤土に、わたしは謝りたいのです。 悪いと思ったら謝る。そ

心に残るnoterさん記事ご紹介 第1回

・・・ということで、サイトマップでお約束したnoterさん記事ご紹介第1回でございます。そんな約束した覚えぁないぜ、という方はぜひ!こちらをご覧くださいね〜。 1.鈴懸ねいろさん「十月を充月にするって言ってね。」2週間前の記事です。ずいぶん前のような気がしますね〜。ご紹介が遅くてごめんなさい。 残り3ヵ月も早や半月過ぎてしまいました。まだ半月? まだ半月はありますね、十月を充月にするには。素敵な感覚だとおもいました。 それから、日本左利き協会、なんてのがあるんですねー。僕は

不思議な人と結婚した

私はウソではないかと疑っているが、大学の部室で初めて会ったとき、夫は私を可愛いと思ったらしい。 申し訳ないが私には初対面の夫の記憶はない。 その後、夫を認識した私は「同級生に見えんわこの人」と思っていた。 院生よりもOBよりも老けていたのである。 結婚式では、夫は標準体型より太っていたせいで、貸衣装のモーニングを選べなかった。 恰幅のよいおじさんみたいで同い年の夫婦には見えなかった。 私はもともと外見にこだわらないタイプだ。 もし自分が年上に見えるなら嫌だっただろうが

【こはる日和にとける】#4祖父とレンゲ草

そろそろ上京して30年になる。 胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。 それは大学時代。 嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、存在。 不安のかたまりのようなわたしには、春はにぎやかで無邪気で眩しすぎて。 特段、苦しく、そして寂しかった。 大学構内には幾種類もの花がぎっしりと咲き誇り、複雑で甘ったるいにおいを漂わせ、そこかしこで新入生たちが眩しい光を放って溢れかえっていた。 二十歳のわたしは3年目となっても慣れない東京で、めいっぱい

日記|ほわほわな想い出

「ツキノは、なんでいつも寂しそうなの?」 唐突すぎるチアキくんの言葉が、わたしの小さな胸をぎゅっと締めつけた。 小学六年生の時に好きだったチアキくん。 すごく優しくて、アイスホッケーをやっていて、クラスで一番小さかったわたしの2.5倍くらいはある大きな身体の男の子だった。 ああ、わたし寂しそうな顔してるのか。しかも、いつもって。知らなかったな。ただの根暗な少女じゃないか。 でも、チアキくんがわたしを見ていてくれたってことがすごく嬉しかったのだ。 チアキくんと両思いだと

好機は準備の出来た者の下にのみ舞い降りる

「君は切ったら何色の血が出るんだい? …… 誰か、包丁を持っておいで」 ◇◇◇ 「どうしよう。もう駄目かもしれない」 いつもは気丈な友人が、珍しく気弱な声で電話をかけてきました。 ふだん強気な人だけに、いったん落ち込むとかえって暗い方へ傾いてしまうようで、何やら不穏な単語を繰り返しています。 よくよく話を聞いてみると、仕事で頼りにしている人から音信が絶えたのだといい、もう見限られてしまったのでは、と真剣に悩んでいるようでした。 いつも無理な依頼や相談ばかりしていたせい

十月を充月にするって言ってね。

十月らしさ、秋のはじめらしさとは何だろう。 空の高さと、湿度の低い涼しい風と、 夏の間は身を潜めていた花たちの香りのこと。 金木犀が咲き始めた街を、 長袖のブラウスで歩くこと。 だとしたら 熱い陽射しを避けて日傘を差し、 半袖のシャツで出歩く今は、 いったい何という季節と 名づければいいのだろう。 きっともうすぐ。 もう少しで秋は来るはずと何度も思い 待ち焦がれていたのに、 秋の使者の姿は 街なかにも、銀杏や楓の並木道にも、 見当たらないのだった。 それならば 自分から秋

歴史的瞬間は日常でもあり得る

一昨日、バドミントン部で試合がある。と次男が言った時から心配だった。 次男は小学生の時にADHD(注意欠如多動症)の診断を受けている。まず、感情のコントロールが難しい。小さい頃から注意されることが多かったからか、自責の念が強い。空気が読めないところがあるからか、友達とのコミュニケーションを図るのもなかなか難しい。と色々生きづらさを感じて生きている。 小学校の時に学童で入っていた卓球クラブでは試合で負けると、泣いたり暴れたり叩かれたりして、それはそれはなだめるのが大変だった

菊の節句

 夏が再び戻ってきたような秋の日、「釣瓶落とし」というにはまだ少し早い。坂を登り切り、お稽古場から駅までの道のりの最も高い丘の上に出たとき、眼下に傾いてゆく太陽は” 重陽”の名にふさわしく、街を重みのある光に包み込んでいた。  七月から八月にかけて、週末に「子供日本舞踊教室」のお手伝いに出ていた私は、その日、ささやかなお給金をもらった。原稿料やこの日のお給金など、 不定期で少しずつ入ってくるお金が、いわば私の「稼ぎ」となるわけだが、何か考えたり書いたり教えたりするなかでは、お

覚えていますか?未来からの手紙。

もう4年も前のお話です。SNSでご覧になった方も多いかと思いますが、未来からのお手紙を覚えていますでしょうか? たくさんの不安が渦巻く中、ドラえもんが、未来がどうなっているか教えてくれました。あのときは、本当に助かりました。ありがとう、ドラちゃん( ^ω^ ) 「大丈夫」という言葉を、「だいじょうぶ」とひらがなで表現してくれるところにも、ドラえもんの優しさを感じます。ほんの少しの気遣いで、同じ言葉を使っていても、灯るチカラがこんなにも違う。日本語って、ステキな言語ですね。