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『演技と身体』

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東西の哲学、解剖学、脳神経学、古典芸能(能)の身体技法や芸論を参照しながら独自の演技論を展開しています。実践の場としてのワークショップも並行して実施していきますので、そちらも是非… もっと読む
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#世阿弥

演技を学問し実践する短期コミュニティ「ソマティック映像演技研究コモンズ」第二期 参加者募集

演技を学問し実践する短期コミュニティ「ソマティック映像演技研究コモンズ」第二期 参加者募集

 この度、「ソマティック映像演技研究コモンズ」第二期の参加者を募集します。役者だけでなく演出家・プロデューサー・脚本家・その他技術職の方など、映画制作やコモンズに関心のある方は是非ご検討ください。
 週一回のワークショップを活動の中心としながら集まったメンバーの特性を元に映画制作の新しい可能性について考え実践していきます。
 以下、「ソマティック映像演技研究コモンズ」について説明していきます。

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『演技と身体』Vol.53 世阿弥『能作書(三道)』を読み解く

『演技と身体』Vol.53 世阿弥『能作書(三道)』を読み解く

世阿弥『能作書(三道)』を読み解く『能作書』(あるいは『三道』)は、世阿弥の中期の書で、風姿花伝の第六 花修で述べられていた書き手の心得をさらに具体的に書き記したものである。(花修の内容はVol.27世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編を参照)
主に書き手向けのものと思われるが、書き手だけでなく役者が留意すべきことも読み取れるのではないかと思う。基本的には能の場面展開を前提とした内容ではあるが一

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『演技と身体』Vol.46 世阿弥『至花道』を読み解く②

『演技と身体』Vol.46 世阿弥『至花道』を読み解く②

世阿弥『至花道』を読み解く②前回に引き続き世阿弥、中期の伝書『至花道』を読み解いていきたい。
世阿弥の伝書では前期の作『風姿花伝』が最も有名だが、『風姿花伝』は父・観阿弥の教えを書いたものとも言われているので、世阿弥の独自性が出てくるのは中期の作以降とも言える。そして、世阿弥の特徴はその抽象性にあると思う。能の演目でも、世阿弥が作った作品は人物の想いが非常に抽象化されたイメージを纏っている感じがす

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『演技と身体』Vol.45 世阿弥『至花道』を読み解く①

『演技と身体』Vol.45 世阿弥『至花道』を読み解く①

世阿弥『至花道』を読み解く①今回は世阿弥の中期の伝書『至花道(しかどう)』を読み解いていく。
前回紹介した『音曲声出口伝』と比べると概念的なところも多いが、それだけに汎用性が高い。世阿弥が57歳の時の作で、世阿弥の中でのテーマが“花”から“幽玄”へと移ってゆく時期である。

花から幽玄へ

“花”から“幽玄”へ。というのはどのような変化なのだろうか。
それが最もよく表れているのが『至花道』の中の「

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『演技と身体』Vol.44 世阿弥『音曲声出口伝』を読み解く

『演技と身体』Vol.44 世阿弥『音曲声出口伝』を読み解く

世阿弥『音曲声出口伝』を読み解く今回は世阿弥の中期の伝書『音曲声出口伝(おんぎょくこわだしくでん)』の要点を書こうと思う。書名からもわかる通り、主に発声や謡について書かれたものであるが、読んでみると非常に細かい点にまで言及されていてすごい。
「風姿花伝」と比べても細かな技術書という感じがする。能の発声は特殊すぎるようにも感じるがそれは表面的な部分に過ぎず、あくまで全身で発声すること、演技の面白さを

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『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①

自律神経の話①現場は普通じゃない

芝居をする時というのは、カメラがあったり、観客やスタッフがいたり、強い照明やマイクを向けられていたりする。つまり、普通じゃない。
そんな普通じゃない状況の中で例えば“自然な演技”を心がけようとしてもそれは“自然風”でしかなく、表面的には成立しているように見えても、意図していないニュアンスや緊張が乗ってしまっていることが多い。
よくあるのは、呼吸が浅くなっているた

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『演技と身体』Vol.29 問答条々

『演技と身体』Vol.29 問答条々

問答条々今回は、『風姿花伝』の「第三問答条々」の真似をして、これまでにワークショップの参加者から頂いた質問に答える形式で書いていきたいと思う。

イメージとのギャップ

答。この問題には色んな側面があるので、一概には言えないが、考えられる解決策をいくつか挙げてみたいと思う。
一つには、「ボディ・スキーマ」を開発していくことだ。「ボディ・スキーマ」については第6回の記事で詳しく書いたが、改めて説明し

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『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

『演技と身体』Vol.28 世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技

世阿弥『風姿花伝』を読み解く③ 秘する演技「秘すれば花なり」。非常に有名な言葉であり、「芸術は爆発だ」「人には人の乳酸菌」に並んで僕の座右の銘でもある。今回はこの言葉から派生させて“秘する演技”について書いていこうと思う。

花伝書における秘する花

まず風姿花伝の中でこの言葉がどのように使われているのか見てみよう。

観客にとって「ここが花だな」とはわからないことが役者にとっての花であり、観客に

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『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編

世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編前回の記事では、世阿弥『風姿花伝』の中から芸道者の心構えについて述べられた記述をピックアップして解説したが、今回はより実用的な部分にフォーカスしたいと思う。

強き・幽玄、弱気・荒きを知ること

演技には〈強い演技〉・〈優美な演技〉、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》があるという。〈強い演技〉・〈優美な演技〉は良い演技で、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》は戒

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『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

『演技と身体』Vol.26 世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え

世阿弥『風姿花伝』を読み解く① 演技者の心構え『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中でも最も有名だろう。1400年に書かれたものに世阿弥自身が少しずつ追記していって完成したものだ。
『風姿花伝』は世阿弥の伝書の中では最初期のものであり、世阿弥自身の考えというよりは、父・観阿弥の教えを書き記したという側面が強いようだ。とはいえ、後期の世阿弥の論の礎となっていることは間違いなく、金言に満ちている。
今回は、『

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『演技と身体』Vol.25 声の表情

『演技と身体』Vol.25 声の表情

声の表情

「共に在る」ための感覚器官

現代の生活で私たちが最もよく使う感覚器官は目だろう。人々は四六時中スマホを覗き込んでいるし、そうでない時間もテレビやパソコンや本など、何かしら視覚を働かせて生活している。
しかし、進化の歴史・人類の歴史から見れば、そうした視覚優位の時代というのはごく最近のことだ。元々は哺乳類ほとんど夜行性なのであり、哺乳動物が昼に活動するようになったのは地球の長い歴史の中

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『演技と身体』Vol.21 離見の見

『演技と身体』Vol.21 離見の見

離見の見

「離見の見」は世阿弥が残した言葉の中でもとりわけよく知られているものの一つで、上記の通り役者自身の身体を離れた客観的な目線から自身を見る意識のことである。この言葉は能や演技以外にもビジネスの場面でも使われているが、あらゆる言葉がそうであるように広く使われれば使われるほど安易に解釈されるきらいがあるようにも思う。今回はこの「離見の見」についての僕の考えを書いていこうと思う。

観客よりも

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 『演技と身体』Vol.20 役者という仕事

『演技と身体』Vol.20 役者という仕事

役者という仕事「見られる」仕事

役者という仕事は、華があり人間存在を一身に背負ったエネルギーがあり多くの人の憧れるところである。他方で、自分の肉体と精神を無防備にさらけ出すことには多くの危険もある。今回は、そうした危険をいかに回避するか、またそれを反転させて役者がアーティストとして主体性を確立することがいかにして可能になるかについて書いていこうと思う。簡単なことではないが、不可能なことでもないだ

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『演技と身体』Vol.19 脚本の読み取り③ 読み取りの手順

『演技と身体』Vol.19 脚本の読み取り③ 読み取りの手順

脚本の読み取り③ 読み取りの手順

これまで2回に渡って脚本の読み取りについての考えを述べてきた。今回はそれらをまとめて、具体的な手順を提案しようと思う。
前半は理論的な内容を扱うので、興味の沸かない人は「脚本の読み取りの手順」という見出しから読んでいただけたら良いと思う。

パースの記号論

前々回の記事で書いたことは、まず脚本に書かれているト書きやセリフをただ思い切りやってみるべきだということ

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